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第4話 逃げたその先

 刹那の後ろを歩く美咲は、一度振り返った。


 調査中と言って、美咲と刹那の行く手を遮った二人の男性。


 どこからともなく現れて、冷たい視線を向けてきたセラ。


 彼女は、自分たちが《BCC》のメンバーだと名乗った。


 何を調査し、何にあそこまで警戒していたのか。


 結局、分からないままだった。


 前を歩く刹那は、あの場から離れてから一度も口を開いていなかった。


「あの、《BCC》って刹那さんのご友人が所属してるクランですよね。刹那さんは、知ってたんですか?」


「イオさん以外は知らん」


「そう、ですか……」


 刹那の強い口調に、美咲は思わず視線を落とした。


 唇を一度引き結び、それからゆっくり口を開いた。


「セラさんが危ないって言ってましたけど、何が危ないんでしょうか……?」


「そもそも、このエリア自体が高難易度だろ。それのことじゃねえの」


 刹那は前を向いたまま続けた。


「二人だからって、舐めてるんだよ」


 セラと男たちの警戒ぶりは、単に二人連れを侮っているだけのものではなかった。


 美咲にも、それだけは分かっていた。


 けれども、それ以上刹那にかける言葉が思いつかなかった。


 エリア41の中心部は予想していた以上に敵が少なかった。


 少なかったというよりも、全く敵影がない。


 先ほどまでフィールドを巡回していた戦車型の機械生命体も、中型の敵も、セラたちと出会った場所を境に一度も現れていない。


 セラたちがすべて処理したのかもしれない。


 なんにせよ、安定器を探すには好都合だった。


 そう思いたいのに、なぜか胸のざわめきが収まらなかった。


 刹那が足を止め、右手の銀行を指した。


 美咲が頷き、二人は中へ入った。


 この建物も、周囲と同じく廃墟と化していた。


 乱雑に置かれた椅子。


 画面が消えたまま動かないATM。


 受付カウンター。


 その奥には、職員用と思われる机とPC。


 二人は軽く中を一周すると、刹那は入口側のATMへ、美咲はカウンターの奥へ向かった。


 美咲はまず、机の上に置かれたパソコンケースをこじ開けた。


 中は埃まみれで、目当ての部品らしき物は見当たらなかった。


 隣の机のケースも開けたが、やはり見つからない。


 三つ目のケースに取り掛かったところで、ヘッドセットから刹那の声が聞こえてきた。


『……美咲』


 いつもより沈んだ声だった。


「はい」


『悪かった』


「え?」


『お前は今日じゃなくてもいいって言ったのに、勝手に押し通した』


 美咲は手を止め、刹那の言葉を待った。


『私がムカついてただけだ。お前の依頼なのにな』


「いえ、そんな。私は付き合ってもらってる立場なので」


『しかもお前にも少しあたった。それも含めて、悪かった。……ごめん』


 普段の刹那からは、めったに聞けない声色。


 それが少しおかしくて。


 どこか恥ずかしくて。


 美咲は口元を緩めた。


「……もう、頭は冷えましたか?」


『多分』


「ふふっ。多分なんですね」


『なんで笑ったんだよ』


「こんなにしおらしい刹那さんの声、久々に聞いたので」


 憎まれ口の一つでも返ってくるかと思いきや、何かをぶつけたような鈍い音が室内に響いた。


『……ッ』


 刹那の呻く声。


 美咲は咄嗟に刹那のいる入口に目を向けた。


 刹那の姿が見えない。


「刹那さん!」


 美咲はカウンターを飛び越え、刹那の元へ走った。


 刹那は下部の開いたATMの前で頭を抱えてうずくまっていた。


 建物の外に目を向ける。


 敵影はない。


 狙撃?


