第15話 灰色に差す、赤と青
「……あ、ありがとうございます……っ」
絞り出すように、美咲が礼を言った。
けれど、少女は首を横に振る。
「感謝は後よ。次が来るわ」
耳を澄ますまでもなかった。
街に反響する、甲高い金属の悲鳴。
キィイイイイイ……。
「あと3体は、来るわね」
「……えっ? ま、まだいるんですか?」
「ええ。一体倒されると、近くのが集まってくるわ」
少女は淡々と答え、美咲を見下ろす。
「……お休みのところ悪いのだけれど、そろそろ立ってくれる?」
それは冷たい言葉だったけれど、どこか、冗談のようにも聞こえた。
「あっ、す、すみませんっ!」
美咲は慌てて立ち上がる。
「──走るわよ」
少女が先に走り出し、美咲もそれに続いた。
周囲の建物の間、いくつもの方向から、機械音が混じり合って迫ってくる。
複数の足音が、合流する音。
それは、美咲たちを明確に追いかけてきていた。
「これ……! 逃げても、意味が……!」
「分かってるわ」
少女は、そう言うと突然、身体を横にひねって飛び上がった。
空中で姿勢を変え、スナイパーライフルを地面すれすれに構える。
ズドンッ。ズドンッ。ズドンッ。
無駄のない、正確な3発。銃声とともに、チェイサーたちの脚がそれぞれ弾ける。
よろける3体。
「すご……!」
思わず美咲が声を漏らす。その横を少女が走り抜ける。
「驚いてないで走りなさい」
「す、すみませんっ!」
美咲はまた、走り出す。
「倒せないんですか!? あれ!」
「倒すには、3体同時じゃないと。また増えるだけよ」
「ど、どうやって……!?」
「──もう少しよ」
少女は、それだけを答えた。
美咲の足は、限界に達していた。
呼吸が乱れ、視界が揺れる。
美咲は足がもつれて、その場に倒れ込んだ。
もう、ダメだ。
そう思った瞬間。
「……もう充分」
少女は小さく呟き、足を止める。
そして、頭上に向かって、声を投げた。
「露払いを、お願い」
その言葉の意味が、美咲には分からなかった。
ただ、3体のチェイサーが背後に迫っていることだけは、はっきりしていた。
死を、覚悟した。
その瞬間。
赤い閃光が、世界を切り裂いた。
次の瞬間、チェイサー3体が、同時に崩れ落ちていた。
「助かったわ、刹那」
少女が、視線の先に声を投げる。
そこに立っていたのは──黒髪の美女。
赤い瞳。
黒と赤を基調としたレザージャケット。
鋭いが、整った立ち姿。
そして、手には赤く発光するナイフ。
「……アリス。お前は面倒事を押し付けるために、私を呼んだのか?」
どこか呆れた声色。
それが、この場の緊張を一瞬、和らげた。
「そうよ」
「……あのなぁ」
黒髪の女性──刹那は、小さく息を吐くと、アリスの頭に手を乗せた。
「やめなさい」
アリスは無表情のまま、その手を払った。
美咲はそんな二人から、目が離せなかった。
「……大丈夫か?」
差し出された手は、暖かかった。
刹那は、真っ直ぐ美咲を見つめる。
彼女の瞳は、強く、それでいて優しかった。
「あ、ありがとうございます……」
美咲はその手を取って立ち上がると、刹那の視線が腕に向いた。
「……大丈夫じゃねーな。アリス、包帯」
刹那の声と同時に、アリスは自身の腰に装着されているポーチから、包帯を取り出した。
「いえ! もう痛みもないですし、大丈夫だと思います!」
美咲の元気な声に刹那は眉をひそめた。
「……腕。バイタルデバイス見せてみろ」
美咲は怪我した腕をゆっくり持ち上げ、刹那に向けた。
刹那は画面を見つめ、小さく息を吐く。
「重度出血じゃねーか。治ったんじゃなくて、システムが感覚を弱めてるんだよ」
「このまま放置したら、その腕、壊死すんぞ」
壊死という言葉に、美咲の目が見開いた。
「え? 腕が使えなくなるって事ですか!?」
「治すまでは、な」
「よかった……」
美咲は小さく息を吐いた。
アリスが歩み寄り、地面に膝をつく。
そして、美咲の腕に包帯を巻いていった。
美咲の脚はまだ少し震えていたが、気持ちは落ち着いていた。
「それにしても、災難だったな。……あいつに追われるなんてさ」
刹那は視線をチェイサーの残骸へ向けた。
鋼鉄の塊が、地面に沈黙している。
「はい……でも、えっと──」
美咲の視線は、無言で包帯を巻く銀髪の少女に向いた。
「自己紹介がまだだったわね」
「アリスよ。ただの一般プレイヤー」
視線も向けず、淡々と。
「私は、刹那。……こいつとは、まあ、腐れ縁だな」
刹那は少し笑って、アリスに続ける。
アリスの視線が美咲に向いた。
「あ、美咲です! よろしくお願いします」
美咲は小さく頭を下げる。
声には、ほんの少しの力強さが戻っていた。
「それで?」
刹那が訊ねた。
美咲は目を伏せると、静かに口を開いた。
「えっと、アリスさんに……事前に忠告されてたんです。でも、聞かずにそのまま行っちゃって……」
美咲の言葉に刹那の眉が動いた。
「こいつが? 初心者のあんたに忠告?」
刹那の口調に、意外そうな響きが混じった。
美咲は一瞬戸惑う。
「えっと……」
「……いや、何でもない」
刹那は苦笑しながら、アリスを一瞥する。
アリスは治療を終えると、立ち上がり、背を向けた。
「帰るわ」
何事も無かったかのように、歩き出す。
「おい、待てって!」
刹那がアリスの背中に声をかけ、美咲に視線を向けた。
「ほら、えっと……美咲。歩けるか?」
「はい、大丈夫です」
今度は、しっかりとした足取りで、美咲は二人の後を追った。
よく分からないうちに──美咲は、助かっていた。
目の前には、まるで御伽噺から抜け出したみたいな、二人。
美咲は感情という色が、薄れていた。
だけど、今。
その灰色の世界に、赤と青が差し込んだ。
あの二人が、美咲を物語の中に引きずり込んだ。
まるで──生きてるみたいに。




