第14話 不安の正体
なこが顔を上げた。
「……美咲氏?」
「隣、いいですか?」
「え? あっ、どうぞ」
美咲は、なこの隣に座った。
静かな室内に、ソファが軋む音が響く。
穏やかな表情を保ったまま、美咲は正面を見つめた。
なこを探してここまで来たが、かける言葉は何も思いついていない。
まずは、軽い雑談から。
そう考えたものの、共通の話題など思いつかなかった。
なこのことは、まだほとんど知らない。
拠点のことを話そうか。
今日見てきた施設の話をすれば、少しは盛り上がるかもしれない。
美咲が脳内会議を始めている横で、なこが首を傾げた。
こちらを見ている。
何か言わなければと思うほど、言葉が出てこない。
なこの視線が痛い。
絶対に、変な人だと思われている。
「そういえば、お話はうまくいったのですか?」
なこの言葉に、美咲は勢いよく顔を向けた。
「は、はい! アリスさんがうまくまとめて、依頼を受けることになりました!」
「さすがはアリス氏ですな。サジ殿とのやり取りは壮絶だったのでは?」
「そうなんですよ。二人がやり取りしてる間、ずっとピリついてて……もう、窒息死するかと思いましたよ」
「目に浮かびますな」
なこが小さく頷いた。
ようやく話せることが見つかり、美咲も少し肩の力を抜いた。
「で、正式に受けることになって部屋を出たんです。息が詰まりそうだったって言ったら、アリスさん、なんて言ったと思います?」
なこは口元に指を添えて、首を傾げた。
「私は感じない、とかですかな?」
美咲は小さく咳払いをした。
両目を閉じ、少し顎を上げる。
「要件が破綻していなければ、気負う必要はないわ。私にかかれば造作もないことよ」
声色を変え、ついでに後ろ髪をかき上げてみせた。
なこが両手で口元を押さえる。
堪えきれなかった笑い声が、指の隙間からこぼれた。
「まあ、『私に』って部分は誇張表現なんですけどね」
髪をかき上げたポーズのまま、片目を開けて補足する。
「でも、言いそうですぞ」
なこの声が弾んだ。
美咲は手を下ろし、ほっと息をついた。
「……やっと、笑ってくれましたね」
「え?」
「刹那さんの控室で、初めてなこさんを見た時より、落ち込んでるように見えたので」
「そ、そんなことないですぞ!」
なこが快活に笑った。
けれど、先ほどとは違う。
どこか無理をしているような、そんな笑顔に美咲には見えた。
なにか困ってることがあるなら、相談に乗りたい。
けれど、初めてちゃんと会話する自分が、聞いてもいいことなのだろうか。
それだけが引っかかって、次の言葉をためらった。
「……そうですか」
美咲は正面へ視線を戻した。
なこの笑い声が途切れる。
離れた席で、誰かがカップを置く音がした。
「……美咲氏」
「なんでしょう」
「刹那氏は、大会のことを何か話しておられましたかな?」
美咲は少し考えた。
大会を終えてからの刹那との会話を、順に思い返す。
「いえ……あれから、大会の話はしていないんです」
「私との試合のことも?」
「はい。なこさんのことも、何も言ってませんよ」
「それは……なぜですか?」
美咲は口を開きかけ、止めた。
同期ズレ。
システムエラーによる、不本意な決着。
刹那の怒声が耳に蘇る。
理由に心当たりはあった。
けれど、あの時の刹那の言葉を、ここで自分から話していいとは思えなかった。
「私からは……お話できませんが……とにかく、何も言ってませんね」
「……そうですか」
なこは膝の上へ視線を落とした。
重ねた両手の指が、ゆっくりと組み合わされた。
「……私のせいでは、ないのですかな」
「なこさんのせい?」
思いもよらない言葉に、美咲は声を漏らした。
なこは一瞬目を見開き、唇を結んだ。
二人の間に静寂が落ちる。
美咲が次の言葉を探していると、なこは俯いたまま、声をこぼすように話し始めた。
「わ、私が不甲斐ないから……刹那氏は、あんなふうに言われているのではないでしょうか……」
刹那氏が、あんなふうに。
その言葉に、美咲は眉を下げた。
