第47話 ラウンドツー
太郎の姿はない。
薄れていく白煙を見据えたまま、刹那は耳を澄ました。
足音も、装備が触れ合う音も聞こえない。
道路の左右へ、素早く視線を走らせる。
動くものはなかった。
すぐに探しに行くべきか。
身体を動かそうとした瞬間、左腕から肩まで鋭い痛みが突き抜けた。
「くっ……」
今の状態で、居場所も分からない相手を追うのは危険すぎる。
刹那はナイフを構えたまま、背後の建物へ身体を滑り込ませた。
入口。
左右に分かれた短い通路。
奥には、二階へ続く階段がある。
壁際を進み、左右の通路と階段を順に確認する。
人影はない。
刹那は道路が見える部屋へ入ると、窓の下へ身を落とした。
壁に背を預け、外から視線を切る。
もう一度、足音を探した。
何も聞こえない。
「クソッ……また探すところからかよ」
吐き捨てながら、腰のポーチへ手を伸ばした。
止血材を取り出し、包装を歯で引き裂く。
左腕の銃創へ押し当てた。
「っ──!」
激痛が肩を突き抜ける。
構わず、その上からテープをきつく巻いた。
右の上腕も、袖ごと切り裂かれている。
血で張りついた生地を剥がし、同じように止血材を押し込む。
乱暴に固定すると、空の包装を床へ放った。
次に取り出したのは、小さな錠剤。
口へ放り込み、そのまま飲み込む。
刹那は壁に頭を預け、浅い呼吸を繰り返した。
左腕を焼いていた痛みが、少しずつ遠のいていく。
右腕の傷も、脇腹の熱も。
身体中を駆け巡っていた痛みが、嘘のように消えていった。
刹那は左手を握る。
開く。
右腕を持ち上げ、ナイフを軽く振った。
動く。
痛みもない。
だが、傷が治ったわけではない。
薬の効果も、いつまでも続くものではなかった。
刹那は短く息を吐き、窓の下から外を覗いた。
太郎の姿は見えない。
向こうも、今の間に治療を済ませているはずだ。
互いに傷は負っている。
だが、こちらは脇腹を掠められ、両腕も傷ついている。
傷が深いのは、間違いなく自分だった。
太郎のアサルトライフルは、まだ使える。
腰回りのマガジンポーチには、予備が二本残っていた。
リボルバーも、今ごろは装填を終えている。
このまま中距離から撃たれ続ける。
それが、一番まずい。
刹那は右腕へ視線を落とした。
痛みは消えている。
それでも、刃を弾かれた瞬間の衝撃だけは、はっきりと思い出せた。
パリィ。
あれを崩さなければ、太郎には届かない。
だが、リボルバーさえ潰せば、弾かれた直後に撃ち抜かれることはなくなる。
まずは、銃だ。
攻めるのは、アサルトライフルのリロードだけ。
それまでは、弾を避けることだけに集中する。
リロードへ入った瞬間に距離を詰めれば、太郎はリボルバーで追い払うしかない。
それを繰り返す。
大事なのは、弾を使わせることが目的だと悟らせないこと。
仕掛ける時は、本気で仕留めに行く。
刃が届くなら、そのまま終わらせればいい。
パリィは。
その時、考える。
刹那は立ち上がった。
窓から離れ、建物の奥へ進む。
入ってきた場所とは反対側の出口。
壁に身を寄せ、外を覗こうとした瞬間。
角の縁が弾けた。
刹那はすぐに顔を引く。
銃声は、斜め前から聞こえた。
刹那は壁際から、わずかに顔を出した。
建物を挟んだ向こう側。
低い塀の脇に、太郎がいた。
前腕と肩口には、止血材が固定されている。
太郎は、正面の出口ではなく、次の遮蔽へ続く道を見ていた。
「探す手間を省いてくれて助かるわ」
刹那は口元をわずかに歪めた。
もう一発。
壁の破片が頬を打つ。
刹那は腰を落とした。
息を吸う。
地面を蹴った。
出口を抜けた瞬間、銃口が動く。
二発。
前方の路面が弾けた。
太郎の銃口は、刹那を追っていない。
次に踏み込む場所へ、弾を置いてくる。
刹那は歩幅を縮めた。
踏み出しかけた足を戻し、身体を横へ振る。
三発の弾丸が、進むはずだった場所を通り抜けた。
攻めない。
今は、まだだ。
建物から建物へ。
壁を蹴り、低い塀を越え、射線を切る。
太郎も立ち止まらなかった。
