第23話 制止
エリア41の外縁部で、巨漢の男が足を止めた。
黒いボディアーマーに覆われた身体を建物の陰へ寄せる。
その視線は、通りの先にある三階建ての建物に向いていた。
二階の窓際。
ほんの一瞬、何かが光った。
「狙撃手か」
半歩後ろにいた眼鏡の男が、同じ方向を見上げた。
窓枠の奥は薄暗く、人影までは見えない。
すでに光も消えていた。
「通信はまだ復活しないのか」
「だめね。さっきの連絡を最後に、繋がらないままよ」
眼鏡の男は端末をしまい、アサルトライフルを持ち直した。
「行くわよ」
「了解」
二人は壁際を進んだ。
窓から見通せる通りを避け、建物の陰から陰へと移る。
巨漢の男が先に角の向こうを確認し、眼鏡の男が反対側へ銃口を向けた。
先ほど光った窓に、動きはなかった。
入った建物は、外から見るより暗かった。
窓は隣の建物に遮られ、入口から射し込む光も、階段までは届いていない。
頭上で靴音が響いた。
重なる音。
離れていく音。
「……三人かしら」
眼鏡の男は天井を見上げたまま、声を落とした。
「二階の構造はどうだったかしら……」
「さっき入った建物と同じだ」
「つまり、登ったら左右にお部屋ってことね」
巨漢の男が頷く。
階段に差し掛かったところで、眼鏡の男は片手を上げた。
前を進んでいた巨体が静かに止まる。
もう一度、耳を澄ませた。
何も聞こえない。
先ほどまで聞こえていた足音が、急に途絶えていた。
「警戒してるわね」
そのとき、左上で床を擦るような音がした。
眼鏡の男が視線を送る。
巨漢の男は小さく頷いた。
二人は互いの背を守るように、ゆっくりと階段を上がった。
前方は巨漢の男。
眼鏡の男は数段後ろにつき、階下へも注意を向けた。
「……ここか」
階段の先には短い踊り場があり、左右に扉が一枚ずつ並んでいた。
どちらも閉じている。
「誰が出てきても警戒は解かないで。うちのメンバーなら話は別だけども」
眼鏡の男は端末を取り出した。
通信は戻っていない。
眼鏡の男は、暗くなった画面を指先で軽く二度叩き、再びしまった。
「突入後、退避経路を確保したままクリアリング。相手の反応を見るわ。相手も気づいている前提で行動を」
巨漢の男が頷いた。
「この広さで、貴方に勝てるプレイヤーはそうそういないわ」
声には、冗談めいた余裕が混じっていた。
だが、眼鏡の奥の視線は左右の扉を捉えていた。
問題は、どちらか。
足音がしたのは左だった。
建物に入っただけで気配を消すような相手が、今になって不用意に音を立てるだろうか。
「……そう。左に来てほしいのね」
眼鏡の男は小さく笑った。
「三、二、一で右に突入するわ」
巨漢の男が、鉄製の大筒を構えた。
扉の正面に立つ巨体の横で、眼鏡の男はアサルトライフルを構える。
銃口を左の扉へ向けたまま、息を揃えた。
「三、二、一……Take it down!」
掛け声と同時に、巨体が踏み込んだ。
破城槌が叩き込まれ、扉が内側へ砕け散る。
巨漢の男は大筒を入口脇へ落とし、バリスティック・シールドを前へ回した。
破片を踏み越え、室内へ入る。
眼鏡の男も、その後に続いた。
部屋には、破壊音だけが響いていた。
剥き出しの柱。
窓枠から落ちる細い光。
人影も、想定していた気配もない。
「……いない?」
声が消えるより先に、背中に嫌な感覚が走った。
「動くな」
低い声が耳元に落ちる。
同時に、喉元へナイフが押し当てられた。
入口の内側。
扉をくぐった際に、背後へ回られた。
「あら? そのナイフで私を傷つければ貴方は赤ネームの仲間入り。いいの?」
「ここのエリアは問題ねえよ。……その脅しは通じない」
男は観念したように笑うと、アサルトライフルから手を離した。
「……そうだったわ。ここはプレイヤーも攻撃できたわね」
眼鏡の男がそう呟いた瞬間、目の前の巨体が勢いよく振り返る。
バリスティック・シールドが、眼鏡の男もろとも背後の影へ叩きつけられた。
体格からは想像できない速度だった。
躊躇もなかった。
衝撃に押され、ナイフが喉元を離れる。
眼鏡の男の身体も、床へ投げ出された。
背後にいた影は身を低くし、巨漢との距離を取っていた。
「おいおい、仲間だ──」
言い終える前に、巨漢はシールドを脇へ投げ捨てた。
振り抜いた身体を戻す動きに合わせ、背に回していたドラム式マシンガンを腰だめに構えた。
影が咄嗟に駆け出した。
マシンガンの銃口が、影の進路へ向いた。
連続した銃声が室内の空気を揺らし、銃口から出た光が室内を照らす。
