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第26話 知らない顔

 建物の陰から、両手を上げた一人の男性が姿を現した。


 アロマが銃口を下げずに、その顔を見つめた。


「……無事だったのね」


「アロマさん……」


 アロマの肩から、わずかに力が抜けた。


「ほかの二人は?」


 男性が背後を振り返る。


 角の向こうから、もう一人の男性が女性を背負って現れた。


 女性の片足には包帯が巻かれている。


 白かったはずの布が、ところどころ赤く滲んでいた。


 アロマは銃を下ろし、三人へ歩み寄った。


「よかった。全員いるのね」


 ロックもシールドを下げる。


 ただし入口からは離れず、三人が通ってきた道を見ていた。


 女性を背負った男が、ゆっくりと彼女を下ろした。


「よく逃げ切ったな」


 ロックの言葉に、三人の表情が曇った。


 そのうちの一人と、美咲の目が合う。


 男性はすぐに視線を逸らした。


「……助けられました」


「誰に?」


 美咲が尋ねる前に、アロマが口を開いた。


「刹那さんに、です」


 男性の答えを聞いた瞬間、美咲は思わず三人が現れた角へ目を向けた。


 だが、続く人影はない。


 胸の奥が冷たくなった。


「刹那さんは……?」


「俺たちを逃がすために、あの人が……」


 男性は、負傷した女性に目を向けた。


 もう一人も、顔を伏せる。


 どうして、そんな顔をするのだろう。


 美咲は知りたくなかった。


「ごめんなさい。俺たち、自分たちのことで精いっぱいで」


 アロマがロックに視線を送った。


 ロックは短く頷き、シールドを持ち直す。


 二人が歩き出そうとした、そのときだった。


「待て待て。なんでそうなるんだよ」


 角の向こうから、気の抜けた声が聞こえた。


 観測班の三人が振り返る。


「だって、俺らのせいで大怪我したじゃないですか」


 最初に姿を見せた男性が、申し訳なさそうに言った。


「だからって、さも死んだような口ぶりで言うなよ。縁起悪い」


 ひどく聞き慣れた軽口だった。


 美咲は息を吐いた。


 いつから止めていたのか、自分でも分からなかった。


 刹那が角を曲がって現れる。


 服は破れ、右腕がだらりと垂れていた。


 歩く足取りも、いつもより重い。


 それでも刹那はまっすぐ、こちらへ向かってきた。


「……悪い、遅くなった」


 声は掠れていた。


「全員、無事だな」


 刹那が小さく笑う。


 誰もすぐには答えなかった。


 観測班の三人も、アロマも、美咲も、ただ刹那を見ていた。


 隣の建物から、アリスが歩いてきた。


 先ほどまで姿の見えなかった彼女は、刹那と観測班の四人を一瞥して、短く息をついた。


「全員、建物の中に入りなさい。まだ安全ではないわ」


 その声を合図に、止まっていた時間が動き出した。


────────


 刹那は建物の壁際に腰を下ろした。


 右腕は、肩から先が自分のものではないようだった。


 動かそうとしても、指先ひとつ応えない。


 戦闘状態が解除され、システムによって痛みはほぼ抑えられていた。


 女を運んできた男が、部屋の奥に彼女を座らせる。


 アロマは窓から通りを見張り、ロックは外へ巡回に出た。


 美咲が刹那の左横に立つ。


「美咲、さっきは──」


 肩に小さな衝撃が走った。


 刹那が顔を上げると、美咲は眉を寄せていた。


 何かを言いかけて、やめる。


 代わりにもう一度、小さな拳で刹那の肩を小突いた。


「……悪かったって」


 美咲は答えず、右腕の状態を確かめた。


 傷口を手早く処置し、動かない腕を固定していく。


 刹那が何か言おうとすると、美咲はこちらを見ないまま口を開いた。


「今は、動かさないでください」


「はい」


 美咲は固定を終えると、すぐに奥の女のもとへ向かった。


 刹那はその背中を見送る。


 怒らせたか。


 あれだけ勝手に飛び出せば、当然かもしれない。


「刹那」


 今度はアリスの声だった。


 刹那が振り向くと、アリスが少し離れたところに立っていた。


「こっちに来なさい」


「……はい」


 片腕を庇いながら立ち上がる。


 アリスの前まで行くと、彼女の視線が刹那の右腕に落ちた。


 アリスはしばらくそこを見つめ、呆れたように目を細めた。


「ソロなら好きにすればいいわ。でも、貴女は今、クランの一員。違うかしら?」


「……違わない」


「独断で動けば、貴女だけではなく、ほかの人間の判断にも影響する。分かっている?」


 刹那はすぐには答えられなかった。


 あの不快な音が聞こえた瞬間、嫌な予感がして、気づいたら走り出していた。


 その予感は的中した。


 観測班の三人を見つけたときは、考えるより先に身体が動いていた。


 引き返すという選択肢は、あの場では思いつかなかった。


 だからといって、アリスの言うことが間違っているわけではない。


「……分かってる」


「なら、次からは衝動だけで動かないで。いいわね?」


 刹那は頷いた。


 アリスはもう一度、固定された右腕を見る。


「……よく全員で戻ってきたわ」


 それだけ言うと、アリスは刹那に背を向けた。


 叱るなら最後まで叱ればいいのに。


 そう思いかけて、刹那は口を閉じた。


「……参ったな」


 窓際にいたアロマが、刹那のそばへ歩み寄った。


 視線は時折、外の通りへ戻している。


「あの子たちを助けてくれてありがとう」


「いや、そんな……」


「でもね、刹那さん。もう少し、考えて動いた方がいいわね」


 咎める声ではない。


 こちらも呆れたような口調だった。


「すみません。迷惑かけました」


「いいえ。そうじゃないわ」


 アロマが静かに首を振った。


「あなたがいなくなってから、あの二人がどんな顔をしていたか、見ていないでしょう?」


 刹那は、美咲に目を向けた。


 美咲は負傷した女性の傍らに膝をつき、傷の具合を確かめている。


 少し離れたところでは、アリスが端末の画面に目を落としていた。


「もう少し、あの子たちのことも考えてあげて」


 刹那はしばらく二人を見ていた。


 怒らせた、と思っていた。


 でも、きっとそれだけではなかったのだ。


「……耳が痛いですね」

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