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第12話 契約

 ハルが扉を三度ノックする。


 しかし、中から返事はなかった。


 ハルはしばらく待つと、わずかに眉を下げた。


「……入りますよ」


 そのまま返事を待たずに扉を開けて、中に入っていった。


「どうぞ」


 何事もなかったように促され、美咲たちも後に続いた。


 部屋はダークブラウンを基調とし、重厚な空気が漂っていた。


 目立った装飾はなく、中央に大きな机と、それを挟むように椅子が並べられていた。


 その最奥に、白髪白髭の老人男性型アバターが座っている。


 ただそこにいるだけで、美咲の背筋が伸びた。


 先ほどハルが小声になった理由を、美咲は少しだけ理解した。


 そんな空気を意に介さず、ハルが声をかけた。


「サジさん、連れてきましたよ。ARCADIAの御三方です」


 サジは答えなかった。


 深く刻まれた皺の奥から、三人の顔を順に見た。


 続いて、身につけている装備へ視線を移す。


「イオから話は聞いている。お前たちのことも知っている。形式的な挨拶は不要だ。座ってくれ」


 低く、力強い声だった。


 促され、三人はサジと向かい合う形で席に着いた。


 中央にアリス、その左右に刹那と美咲が並んだ。


 ハルはサジの斜め後ろに立つ。


 三人が席に着いたことを確認し、サジは口を開いた。


「足を運ばせてすまなかった。単刀直入に言う。《Zorn》討伐に、力を貸してほしい」


 イオを通したものではない。


 BCCのクランマスターから、改めて告げられた正式な依頼。


 アリスはサジを見据えたまま、静かに答えた。


「返答の前に、詳しい話を聞かせていただけますか?」


「無論だ」


 サジが机に手を触れる。


 中央にホログラムが浮かび、エリア41の地図と、複数の観測記録が並んだ。


「これは、お前たちが撤退したあとの記録だ」


 表示された映像の中で、《Zorn》が一体の機械生命体を地面へ叩きつけていた。


 歪んだ両腕が装甲を突き破る。


 動きを止めた機械生命体へ覆いかぶさると、その輪郭が徐々に崩れ、《Zorn》の身体へ吸い込まれていった。


 美咲は、戦車型を襲ったあの瞬間を思い出す。


「昨日の戦闘後も、周囲に残っていた機械生命体を破壊し、吸収している。そのたびに身体は肥大化している」


 映像が切り替わる。


 次に映った《Zorn》は、崩れた建物の間で動きを止めていた。


「現在は活動を停止している。だが、しばらくすると再び動き出し、別の個体を探し始める。間隔に規則性はない」


「眠っているわけではない、ということですか?」


 美咲が尋ねると、サジが頷いた。


「そう判断している。放置すれば、どこまで巨大化するか分からん。行動範囲が中心部の外まで広がれば、封鎖だけでは済まなくなる」


 ホログラムの地図に、中心部を囲む赤い線が表示される。


「その前に討つ」


 短い言葉に迷いはなかった。


「作戦では、BCCの本隊が《Zorn》を引き受ける。だが、中心部の外には、まだ複数の機械生命体が残っている」


 赤い線の外側に、いくつもの反応が追加された。


「戦闘中に本隊へ近づかれても困る。《Zorn》に吸収されれば、さらに状況が悪化する。別働隊と共に、周辺の排除をお前たちに任せたい」


 美咲は地図へ目を落とした。


 頼まれたのは、《Zorn》との直接戦闘ではなかった。


 それでも、すぐ近くにあの異形がいる場所で戦うことに変わりはなかった。


「一つ、よろしいでしょうか」


 アリスの声に、サジが視線を戻す。


「何だ」


「イオは、私達が《Völlerei》と交戦したことを、協力を求める理由に挙げていました」


「ああ」


「その経験を実績として評価しているのなら、訂正しておきます」


 アリスは一度も視線を逸らさなかった。


「私と美咲が《Völlerei》を撃退できたことに、再現性はありません。あれは複数の偶然が重なった結果です。同じ状況になって、同じ結果を出せる保証はありません」


 美咲は膝の上で手を握った。


 あの時、自分にできたことは多くない。


 刹那を助けられず、アリスに従い、ただ必死に引き金を引いただけだった。


「構わん」


 サジの返答は短かった。


「再現を求めてはいない」


 アリスの目が、わずかに細くなる。


「お前たちに《Zorn》を討てと言っているわけではない。未知の相手を前に、既知の敵と同じだと思い込まない者が必要だ」


 サジは三人を順に見た。


「一度、常識の通じない相手と戦い、それでも再び未知の敵の前に立てる。それで十分だ」


 美咲は何も答えられなかった。


 隣の刹那は、黙ってサジの言葉を聞いている。


「説明は以上だ」


 サジがホログラムを消した。