遮蔽物の間を移りながら、短い連射を繰り返す。
近づきすぎず、離れすぎない。
刹那が攻撃へ転じられない距離を保っていた。
銃声。
右へ。
左へ。
着地するより先に、次の場所へ身体を投げる。
やがて。
金属音が響いた。
太郎の足元へ、マガジンが落ちる。
刹那は地面を蹴っていた。
一息で距離を潰す。
太郎の左手には、新しいマガジン。
アサルトライフルへ叩き込まれる。
だが、銃口を持ち上げる時間はない。
太郎はアサルトライフルから右手を離した。
スリングに預ける。
腰のホルスターから、リボルバーが引き抜かれた。
それを腰だめに構え、引き金を引く。
発砲音。
刹那は上体を沈める。
弾丸が頭上を抜けた。
二発目。
左へ跳ぶ。
銃口が追ってくる。
三発目。
肩へ迫る弾丸を、身体をひねってかわした。
距離は、もう刃が届く寸前まで縮まっている。
刹那は右手のナイフを走らせた。
太郎が後ろへ跳ぶ。
切っ先が、タクティカルスーツの胸元を浅く裂いた。
もう一歩。
追おうとした刹那の前へ、アサルトライフルの銃口が割り込んだ。
太郎は、すでに構え直している。
刹那は踏み込んだ足を横へ逃がした。
銃声。
弾丸が脇を通り抜ける。
そのまま後ろへ跳び、近くの壁へ身を隠した。
追撃の銃声が、壁の角を削る。
刹那は荒く息を吐いた。
うまくいった。
太郎にリボルバーの弾を三発使わせ、マガジンも一本捨てさせた。
それだけではない。
攻撃も届いている。
壁の向こうで、いくつもの金属音が路面へ散った。
シリンダーに残った三発も捨てて、装填し直したか。
次の瞬間には、また銃声が響く。
太郎は止まらない。
刹那も、止まれない。
二度目の銃撃は、先ほどより間隔が長かった。
撃つ数も少ない。
代わりに、一発ごとの弾道が、刹那の逃げ道を正確に潰していく。
気づいたか。
刹那は路地へ飛び込み、壁を蹴って反対側へ抜けた。
銃声が追う。
止血材の端に、小さな赤い染みが浮かんでいた。
痛みはない。
構わず、走る。
太郎が遮蔽物へ身を寄せた。
残弾を撃ち切るより先に、マガジンへ手を伸ばす。
刹那は進路を変えた。
真正面ではない。
隣の建物の壁を蹴り、太郎の側面へ回り込む。
マガジンが地面へ落ちた。
二本目。
刹那は速度を上げた。
太郎の右手が、再びホルスターへ伸びる。
黒い銃口がこちらを向いた。
刹那は止まらない。
銃声が、三度立て続けに響く。
弾丸をかわすたび、踏み込んだ足へ衝撃が返る。
呼吸が荒くなる。
肺が熱い。
左腕の止血材を染めていた赤が、みるみる広がっていく。
縁から溢れた血が腕を伝い、指先から落ちた。
それでも、痛みはなかった。
太郎のアサルトライフルが持ち上がる。
刹那は銃口が向ききるより先に身体を翻し、射線から逃れた。
また、距離が開く。
太郎の腰に、予備のマガジンはもうない。
残るのは、今差し込まれた一本だけ。
そこからの太郎は、さらに弾を絞った。
一発。
間を置いて、二発。
刹那が速度を緩めるのを待つように、銃口を向け続ける。
時間を使うつもりか。
刹那は血に濡れた左手を握った。
薬が切れるより先に、終わらせる。
地面を蹴る。
太郎が撃つ。
避ける。
また、踏み込む。
銃声が途切れるたび、刹那は距離を詰めた。
太郎は下がりながら撃ち続ける。
最後の一発が、刹那の頬を掠めた。
頬を、一筋の血が伝った。
直後。
それきり、アサルトライフルは沈黙した。
太郎は引き金を引かなかった。
残弾を確かめることもしない。
腰のマガジンポーチへ手を伸ばすこともなかった。
最後の一発まで、数えていたかのように。
太郎はスリングの留め具を外した。
アサルトライフルを、道路の脇へ投げ捨てる。
その表情に、焦りはない。
右手が腰のホルスターへ伸びた。
黒いリボルバーが引き抜かれる。
左手には、逆手に握られたナイフ。
先ほどと同じ構え。
「ラウンドツー」
太郎が笑った。
刹那は右手のナイフを握り直した。
ここまでは、作戦通り。
問題は、ここからだ。




