第16話 完敗
共同休憩室を出てから、なこはほとんど口を開かなかった。
隣を歩くその顔は、まだ少し強張っている。けれど、その足取りは、先ほどの沈んだ表情から想像するほど重くはなかった。
刹那に会いに行く。
その気持ちは、変わっていないらしい。
ただ、このまま刹那の前に立って、まともに話せるかと聞かれたら、少し怪しい気もした。
「なこさん」
美咲が声をかけると、なこがぎこちなく顔を向けた。
「な、なんでしょう!」
声が裏返っている。
美咲は苦笑いを浮かべた。
「先ほどのお部屋も、サジさんがデザインされたんですか?」
なこは一拍置き、小さく微笑んだ。
「いえ。あの部屋のデザインはセラ氏ですぞ」
「セラさんが……」
どこか優しく、落ち着いた空気の流れる部屋。その印象が、美咲の知るセラとうまく重ならなかった。
美咲は小さく頷いたあと、改めて尋ねた。
「セラさんって、ロビーで会った人ですよね?」
「ですです!」
ロビーでは、戻ってきたなこを目がけて抱きついていた。
なこも困ってはいたが、嫌がっているようには見えなかった。二人は仲がいいのかもしれない。
ならば、自分がまだ知らない彼女のことを、少し聞けるだろうか。
「セラさんって、どんな方ですか?」
「セラ氏ですか?」
なこは少し考えるように視線を上げた。
「少々、素直ではないところもありますが……優しい方ですぞ」
「優しい方……」
「はい。あの部屋でも、皆が落ち着いて休めるようにと、ずいぶん考えておりましたからな」
友人のことを話すなこの声からは、先ほどまでのぎこちなさが薄れていた。
美咲は、共同休憩室を思い返した。
あそこで感じた居心地のよさは、偶然できたものではなかった。
美咲が感じた刺々しさは、彼女の全てではないのかもしれない。
「着きましたぞー」
その言葉で、美咲は考えるのをやめた。
なこが扉の制御端末にカードをかざす。
開いた扉の向こうから、複数の銃声が流れ込んできた。
その中に、叫び声が混じっている。
怒鳴っているわけではない。ただ、何度も何度も、誰かに懇願しているような声だった。
美咲となこは、顔を見合わせた。
声のするほうへ視線を向けると、両手を合わせ、必死に頭を下げている青年が目に入った。
「あれって……えーっと」
エリア41で、刹那に代わって《Zorn》を引き受け、自分たちを助けてくれた青年。
「クルツさん?」
今にも土下座を始めそうなクルツの前には、アリスが立っていた。
腕を組み、冷たい目で彼を見下ろしている。
その近くにはイオ。
そして、笑いを堪えている刹那。
美咲は小さく息を吐いた。
「あの人たちは……何やってるんですか」
呟きが聞こえたかのようなタイミングで、イオがこちらへ顔を向けた。
なこが駆け寄り、美咲もその後を追う。
「イオ殿、先ほどぶりです」
「帰ってきたか。なこくんも一緒なのだな」
「ありがとうございました」
美咲が頭を下げると、なこは何のことかと首を傾げた。
美咲はアリスとクルツへ視線を戻した。
「これは、どういう状況なんでしょうか……」
イオは二人を見たあと、刹那へ顔を向けた。
「彼女に聞くといい」
美咲は腰に両手を当て、刹那の顔を下から覗き込んだ。
「せ・つ・な・さん?」
「いやー、焚き付けたら思いのほか面白いことになってさ。知らん間に射撃勝負になってた」
「勝負を提案したのは貴女でしょう」
クルツを見下ろしたまま、アリスが訂正する。
美咲は刹那を見つめた。
「焚き付けたって……何をしてるんですか」
「先に喧嘩をふっかけてきたのは、あっちだぞ」
刹那は笑みを浮かべたまま、クルツを親指で指した。
「イオ殿……」
なこもまた、困ったようにイオを見上げる。
「そんな目で見るな……私は止めようとしたが、気づいたら話が進んでいたんだ」
「もう一回! ラストチャンス! 最終回!」
その間も、クルツはアリスに頭を下げ続けていた。
アリスは微動だにしない。
「三戦三敗はメンタルが崩壊する! まじでラストにすっから!」
「貴方がラストと言うのは、これで四回目。ラストという言葉の意味を知っているの?」
「ラストがダメなら、劇場版ファイナル!」
「言葉を変えろという意味ではないのよ」
「頼むよー!」
隣で、なこが小さく吹き出した。
慌てて口元を押さえたが、その肩はまだわずかに揺れている。
美咲も、咎める言葉が見つからなかった。
アリスは観念したのか、ゆっくりと首を横に振った。
「これで本当に最後よ。もう二度と、貴方には付き合わな──」
言い終える前に、クルツの腰が九十度に折れた。
「あざーっす!」
アリスは口を開けたまま、わずかに目を細めた。
「よっしゃー! 次は俺が先攻な!」
クルツが元気よくシューティングボックスへ駆けていく。
「……勝手にして」
冷たく言い放つアリスの表情には、疲労の色が浮かんでいた。
「アリスさん、すごく疲れてますね……」
美咲が小声で呟く。