「単刀直入に聞こう。アリス、お前の要求は何だ?」


 刹那と美咲の視線が、中央へ向かう。


 アリスは間を置かずに答えた。


「要求は一つです。作戦中、《ARCADIA》をBCCの指揮下へ入れないでいただきたい」


 部屋に短い沈黙が落ちる。


「BCCの指揮では不満か」


「ええ」


 アリスは静かに肯定した。


「今回の相手は未知数です。攻撃手段も、特性も、十分に把握できていない。その状況で、信用しきれていない者の判断へ二人の命を預けることはできません」


 サジの視線が、刹那と美咲へ向く。


 美咲は思わず背筋を伸ばした。


 刹那は腕を組み、何も言わず前を見ている。


「故に、二人の指揮は私が執ります。《ARCADIA》は独立した一つの部隊として扱っていただきたい」


「独立した部隊が予定外の行動を取れば、本隊の生存率が落ちる」


 サジの声が、さらに低くなる。


「好き勝手に動く者を、作戦区域へ入れるつもりはない」


「作戦に従わないとは言っておりません」


 アリスの声は変わらない。


「目的と行動範囲は共有します。作戦全体に影響する変化があれば、即座に報告する。通信と位置情報の共有にも応じます」


 一度言葉を切り、アリスは続けた。


「その範囲内で、私が二人の行動を判断するという意味です」


「本隊が撤退しても、お前たちだけで戦いを続ける可能性があるということか」


「その時の状況次第です」


 即答するアリスに、サジの眉がわずかに動いた。


「救援は保証できん」


「必要ありません。私達の判断で残る以上、その責任も私達が負います」


 張り詰めた空気の中、二人の視線がぶつかり合う。


 どちらも譲ろうとしていない。


 それなのに、美咲には二人が反発しているようには見えなかった。


「三つ、条件がある」


 先に口を開いたのはサジだった。


「通信と位置情報は常に共有する。作戦区域を変更する場合は、事前に報告しろ。本隊の行動に影響する事態を確認した場合、報告なしに対処するな」


「報告のうえ、こちらで対処することは?」


「止めはしない。こちらも、可能な限り援護する」


「それであれば、問題ありません」


 サジは一度だけ、深く頷いた。


「分かった。独立部隊としての参加を認める」


「ありがとうございます」


「礼は要らん。互いに生存率を上げるための取り決めだ」


 アリスも小さく頷くと、刹那に視線を送った。


 それに応えるかのように、刹那は軽く手を挙げた。


 続けて美咲にも視線を送る。


 どんなことであれ、美咲の気持ちに変わりはなかった。


 美咲は力強く頷いた。


 アリスは二人の反応を確認すると、サジに視線を戻した。


「では、依頼をお受けします」


 その一言で、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。


 美咲は息を吐き、膝の上で握っていた手を開いた。


「作戦会議はいつになりますか?」


 アリスが続けて尋ねた。


「気が早いな」


 サジが短く返した。


「観測部隊が現地を監視している。詳細を詰めるのは、その報告を待ってからだ」


「具体的な時期は?」


「まだ決められん。今回は契約だけだ。追って連絡する」


「分かりました」


 サジの言葉を合図に、ハルが扉へ向かった。


「皆さん、お疲れ様でした」


 ハルが扉を開け、三人へ微笑んだ。


「もしよければ、クラン内を見学していってください。イオさんにも声をかけておきますので」


 三人は席を立ち、部屋を後にした。


 最後に出た美咲は振り返り、ハルとサジへ頭を下げた。


 扉が閉まる。


────────


 三人を見送ったハルが、大きく息を吐いた。


「ふぅ……アリスさん、すごいですね」


「……あれで十六だったか」


 サジが低く呟く。


「そうですよ。本当なら末恐ろしいですよね」


「本当なら、とは何だ」


「いえ、十六歳であの落ち着きは、少し疑いたくなるじゃないですか」


 ハルが冗談めかして笑った。


「サジさんの圧迫面接にも、全然怯んでませんでしたし」


「圧迫面接などしていない」


 サジは即座に切り捨てた。


「それより、お前から見て、彼女たちはどう見えた」


「どうと言われても……戦術や実力については、まだ何とも」


「違う。そんな話はお前に期待していない」


 意図を察し、ハルは少し考え込んだ。


「そうですね……三人とも、性格も考え方もバラバラなのに、ちゃんとまとまっている。そんな印象です」


 サジがゆっくり頷く。


「アリスがいるからか」


「いえ。アリスさんではありません」


 ハルは静かに首を横へ振った。


「おそらく──美咲さん。彼女です」

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