第6話 正しい言葉
移動を終えた六人は、刹那と美咲が最初に彼らと出会った交差点まで戻ってきた。
周囲には、戦闘の痕跡が残されている。
ひび割れた路面。
壁面に刻まれた弾痕。
無理に進路を変えた機械生命体がぶつかったのか、街灯の一本が根元から折れ、道路を塞ぐように倒れていた。
美咲はそこで足を止めると、周囲へ視線を巡らせた。
追ってきている気配はない。
あの異形のアンドロイドも、いつの間にか姿を消していた。
「ここまで来れば、もういいでしょ」
セラが端末を開きながら言った。
刹那が顔を向ける。
「さっさとどっか行って」
セラは吐き捨てた。
刹那がわずかに眉を動かした。
けれど、今度は何も言い返さない。
小さく息を吐くと、そのまま身体の向きを変え、自分たちが最初に歩いてきた道へ戻っていった。
「あ……」
美咲は反射的に声を漏らした。
離れていく刹那の背中。
それを、二人の男が気まずそうに眺めている。
クルツは呆れたように口元を歪め、セラはすでに興味を失ったかのように端末を操作していた。
その様子を見ながら、美咲は胸元に手を添えた。
刹那の気持ちは分かる。
最初に出会ったとき、二人はわけも分からないまま銃口を向けられた。
ここから先は危険だと忠告されるだけで、まともに取り合ってすらもらえなかった。
セラも、初めからどこか刺々しかった。
刹那の態度だけが悪いとは、美咲には思えない。
それでも、彼らは助けに来てくれた。
忠告を無視して中心部へ入り、危険な目に遭った二人を見捨てなかった。
セラがあの機械生命体を引きつけてくれなければ、今頃どうなっていたか分からない。
クルツたちが前線を引き継いでくれなければ、逃げ切ることもできなかったかもしれない。
それなのに、何も言わないまま立ち去るのは違う。
そう思った。
けれど、美咲の足はすぐには動かなかった。
刹那は明らかに機嫌を悪くしている。
ここで彼らの肩を持つようなことを言えば、刹那をもっと怒らせてしまうかもしれない。
嫌われてしまうかもしれない。
刹那とアリスと出会う前は、こんなふうに誰かの背中を追いかけることもなかった。
今は、その背中を追いかけたいと思っている。
この人と一緒にいたいと思っている。
だからこそ、余計なことは言わない方がいいのかもしれない。
今までと同じように、その場の空気に身を任せればいい。
刹那が帰るのなら、自分もその後をついていく。
それだけで、何も問題は起きない。
──余計なことを言って、場をかき乱すな。
不意に、遠い声が耳の奥で響いた。
──お前のそれは善意じゃない。自己満足の偽善だ。
喉の奥が固まる。
あの日も、自分では誰かのためになると思っていた。
日に日に、居場所がなくなっていくあの子を放っておけなかった。
ただ、それだけだった。
けれど、結果として状況は悪くなった。
大勢に迷惑をかけた。
あの子は、さらに居場所を失った。
『余計なことしないでよ! 黙って我慢してれば良かっただけなのに……。美咲ちゃん……あなたのせいだからね』
あの子の、憎しみに満ちた瞳が、今でも忘れられない。
だから、父の言葉は正しかったのかもしれない。
今も同じだ。
自分が余計なことを言えば、せっかく離れられた相手のもとへ、刹那を戻すことになる。
状況を悪くしてしまうかもしれない。
また、余計なことを言って、刹那との関係まで壊してしまうかもしれない。
それでも。
美咲は離れていく刹那の背中を見つめた。
私が嫌われるだけで、刹那さんがこれ以上嫌われずに済むなら、それでいい。
胸元に添えていた手を強く握る。
それから美咲は、一歩を踏み出した。
「刹那さん!」
交差点に声が響いた。
刹那が足を止める。
振り返った顔には、苛立ちがはっきりと残っていた。
「なんだよ」
低い声に、美咲の肩がわずかに揺れる。
それでも、足を止めなかった。
刹那の前まで駆け寄り、乱れた呼吸を整えた。
伝えなければならない。
そう思っているのに、口が動かない。
「用があるなら、早くしろよ」
急かされ、美咲は固く結んでいた唇をゆっくりと開いた。
「……刹那さん、戻りましょう」
刹那が一瞬、目を細めた。