大会から数日後、ナナに見せられたものを思い出す。
ナナは不機嫌な表情で、携帯端末を美咲へ差し出してきた。
画面には、公式フォーラムのスレッドが表示されていた。
『瀕死の相手にあれはやり過ぎ』
『試合終了してなかったし、ボリスも動いてたから必要だろ』
『なこ、手も足も出なかったな』
『一思いにやらないで、一回喉元で止めたの性格悪いだろ』
もちろん、そればかりではなかった。
刹那を擁護し、称賛する書き込みの方が明らかに多い。
それでも、否定的な言葉は目に留まった。
ナナはその書き込みに対して、普段以上に怒っていた。
美咲は、怒りより先に胸が痛んだ。
知らない人たちが、友人について一方的に言葉を重ねている。
画面を見ているうちに、読むのがつらくなったことを覚えていた。
「……《BCC》でも、言っている人がいたのです」
なこの声に、美咲は意識を戻した。
「あれは、やり過ぎだと」
膝の上で組まれた指に、力がこもる。
「準決勝だったのに……私は、何もできませんでした。刹那氏にも、見ていた人たちにも、もっと……」
なこは言葉を切った。
美咲は黙って、その続きを待った。
「もっと、まともな試合を見せられたはずなのに。降参もせずに粘って……でも、最後は怖くなって……」
俯いた顔が、さらに下がる。
「私がちゃんと戦えていれば、刹那氏があんなふうに言われることも、なかったのではないかと……」
なこの肩が小さく震えた。
美咲は何かを言いかけたが、なこが息を吸うのを見て、口を閉じた。
「だから……どう思っているのか、聞きたかったのです。あんな試合をして、迷惑までかけた私を……」
言葉が途切れる。
なこは一度唇を噛み、ようやく続けた。
「でも、聞いてしまったら……もう、話してもらえなくなるかもしれないと思って」
美咲は、拠点の前で見たなこの姿を思い出した。
何かを話そうとしては、言葉を飲み込んでいた。
その理由が、ようやく分かった気がした。
「本当は……刹那氏とも、美咲氏とも、アリス氏とも。もっと、仲良くなれたらと……思っていたのですが……」
美咲は、なこの手へ視線を落とした。
強く組まれた手が震えている。
その手に、そっと自分の手を添えた。
「なこさんが、ご自分を責めることはないですよ」
なこの指が、わずかに動いた。
「なこさんは、あんな大舞台で一生懸命、刹那さんと向き合って頑張ったじゃないですか」
「そんなこと……」
「私なら、その前に怖くて逃げ出してますもん。それに、刹那さんは、なこさんのせいだなんて言いません」
そこに迷いはなかった。
大会をどう受け止めているのか、刹那の考えていることを全て知っているわけではない。
自分へ向けられた批判を、対戦相手のせいにする。
美咲の知る刹那は、そんな人ではない。
なこが顔を上げた。
潤んだ瞳が、美咲を見つめる。
本当に、と確かめるように。
そうであってほしいと願うように。
「あの人、ちょっと口と態度が悪いですけど、優しい人なんですよ?」
美咲は少し笑った。
そして、一度目を伏せ、小さく息を吸うと、改めてなこを見つめた。
「もし、なこさんがよかったら、一緒に会いに行きませんか?」
「会いに……?」
「不安に思ってることを、全部話す必要はないです。ただ、さっきみたいにお話しましょ?」
なこは答えず、美咲の顔を見つめていた。
美咲も急かさずに待った。
やがて、なこの視線が、重なった手へ落ちる。
「私が……行ってもいいんですか?」
「もちろん。刹那さんも喜ぶと思います」
「刹那氏が……喜ぶ?」
なこが首を傾げた。
その耳元に、美咲は顔を近づけた。
まるで、この場にいない刹那にも聞かれてしまうかのように囁く。
「……友達少ないので」
そして、口元に指を一本添えて、無邪気に微笑んだ。
「今言ったことは、刹那さんには内緒ですよ?」
美咲の笑顔につられたのか、なこも笑った。
「……はい!」
その返事は、もう先ほどのように沈んでいなかった。
重ねた手はそのままに、柔らかな声が、部屋の温かさに溶け込んでいった。




