第9話 こたえ
静かな問いかけに、部屋に漂う紅茶の香が薄まった気がした。
イオは間を置き、口を開いた。
「単刀直入に言おう。《Zorn》を生み出したのは、我々かもしれない」
「BCCが?」
刹那が訝しげに眉を寄せた。
「ああ。アリスくん、私の端末を」
アリスは机に接続された端末を手に取り、イオに差し出した。
イオはそれを受け取り、操作した。
並んでいた記録が消え、代わりに一体のアンドロイドに関する観測ログが表示された。
昨日対面した異形とは違う。
人と変わらない大きさの、何の変哲もないアンドロイドだった。
「少し前、我々はエリア41での依頼を受けた。その途中で保護したアンドロイドだ」
「保護?」
「損傷して動けなくなっていた。街まで連れ帰る予定だったのだが、移動中に複数の機械生命体と遭遇した」
イオがログを先へ送る。
表示されたのは、一行を取り囲む複数の機械生命体の反応と、徐々に消耗していくBCCメンバーの記録だった。
「全員で離脱するには、このアンドロイドを連れていく余裕がなかった」
「それで、置いて逃げたってことか」
刹那の声がわずかに低くなる。
「そうだ」
イオは言い訳をしなかった。
「その場にいたメンバーの生存を優先した。BCCとしては、間違った判断ではない」
イオは一度言葉を切った。
「それでも、翌日には回収のために同じ場所へ向かった。そこで発見したのが、変異したあのアンドロイドだ」
イオが新たなログを表示する。
個体識別情報は、先ほどのアンドロイドと一致していた。
しかし、続く記録には、すでに大きく変形した身体の特徴が残されている。
膨れ上がった外装。
角のように歪んだ両腕。
「この時は、まだ現在ほど大きくはなかった。その後、周囲の機械生命体を破壊し、取り込むたびに巨大化していった」
「中心部に機械生命体がいなかったのは……」
美咲が呟く。
「《Zorn》が、すべて食らったからだ」
イオが頷いた。
あの場所だけが不自然なほど静かだった理由。
美咲たちが逃げる直前、《Zorn》が目の前のプレイヤーを無視して戦車型の機械生命体を攻撃した理由。
そのすべてが、一つに繋がっていく。
「貴方たちへの怒りが、あの個体を《Zorn》へ変えた。そう考えているのね」
「現段階では仮説にすぎない。プレイヤーの行動で、ユニークエネミーが生まれるなど聞いたこともない。だが、無関係だと切り捨てられる材料もない」
アリスはカップに口をつけた。
その表情に変化はない。
「それで、中心部を封鎖していたのか」
刹那の言葉に、イオが頷く。
「被害を広げないためにな。何度か戦闘も試みたが、君たちが経験した通り、有効な損傷は与えられなかった」
「だったら、最初からそう説明すればよかっただろ」
「確証のない情報を外へ出すわけにはいかなかった。それに、原因が我々にある可能性を公表すれば、無用な混乱を招く」
「だからって、黙って銃口を向けんのはどうなんですか?」
「その点については、すでに謝罪したつもりだ」
「刹那」
アリスの冷たい声に、刹那は肩を竦めた。
「分かってるよ」
そう言って、背もたれへ身体を預ける。
その直後、なこの視線がわずかに持ち上がった。
けれど、刹那が顔を向けるより先に、また膝の上へ落ちてしまう。
美咲は、二人の間に生まれた一瞬のすれ違いを、黙って見つめていた。
「話は理解したわ」
アリスがカップを置く。
「けれど、それだけなら、私を待つ必要はなかったはずよ」
「ここからが本題だ」
イオはアリスへ向き直った。
「BCCは、《Zorn》の討伐を検討している。しかし、我々だけでは分からないことが多すぎる」
「それで?」
「《Völlerei》と交戦し、撃退した君たちの知見を共有してもらいたい。可能なら、討伐にも協力してもらいたいと考えている」
美咲は無意識に息を呑んだ。
昨日は、逃げるだけで精一杯だった。
攻撃はほとんど通らず、BCCの助けがなければ無事に戻れたかも分からない。
あれと、もう一度戦う。
その言葉が現実味を帯びるより先に、美咲の視線は正面へ向いた。
なこは俯いたまま、膝の上で両手を重ねている。
彼女も一緒に戦うのだろうか。
「彼女も本作戦に参加するのかしら?」
美咲が抱いた疑問を、アリスが先に口にした。
なこの肩がわずかに揺れた。
「いや。今日、なこくんが来たのは、私の付き添いだ。作戦には関係ない」
「付き添い?」
アリスはなこからイオへ視線を戻した。
「貴方に必要とは思えないわ」
「女性ばかりの場所だ。私だって緊張するさ」
刹那が呆れたようにガスマスクを見つめた。
「よく言うよ」
「そうかね?」
イオの声色は変わらない。
アリスも、それ以上は追及しなかった。
けれど、美咲には分からなかった。
本当に付き添いだとして、作戦に関係がないのなら、彼女でなくてもいいはずだ。
イオの言葉はどこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。
ガスマスクに隠された表情からは、何も読み取れない。
「一つ、確認させてもらうわ」
アリスが改めてイオを見る。
「この依頼について、貴方にはどこまでの権限があるのかしら?」
「話を伝え、君たちの返答を持ち帰るところまでだ」
「そう」
アリスは短く答え、ティーカップへ視線を落とした。
「なら、ここで返答することはないわ」
「断るということか?」
「そうは言っていない」
アリスの碧眼が、真っ直ぐにイオへ向けられる。
「貴方を信用していないわけではない。けれど、知り合い同士の口約束に、何の効力もないでしょう」
イオは何も言わなかった。
「本当に私たちの力を借りたいというのなら、遣いを寄越すのではなく、相応の権限を持つ者が直接話すべきよ」
「もっともだ」
イオは素直に頷いた。
「なら改めて、クランマスターをこちらへ──」
「その必要はないわ」
アリスが言葉を遮る。
「貴方がこの話を持ち帰り、向こうで判断を仰いだあと、今度はその者がこちらへ来る。非効率よ」
「では……」
アリスは残っていた紅茶を飲み干し、静かにカップを置いた。
「こちらから、直接伺いましょう」