だが、狙った場所を影はすでに抜けていた。
ばらけた弾丸がその背後を通過し、壁に無数の弾痕を刻んでいく。
速い。
床に片手をついた眼鏡の男は、その動きを追った。
影は室内を回り込み、壁を蹴る。
着地と同時に身を沈め、再び巨漢へ踏み込もうとした。
そのとき。
「刹那」
部屋の外から、冷静な声が響いた。
影が足を止め、入口に顔を向けた。
ハンドガンを構えた銀髪の少女が、入口へ一歩踏み込んでいた。
その視線が、巨漢の腕で止まる。
少女はすぐに銃口を下ろした。
「ストップ! ストップ!」
眼鏡の男も声を上げ、肩のスリングを外し、アサルトライフルを床へ置いた。
それを確認した巨漢が、マシンガンを下ろした。
銃声が止んだ室内に、薬莢の転がる音が残った。
────────
美咲は隣の部屋から、ゆっくりと顔を出した。
隣の部屋の入口には、アリスが立っていた。
その奥に、刹那。
先ほどまで銃を撃っていた大柄な男も、今は武器を下ろしている。
美咲は引き金にかけていた指をそっと外した。
部屋を横切り、アリスの隣へ駆け寄った。
「……二人とも、武器をしまいなさい」
アリスが静かに告げた。
美咲が銃を下ろすと、刹那もナイフを収めた。
アリスは一歩前へ出た。
「知らずとはいえ──大変失礼いたしました」
立ち上がる眼鏡の男へ、簡潔に頭を下げる。
「いえ、気にしないで」
男はあっさりと笑った。
「こちらも、荒っぽい突入をしたからね。驚かせたのは同じよ」
先ほどまで戦っていたとは思えないほど、柔らかな声音だった。
「……ありがとうございます」
アリスが頭を上げた。
その背中を見ながら、刹那が歩み寄ってきた。
「……誰?」
「私に聞かないでくださいよ……」
美咲が小声で返すと、アリスが振り返った。
小さく息を吐き、男たちの腕へ視線を向けた。
「《BCC》のメンバーよ。ワッペンがあるでしょう」
美咲もその視線を追った。
濃紺の円に、銀色の三本線。
言われてみれば、イオやクルツ、なこの装備にも同じものがついていた。
「美咲はともかく──刹那、貴女は気づきなさい」
刹那の眉間の皺が深くなる。
「……あー……」
少し考えたあと、肩をすくめた。
「悪い。じゃあ、改めて自己紹介お願いできます?」
その遠慮のなさに、眼鏡の男がくすりと笑った。
「確かに、私たちはイオほど目立つタイプじゃないものね」
軽く胸に手を当てる。
「アロマ。《BCC》副指揮官、兼アサルト」
続いて、隣の巨体へ視線を送った。
「で、こっちがロック。見ての通り、メインタンクよ」
ロックは短く一度だけ頷いた。
アロマが窓から見えない位置へ腰を落とした。
ロックもその隣で膝をつき、入口へ目を向けた。
「アルカディアの皆さんは、今日は何しに?」
アリスが、一瞬考えるように視線を逸らした。
「……観測班の捜索と保護です。何も聞いていないのでしょうか?」
アロマは首を傾げた。
「私たちは、クルツに観測班の捜索と周囲の確認を頼まれただけよ」
美咲はアリスとアロマを交互に見た。
自分たちが来ていることを、二人は知らなかった。
アロマはアリスの顔を見つめ、苦笑した。
「あの子ったら……言い忘れてたわね」
小さく息を吐き、気まずそうに眉を落とした。
「全面的にこちらに非があるわ。危険な目に遭わせてごめんなさいね」
アリスは首を横に振った。
「いえ。私たちも、事前に増援が来ると知らされていたのに不注意でした」
「いつ来るかも分からない増援を、いちいち気にしてられないでしょ」
「何も言わずに突っ込んできたのはそちらですしね」
刹那が横から口を挟んだ。
また、この人は好き勝手に言う。
美咲はその脇腹を軽く肘でつついた。
「刹那さん……!」
アロマは肩をすくめ、口角を不敵に吊り上げた。
「ちゃんと扉の前で言ったわよ? 撃墜せよってね」
アサルトライフルを拾い上げ、立ち上がる。
「まあ、何せよ。この件はお互い様でチャラよ」
「ありがとうございます」
アリスはそれ以上何も言わず、引き下がった。
「それで? あなたたちはこれから中心部に?」
「はい」
「そろそろってところで、そちらさんが突っ込んできたんですよ」
刹那の言葉に、アロマはわざとらしく口元へ手を当てた。
「あら! それは更にタイミングが悪かったわね。ごめんなさい」
この二人と自分たちの目的が同じなら、増援が合流したということでいいのだろう。
かなり、過激な合流ではあったが。
美咲は恐る恐る手を挙げた。
「あの……もしよかったら、お二人もご一緒にどうでしょう?」