美咲は逃げ出したくなる気持ちを押し込み、その視線を受け止める。
「刹那さんが、納得できないのは分かります」
「あ?」
「最初は銃口を向けられましたし、セラさんも、初めからどこか刺々しかったですから」
「だったら、戻る必要ねえだろ」
「でも、助けてくれた人たちに、何も言わずに帰るのは違うと思います」
刹那の眉がわずかに寄る。
美咲は震えそうになる声を抑え、言葉を続けた。
「仲良くしてくださいなんて言いません。ただ、お礼だけは言いましょう?」
「……」
「私……刹那さんが、あの人たちに嫌われるのを見たくないです」
言ってしまった。
返事はなかった。
怒らせてしまったのかもしれない。
やはり、余計なことだったのかもしれない。
不安に耐えきれず、美咲が視線を落としかけたとき、刹那が大きく息を吐いた。
「……お前、たまにずるいこと言うよな」
「え?」
刹那はそれ以上何も言わず、美咲の横を通り過ぎる。
向かう先は、先ほど離れたばかりの交差点だった。
美咲は一瞬その背中を見つめてから、慌てて後を追った。
戻ってきた二人に気づき、男たちが顔を上げる。
クルツは道路脇にしゃがみ込み、手元の装備を確認していた。
セラも視線を上げない。
刹那は四人の前まで歩いていくと、足を止めた。
「さっきは助かった。ありがとな」
二人の男が顔を見合わせる。
刹那はそこで一度言葉を切ると、居心地が悪そうに頭を掻いた。
「それと……何も言わずに帰ろうとしたのは悪かった」
「いやいや、大丈夫っすよ!」
男の一人が慌てて両手を振った。
「こっちも最初に銃口向けてますし、謝らないでください」
もう一人も何度も頷いている。
その様子を見て、美咲の肩から少しだけ力が抜けた。
戻ってきてよかった。
余計なことではなかった。
自分の言葉を、刹那は受け止めてくれた。
小さな安堵が胸の内に広がっていく。
けれど、返事をしたのは、その二人だけだった。
クルツは顔すら上げず、装備の確認を続けている。
そもそも話を聞いていないように見えた。
そして、セラも何も答えなかった。
俯いたまま、画面に指を滑らせている。
刹那の声が聞こえなかったのだろうか。
そう思った直後、セラの指先が一瞬だけ止まった。
けれど、顔は上がらない。
何事もなかったかのように、再び端末を操作し始めた。
そんなセラの態度に、胸の奥がざわついた。
どうして、何も言ってくれないのだろう。
刹那は助けてもらったことに礼を言った。
頼んだわけでもないのに、自分の態度について謝罪までした。
それなのに、セラは視線すら向けてくれない。
そもそも、なぜ最初からこれほど刹那への当たりが強いのだろう。
「あ、あの!」
美咲がセラへ一歩踏み出す。
その肩を、横から伸びてきた手が引いた。
「いや、いい。行くぞ」
刹那だった。
「でも……」
「礼は言った。もういいだろ」
それだけ言うと、刹那は美咲の肩から手を離し、再び歩き始めた。
美咲はセラの姿と、離れていく刹那の背中を交互に見る。
まだ聞きたいことがある。
言いかけた言葉も、胸の中に残っている。
けれど、今度は刹那を呼び止められなかった。
「……失礼します」
四人に向かって小さく頭を下げ、美咲は刹那の後を追った。
交差点を離れ、二人は並んで来た道を戻っていく。
しばらくの間、どちらも口を開かなかった。
遠ざかっていく街路を、美咲は一度だけ振り返る。
建物の陰に遮られ、四人の姿はもう見えなくなっていた。
「……刹那さん」
「今度はなんだよ」
「セラさんは、どうしてあんなに刹那さんへきつく当たるのでしょうか」
「知らねえよ。あいつとは今日初めて会ったんだぞ」
「そう、ですよね」
美咲は前へ向き直る。
今日初めて会った相手に向けるものとしては、セラの態度はあまりにも刺々しく感じられた。
「でも、何か理由があるような気がして……」
「まあ、なんにせよ。うだうだ考えるのは、ここを出てからだな」
刹那の視線が周囲へ向けられる。
それにつられて、美咲も周囲を見渡した。
危険な区域を抜けたわけではない。
姿を消したアンドロイドが、再び現れないとも限らなかった。
美咲は胸に引っかかった違和感を抱えたまま、小さく頷いた。




