第10話 返事の前に
アリスの言葉に、イオは一度頷いた。
「分かった。私が案内しよう。出発する前に、少し雑談でもどうかね?」
「そんな時間があるのかしら?」
アリスが窓の外へ視線を向けた。
昨日見た《Zorn》は、BCCの記録に残された姿より、ずっと大きくなっていた。
今もあの場所で何かを取り込んでいるのかもしれない。
イオはしばらく返事をせず、三人へ顔を向けた。
「……そうだな。無駄にするべきではないな」
椅子を引く音がして、美咲も立ち上がる。
だが、アリスは席を離れなかった。
「その前に、三人で話をしたいの。少し席を外してもらえるかしら」
「承知した。その間、追い出してしまった彼らの相手をしているよ」
イオがなこへ目を向ける。
なこは頷き、彼に続いて部屋を出た。
扉が閉まるまで、美咲はその後ろ姿を見送っていた。
「さて」
アリスの声に振り返った。
「BCCからの依頼について、貴女達の考えを聞かせて」
刹那は椅子の背に身を預けたまま、腕を組んだ。
「私からは特にねえよ。イオさんの頼みだし、お前が受けるなら付き合う。断るなら、それでもいいし」
「美咲は?」
急に問われ、美咲は言葉を探した。
昨日の戦闘を思い出す。
銃を撃っても、あの異形は止まらなかった。
BCCの人たちが駆けつけなければ、今ここで話せていたかどうかも分からない。
「……困っているなら、手を貸したいです」
怖くないわけではなかった。
自分に何ができるのかも、まだ分からない。
「昨日、セラさんはずいぶん刺々しかったですよね。それに、さっきのなこさんも、ずっと暗い顔をしていました」
なこの視線が、一度だけ刹那へ向いたことを思い出す。
「二人がそうなっている理由は分かりません。でも、もし《Zorn》のことが関係しているなら……何とかしてあげたいです」
話し終えると、アリスはしばらく美咲を見つめていた。
「気持ちは分かったわ」
それから、テーブルの上で指先を揃える。
「けれど、昨日の戦闘を考えて。あれは、こちらの攻撃がほとんど通らなかった相手よ。しかも、今後も成長を続ける可能性がある」
「はい」
「《Völlerei》を撃退したことも、今回の勝算にはならないわ。あのときは、貴女と私が生きて戻れたこと自体、再現できるとは思えないもの」
美咲は、すぐには頷けなかった。
暗闇の中へ消えていった《Völlerei》。
あの場に残された刹那の持ち物。
思い出すたびに、胸の奥が冷える。
「分かってます。それでも、何も聞かずに断るのは……」
「ええ。だから、向こうの話を聞きに行くのよ」
アリスは静かに言った。
「相手の作戦と、こちらに求める役割を確かめる。その上で、こちらの条件を提示するわ」
「条件?」
「《ARCADIA》をBCCの指揮下には置かない。協力するとしても、私たちは私たちの判断で動く」
刹那が腕を解いた。
「向こうが認めなかったら?」
「断るわ」
迷いのない答えだった。
「私ひとりならともかく、貴女達の命まで、別のクランの判断に預ける気はないわ」
美咲は思わずアリスを見た。
普段通りの、感情の読み取れない冷たい表情だった。
刹那が椅子から立ち上がる。
「じゃ、もう話すことはねえな」
「まだ結論は出していないわ」
アリスが顔を上げた。
「満場一致で、助けるってことで」
刹那はそう言って、扉へ向かった。
アリスは否定しなかった。
呆れたように息をついてから、美咲に視線を向ける。
「行きましょう」
美咲は頷き、二人のあとを追った。
ロビーへ出ると、聞き慣れた声が飛び込んできた。
「えー、本当ですか?」
ナナがイオの顔を、正確には、そのガスマスクを見上げていた。
「ああ。嘘じゃないよ」
隣でれんも物珍しくガスマスクに視線を向けていた。
「それで、いつもそれをつけてるんですね」
少し離れたなこは、二人の会話を黙って聞いていた。
何の話をしていたのだろう。
美咲が聞こうとしたところで、イオがこちらを振り向いた。
「話は済んだかね?」
「ええ。案内をお願いするわ」
アリスはそれだけ答えた。
イオは頷き、扉へ向かった。
ナナはまだガスマスクを気にしている様子だったが、美咲たちに気づくと手を振った。
仮拠点を出て、リヴェラへ向かう。
先頭を歩くナナとれんは、イオに話しかけていた。
その少し後ろになこ。
美咲と刹那はさらに後ろを歩き、アリスが最後尾に続く。
なこの歩幅は、決して遅くない。
けれど、前の三人との距離は縮まらなかった。
「どうしたよ?」
隣から声がして、美咲は刹那へ顔を向けた。
「なこさん、控え室で会ったときと印象が違うなって思いまして。もう少し、おしゃべりな方だと思ったんですけど……」
刹那が、なこの後ろ姿を見た。
「そうか?」
「はい。私は、そう感じました」
「別に全員が仲いいってわけでもないし、話すことがなければあんなもんだろ」
そうなのだろうか。
美咲には、なこが何か話そうとしてやめた、そう見えた。
さっきも一度顔を上げて、結局言葉にしないまま目を伏せていた。
いろいろな理由が頭の中を巡るが、結局答えは出てこなかった。
「そういう感じじゃないと思うんですよね」
「まあ、話すタイミングなんていくらでもあるだろうし、気になるなら後で声かけてやれよ」
「……はい。そうしてみます」
美咲は、脳内に渦巻いた違和感を吐き出すように、小さく呟いた。
やがてリヴェラへ着くと、ナナとれんは商業区のある西へ向かった。
「じゃ、私たちはここで。今日除け者にした埋め合わせ、楽しみにしてるから!」
「か、考えておきますね」
当然といったナナの言葉に、美咲は苦笑を浮かべた。
二人と別れ、美咲たちはクラン居住区のある東へ進む。
並ぶ建物を見ながら、美咲はBCCの拠点を想像した。
ARCADIAの仮拠点を基準に考えれば、大手クランのBCCなら三階建てくらいだろうか。
だが、イオとなこの後ろを歩くうち、建物の向こうに見覚えのある影が現れた。
周囲より頭ひとつ高い、オフィスビルのような建物。
歩くほどに、近くなる。
まさか。
「刹那さんって、BCCの拠点に行ったことありますか?」
「あー、そういや実際に行ったことはないな」
「なるほど」
刹那が首を傾げるが、美咲は気にせず少し歩みを緩めた。
そして、後ろから来るアリスの隣に並んだ。
「アリスさん」
「何かしら」
「BCCの拠点に行ったことって、ありますか?」
「ないわね」
「見たことは……?」
「あるわよ。というより、嫌でも目に入るわね」
「それって──」
「ここだ」
イオが足を止めた。
美咲も立ち止まり、顔を上げる。
目の前にそびえていたのは、一面をガラスで覆われたビル。
以前、演習区へ向かう途中で遠目に見た、あの建物だった。