「私はああいうタイプ、結構好きだけど、アリスは苦手だろうな」
「じゃあ、止めましょうよ……」
美咲は苦笑いを浮かべた。
シューティングボックスに立ったクルツは、大きく息を吸い込み、ハンドガンを構えた。
それだけで、先ほどまでの軽さが抜け落ちる。
「イオ殿、クルツ殿はハンドガンなのですか?」
「ん? ああ。ショットガンならクルツ、スナイパーライフルならアリスくんが有利だからな。互いに平等にするなら、ハンドガンだろうと思ったんじゃないか」
「イオ殿が?」
「いや、クルツがだ」
正面では、一つの丸い標的が不規則に動いている。
開始の合図を待つ間、クルツは何度かハンドガンを握り直していた。
「普段、ハンドガンは使わない方なんですか?」
「クルツ殿がハンドガンを使う姿など、滅多に見られませんぞ」
なこが答えた直後、高い電子音が鳴った。
クルツのハンドガンが跳ねる。
弾を受けた標的が消え、次の標的が現れた。
一つ、また一つ。
銃口は滑らかに向きを変え、銃声の間隔は次第に短くなっていく。
「すごい……! どんどん速くなってますよ……!」
美咲の声が届いたのか、クルツの口元がわずかに上がった。
続く一発は、さらに早かった。
八発目を撃ったところで、クルツの動きが止まった。
「チッ……」
空になったマガジンを外し、床へ落とす。
新しいマガジンを差し込み、再び銃を構えるまでに、次の標的は大きく位置を変えていた。
クルツが慌てて銃口を振る。
乾いた銃声。
標的の縁に命中の光が走り、その姿が消えた。
「クッソ……!」
握り直し、次へ。
だが、先ほどまでの滑らかさは戻らなかった。
動く標的を追っては撃ち、すぐに次へ銃口を向ける。
弾は当たっている。
けれど、その位置は中心から外れ始めていた。
やがて最後の標的が消え、終了音が響いた。
電光掲示板に点数が表示される。
「八十二点。中盤に崩れた割には、悪くない」
イオの言葉に、クルツは机へハンドガンを叩きつけた。
「クッソ!」
「……焦りすぎだ」
「焦ってねーっすよ! むしろ落ち着いてた!」
「最初はな」
イオは静かに続けた。
「弾数は数えていたか? リロード後、なぜ雑に狙った?」
クルツが唇を尖らせ、口を閉じた。
「それと、いつも言っているだろう。武器や道具にあたるなと」
声は荒くなかった。
叱りつけるというより、言い聞かせるような、穏やかな口調だった。
それなのに、美咲まで背筋を伸ばしていた。
クルツは机の上のハンドガンへ視線を落とした。
「すんません」
「まったく」
「……イオさん、怒ると静かに怖いタイプだからな」
刹那が小声で呟く。
「武器の扱いが雑な人には、特に厳しいのですぞ」
「……気をつけます」
美咲は、深く息を吐くイオを横目に見ながら呟いた。
クルツはハンドガンの置き方をそっと直した。
それから、これ以上イオを刺激しないよう、忍び足でその場を離れた。
ほかの区画の銃声が、妙にはっきりと聞こえる。
その中を、アリスが射撃位置へ進んだ。
端末を操作し、正面へ向き直る。
再び現れた丸い標的が、不規則に動き始めた。
アリスは静かにハンドガンを構えた。
肩に余計な力はなく、銃は最初からそこに在ったかのように自然に収まっている。
先ほどまでクルツに向けていた苛立ちは、もう見えなかった。
開始音。
乾いた銃声が響いた。
一発。
間を置かず、もう一発。
銃口の動きに、迷いがない。
次の標的を捉えると、すぐに銃声が続く。
消える。
次も、その次も。
誰かが息を呑む音がした。
八発目の銃声とともに、アリスの手が動いた。
マガジンが抜け、新しいものへと入れ替わる。
美咲がその動きを目で追っている間に、ハンドガンは再び正面へ向けられていた。
銃声。
標的が消える。
その次も、同じように。
クルツのときのように、撃つたびに間隔が短くなることはなかった。
最後の標的が消えるまで、アリスの姿勢は一度も崩れなかった。
終了音。
アリスは何事もなかったように銃を下ろした。
美咲は、自分が息を止めていたことにようやく気づいた。
アリス以外の全員が、電光掲示板へ目を向ける。
「九十七点。リロード後の一発だけ、中心から外れたな」
イオが告げた。
「当てることを優先したのがいけなかったわね。もう少し落ち着くべきだったわ。今後、改善するわ」
「いや……改善って……」
刹那が呆れたように笑う。
美咲には、どこが落ち着いていなかったのか、まるで分からなかった。
アリスは少し離れた位置で眺めていたクルツへ顔を向けた。
「何か、言うことは?」
「ハンドガンじゃなければ、負けねーのに……」
俯いたクルツの声は小さく、美咲の耳にもかろうじて届く程度だった。
「聞こえないわ。はっきり言いなさい」
アリスが冷たく言い放つ。
クルツは顔を引きつらせ、頭を抱えて叫んだ。
「俺の負けだよ! 完敗でした!」
「よろしい」
アリスはどこか勝ち誇ったようにそう告げると、クルツに背を向けた。




