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第46話 パリィ

 右腕に残る痺れが、まだ消えない。


 刹那はナイフを握り直した。


 ナイフを左手へ持ち替えた太郎へ、刹那が放った一撃。


 刃が触れた瞬間、右腕ごと上へ跳ね上げられた。


 ただ受け止められただけでは、あんな衝撃は生まれない。


 パリィ。


 そう考えれば、辻褄は合う。


 だが。


「……私のナイフを?」


 刹那が声を漏らした。


 スレッジハンマーのように、振りが大きく、出の遅い武器ならわかる。


 だが、ナイフは違う。


 しかも、こちらは最短で喉を狙った。


 あの距離で、あの速さに合わせたというのか。


 刹那は眉を寄せた。


 たまたま。


 いや、狙いが直線的すぎたか。


 考えは巡る。


 答えは出ない。


 太郎は構えを崩さず、こちらを見ていた。


 左手には逆手のナイフ。


 右手には、胸元へ引きつけたリボルバー。


 自分から攻め込む気はないらしい。


 刹那は太郎を視界に捉えたまま、ゆっくりと横へ歩いた。


 靴底が、アスファルトを擦る。


 太郎も、それに合わせて身体の向きを変えた。


 距離は変わらない。


 先ほどまでなら、もう踏み込んでいた。


 今は、左手の刃から目が離せなかった。


 もう一度、試すしかない。


 刹那は、太郎へ近づいた。


 一歩。


 太郎の構えは動かない。


 二歩。


 互いの刃が届く、その手前。


 刹那は右へ踏み出すと見せた。


 太郎の視線だけが動く。


 その左腕が、わずかに下がった。


 それを見た瞬間、刹那は左へ跳んでいた。


 着地と同時に、右手のナイフを走らせた。


 太郎の首筋へ。


 太郎は右足を大きく引いた。


 刹那へ左肩を向け、下げていた腕を振り上げる。


 金属音。


 右腕が、再び上へ弾かれた。


 刃先が、空を切る。


 その向こう。


 太郎の左腕の下から、黒い銃口が覗いた。


 引き金に掛かった指が、動く。


 妙にはっきりと見えた。


 刹那は弾かれた腕の勢いを殺しながら、無理やり身体をひねった。


 発砲音。


 弾丸が、すぐ脇を抜ける。


 刹那は地面を蹴った。


 一歩、二歩と跳ぶように下がる。


 太郎は追ってこなかった。


 左腕を戻し、再びナイフを前へ出す。


 胸元のリボルバーも、先ほどと同じ位置にあった。


 連続で二度。


 信じたくはなかったが、たまたまではない。


 太郎は、狙ってこちらの攻撃を弾いていた。


「ぶっつけ本番でしたけど、慣れたら意外といけるもんですね」


 太郎が薄く笑った。


 刹那は何も言えなかった。


 私を相手に。


 そんなことを試していたのか。


 ナイフを握る指に、力がこもる。


 だが、踏み込もうとする足は出なかった。


 胸より上へ刃を走らせれば、またあのナイフに弾かれる。


 弾かれれば、リボルバーで追撃される。


 もう、無造作には振れない。


 刹那は短く息を吐いた。


 なら、下だ。


 身を低くして、地面を蹴る。


 狙うのは腹部。


 太郎の左腕より低い位置へ、刃を送り込もうとした。


 太郎の右足が、一歩引かれる。


 上体が低く傾いた。


 胸元にあった銃口が、刹那を捉える。


 刹那は左へ跳んだ。


 銃声が響く。


 避けた先へ、太郎のナイフが突き出された。


 刹那は身体を横へ向ける。


 刃が、胸の前を通り抜けた。


 伸びたままの腕。


 太郎の左手首へ、刹那は空いた左手を伸ばした。


 その指が届くより早く、黒い銃口が視界へ割り込む。


「っ……!」


 手を引き、後ろへ跳ぶ。


 乾いた銃声が、刹那を追った。


 足元のアスファルトが弾ける。


 刹那はもう一歩下がって、ようやく足を止めた。


 攻めづらい。


 左手のナイフに気を取られると、銃口への警戒が疎かになる。


 銃口を避ければ、ナイフが来る。


 今度は、一度も弾かれていない。


 それなのに、刃を届かせるところまで進めなかった。


 太郎は両手の武器を構え直した。


 ナイフを持つ左腕から、血が伝い落ちる。


 傷は残っている。


 こちらの攻撃が、効かなくなったわけではない。


 刹那はナイフの切っ先をわずかに下げた。


 太郎の視線が、その動きを追う。


 今度は、胸元の右手から目を逸らさなかった。


 刹那は踏み込んだ。


 距離が詰まる。


 太郎の右手が動いた。


 来る。


 銃口が向ききるより先に、刹那は進路をずらした。


 発砲音。


 今いた場所を、弾丸が抜ける。


 下がらない。


 踏み込んだ勢いのまま、右手の刃を走らせた。


 狙うのは、鎖骨の辺り。


 太郎の左腕が振り上がる。


 その動きが、わずかに遅い。


 刃が噛み合わないまま、二人の腕が交差した。


 刹那のナイフが、太郎の肩口を裂く。


 同時に、右の上腕へ鋭い痛みが走った。


「っ……!」


 太郎の刃が、袖ごと腕を切り裂いていた。


 それでも、ナイフは離さない。


 弾かれていない。


 届いた。


 太郎の顔が歪む。


 刹那は歯を食いしばり、右腕を引き戻した。


 もう一度。


 足に力を込めた、その時。


 太郎の右手が持ち上がった。


 刹那は踏み込もうとした足で、地面を蹴り返す。


 銃声。


 弾丸が、身体のすぐ横を通り抜けた。


 間を置かず、もう一発。


 左腕が、焼けた。


「ぐっ──!」


 激痛が、肩まで突き抜ける。


 左手の指から力が抜けた。


 撃たれた。


 刹那は足を止めなかった。


 痛む腕を庇い、さらに後ろへ跳ぶ。


 呼吸が乱れる。


 左腕だけではない。


 ナイフを握る右腕にも、引きつるような痛みがあった。


 太郎は、その場に立っていた。


 肩口を濡らす血が、タクティカルスーツへ広がっている。


 右手のリボルバーが下がった。


 太郎はそれを、腰のホルスターへ戻した。


 空いた手が、ポーチへ伸びる。


「お互い、仕切り直しといきましょうか」


 小さな筒が、二人の間へ投げ込まれた。


 アスファルトを跳ねる。


 白い煙が、地面を這うように広がった。


 太郎の足元が隠れる。


 刹那は右手のナイフを構え直した。


 追うべきか。


 足を出しかけて、左腕に走る痛みに息が詰まった。


 その間にも、白煙は太郎の姿を覆っていく。


 まだだ。


 あの言葉は、ブラフかもしれない。


 背中には、アサルトライフルがある。


 刹那は煙を見据えたまま、じりじりと下がった。


 建物の角へ身を寄せる。


 左腕から、血が滴った。


 痛みが脈打つたび、呼吸が浅くなる。


 それでも、煙からは目を離せなかった。


 銃口が出てくるかもしれない。


 あのナイフが、白煙を裂いて迫るかもしれない。


 刹那は唇を噛み、足音を探した。


 何も聞こえない。


 待っても、弾丸は飛んでこなかった。


 風が、煙を少しずつ薄くしていく。


 道路の向こう側が見え始める。


 スモークが晴れた時には、太郎の姿はもうなかった。

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