 銃声は聞こえなかった。


 足音も、駆動音も何も聞こえなかった。


「大丈夫ですか!」


 美咲は床に膝をつき、刹那のバイタルデバイスに手を伸ばした。


「いってぇ……」


 刹那が後頭部をさすりながら、顔を上げた。


 血も出ていなければ、バイタルデバイスも安定を示していた。


「もしかして……頭ぶつけました?」


 刹那は答えない。


 ただ、恥ずかしそうに視線を逸らし、無言で立ち上がった。


「ほれ。あったぞ」


 刹那が握っていた物を美咲に放り投げた。


 美咲の手に落ちたそれは、長方形の緑色の電子部品だった。


 携帯端末にそれをかざす。


【位相安定制御核】


 今手元にあるそれは、探していた部品だった。


「ありがとうございます!」


 美咲が顔を上げて笑う。


 刹那は小さく笑い、もう一度自身の後頭部をなでた。


「目標達成だな。さっさと帰ろうぜ」


「ですね。今は安全みたいですから、さっさととんずらこきましょう」


 美咲はバッグのポケットにそれをしまうと、立ち上がった。


「にしても、一棟目で見つかるなんてラッキーですよね」


「中途半端にラッキーだよな。だったら中心部に来る前に──」


 美咲が建物を出た瞬間、襟首を掴まれ、後ろへ引き戻された。


「ぐぇ」


 カエルをつぶしたような声と共に、美咲が床に尻もちをついた。


 美咲は腰をさすりながら、視線を上げた。


「刹那さん何するんですか」


 刹那は、鋭い目つきで外を睨んでいた。


 その眼を美咲は知っている。


 美咲が刹那と出会ってすぐの頃、二人で向かった未登録域の研究所で、刹那は同じ眼をしていた。


 美咲は刹那の目線の先、建物の前方を見た。


 そこには、人型のアンドロイドが背中を丸めて、立ち尽くしていた。


 関節は茶色く錆びついて軋み、外装は煤けて本来の塗装を失っていた。


「……アンドロイド。NPCですかね?」


 美咲はそう呟くが、すぐにその考えは霧散した。


 大きすぎる。


 その体は、普段見るアンドロイド型のNPCの倍はあった。


 手は左右非対称にひん曲がり、角のように変形していた。


 何もかもが、歪な見た目だった。


「警戒しろ」


 刹那が低く言った。


 その声だけで美咲に緊張が走る。


 その姿に、見覚えはなかった。


 けれど、美咲はこの状況を知っていた。


 自分より先に異変へ気づいた刹那。


 その手に止められ、背中に庇われる自分。


 白い部屋。


 湿った咀嚼音。


 手の中から消えた温度。


 脳裏に蘇る映像に、美咲の手が震える。


 美咲は刹那を置いて逃げた。


 刹那は美咲を逃すために残った。


 何をすればいいのか分からず走った。


 逃げて。


 逃げて。


 助かって。


 一人で罪悪感に押しつぶされそうになった。


 貴女はどうしたいの?


 冷たい、けれども責めてはいない声。


 私は──


「刹那さん、私も一緒に戦いますからね」


 気づけば、美咲は言葉を漏らしていた。


 わずかに震える手を床につき、立ち上がる。


 目の前で刹那が驚いたように眉を上げた。


「何当たり前のこと言ってんだよ。今度はひとりにしねえよ」


 冗談交じりな刹那の声。


 なのに、その言葉に美咲の胸が熱くなる。


「っていうか。また死んで、あの二人にどやされるのはごめんだな」


「そうですね」


 美咲が小さく笑った。


 刹那はナイフポーチから、愛用のタクティカルナイフを二本取り出した。


 その刃の縁が、低い駆動音と共に赤く発光した。


「目標は達成してる。逃げ切るぞ」


 美咲はマガジンを抜いて残弾を確かめ、再び差し込んだ。


「はい。二人で帰りましょう」


 緊張の中、刹那が何か思い出すように唸った。


「作戦ですか?」


「いや。アリス、あいつ戦闘開始時、たまに何か言うよな」


「えーっと……エンゲージ?」


「そうそれ。あいつ、仲間外れにすると機嫌悪くなるからな」


 刹那が笑い、美咲もそれにつられた。


「んじゃ。あらためて、エンゲージと行くか」

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