「ええ、そのほうがいいわね」
アロマがロックを見る。
ロックは無言で頷き、シールドと破城槌を回収した。
五人は建物を出て、中心部へ向かった。
前方をロックが進み、アリスとアロマが周囲を確認する。
美咲はその後ろを歩いた。
最後尾には刹那がついている。
人数が増えたぶん、足音も増えた。
自分たちのものだと分かっていても、建物の間で反響するたびに、美咲は耳を澄ませてしまう。
「それにしても、刹那さん、凄いわね」
角の向こうを確認したアロマが、声を落としたまま話しかけた。
「私?」
「イオから聞いてはいたけど、優勝するだけあるわ。あのまま続けてたら、私たちが負けてたかしら?」
「いや。私の一撃なんてロックさんに防がれますから。防がれたところを挟まれたら、ちょっときついですよ」
刹那は後方へ目を向けながら答えた。
「勝てないとは言わないのね」
「そりゃ、続けてみないと分かりませんしね」
アロマが小さく笑う。
ロックは振り返らず、そのまま歩いていた。
美咲は建物の窓枠を、一つずつ確かめた。
何も動いていない。
通りの先にも人影はなかった。
「あの、アロマさんは《Zorn》を見ましたか?」
美咲が尋ねると、アロマが少しだけ顔を向けた。
「実際には見てないけど、映像とログだけは見たわよ」
その口元に笑みが浮かんだ。
「もちろん、勇敢なあなたの戦いもね」
「ゆ、勇敢だなんて……!」
美咲が慌てて否定すると、アロマが小さく笑った。
《BCC》の二人が加わったことは、心強かった。
先頭を歩くロックの背は大きい。
アロマも穏やかに話しながら、窓や路地へ絶えず目を配っている。
けれども、中心部へ近づくほど、胸のざわめきだけは大きくなっていった。
「観測班の方たちは、大丈夫でしょうか……」
アロマは進行方向を見た。
もう少し歩けば、中心部に入る。
そして、どこかに観測班がいるはず。
そう、信じたい。
「《Zorn》が動いてる感じもないし、大丈夫よ」
アロマが言った。
励ましではなく、事実を告げているような口調だった。
「ですよね」
大丈夫。
美咲が心の中で繰り返した瞬間。
行く先で、何かが崩れ落ちる轟音が響いた。
重いものが次々と砕け、地面へ叩きつけられていく。
遅れて、足元が揺れた。
ロックがシールドを構える。
アリスとアロマが銃口を上げ、美咲も正面へ銃を向けた。
何も現れない。
建物に遮られ、その先で何が起きたのかは見えなかった。
最後尾にいた刹那が、美咲の横を抜けていった。
「刹那さん、どこに?」
呼びかけに足を止め、刹那が前方を見据える。
「嫌な予感がする……私なら数分で着けるから向かう」
「待ちなさい。情報が少なすぎる」
アリスは前方を見つめたまま言った。
「は? 何かあってからじゃ遅いだろ」
刹那が顔をしかめる。
「もう一度言うわ。勝手な行動をしないで」
アリスの声が、より冷たく、強くなった。
「観測班の最終連絡位置はもう少し南。崩壊位置とはずれてるわ」
アロマも静かに告げた。
「……チッ。分かったよ」
刹那は足音を立てながら戻ってきた。
誰も、次の言葉を選ばなかった。
その瞬間だった。
音が鳴った。
だが、それは耳からではなかった。
歯の裏。
眼球の奥。
胸骨の内側。
触れてはいけない場所を、順番に撫でられる。
美咲は息を吸い損ねた。
視界が滲み、目の前の道が二重にずれる。
膝が折れた。
路面にぶつかった痛みだけが、遅れて伝わってきた。
立ち上がろうとしても、身体が動かない。
銃を握る指にすら、うまく力が入らなかった。
不快な音は、しばらく続いた。
それが途切れたあとも、美咲はすぐには顔を上げられなかった。
ようやく動くようになった手で、痛む頭を押さえ、ゆっくりと息を吸った。
前方では、ロックがシールドを構えたまま先を睨んでいた。
アロマは壁に片手をつき、もう片方の手で銃を支えている。
「これより先に行くなら、状況を把握してからでも遅くないわ」
アリスが言った。
声は落ち着いていたが、その視線は窓や路地の間を動き続けていた。
「いったん、遮蔽まで下がるわよ」
アロマが頷く。
ロックはシールドを正面へ向けたまま、一歩ずつ後退を始めた。
美咲も立ち上がり、前方を見た。
戻ってきていた刹那が、その場に居なかった。
「待ってください!」
アリスが振り返る。
美咲の視線を追い、そのまま周囲を見渡した。
残っているのは、美咲と、アロマとロックだけだった。
「あの子は……本当に、勝手なことを」
アリスは低く、ほとんど独り言のように呟いた。




