第45話 不可解な衝撃
舐められている。
刹那の中で、最初に浮かんだのはそれだった。
道路の向こうでは、太郎が悠然と立っている。
銃撃を止めてから、太郎はアサルトライフルを背中へ回し、腰のシースからタクティカルナイフを抜いただけだった。
周囲に何かを仕掛けた様子もなかった。
つまり。
作戦があって、刹那の領域へ踏み込んだわけではない。
この距離なら、太郎が銃を構え直すより先に詰められる。
喉へ刃を届かせる方が、間違いなく速い。
刹那の口元が歪んだ。
「上等じゃねえか……」
右足が前へ出かける。
その腿を、刹那は左の拳で殴りつけた。
鈍い衝撃が足を止める。
何を熱くなっている。
相手はランキング一桁。
あの態度すら、こちらの判断力を削ぐための手段かもしれない。
冷静になれ。
刹那は一度息を吐くと、左手をポーチへ伸ばした。
止血材を取り出す。
銃弾が掠めた脇腹に押し当て、その上からテープを巻いた。
その間も、太郎から目は離さない。
太郎は動かなかった。
治療を妨害するでもなく。
自身の傷へ手を伸ばすでもない。
右手に構えられたナイフ。
血を流したままの左前腕。
足の向き。
重心。
周囲には、白い煙がゆっくりと広がっている。
それ以外に、異常は見つからなかった。
治療を終えた刹那は、右手のナイフを握り直した。
建物の陰から、ゆっくりと身体を晒す。
「おっ! 相手してくれるんです?」
太郎は嬉しそうに口元を上げた。
ナイフを胸元へ掲げる。
「一発受けてるっつうのにナメプとは、ランカー様はえらい自信家なんだな」
「ナメプ? そんなつもりはないですよ」
太郎は、本当に心当たりがないように首を傾けた。
「ただ、こうしてみたかっただけです」
何を考えているのか、分からない。
だが。
舐められたままでいるのは、性に合わない。
「……そうかよっ!」
言葉を叩きつけるのと同時に、刹那が地面を蹴った。
太郎との距離が、一息で消えた。
太郎の瞳が、わずかに細くなる。
刹那は右腕を走らせた。
狙いは、喉。
太郎のナイフが間へ滑り込んだ。
二本の刃が触れる。
刹那の切っ先が、外へ逸らされた。
予想どおり。
刃を止められた勢いのまま、身体を回す。
左肘を、太郎の側頭部へ振り抜いた。
太郎が左腕を上げる。
傷のある前腕へ、刹那の肘がめり込んだ。
「っ……」
太郎の顔が、わずかに歪む。
それでも左腕を下ろさない。
刹那の肘を押し返し、右手のナイフを脇腹へ突き込んでくる。
刹那は左手で太郎の右手首を掴んだ。
刃先を身体の外へ向ける。
互いの腕が交差する。
肩がぶつかった。
太郎が体重を乗せてくる。
刹那は力に逆らわず、半歩横へ流れた。
押し込む先を失った太郎の上体が浮いた。
刹那は右手を翻す。
ナイフが太郎の脇を浅く切り裂いた。
赤い線が走る。
太郎は肩を強くぶつけ、刹那を押し離した。
二人の間に、再び間合いが生まれる。
刹那は止まらない。
押し戻された勢いを殺すと同時に、再び前へ出た。
太郎が左手を伸ばした。
狙いは、ナイフを持つ刹那の右手首。
太郎の指が、刹那の右手首へ食い込んだ。
刹那は腕を引かなかった。
上体を沈め、左手を地面につく。
握られた右腕と、アスファルトについた左手。
二つを支点に、両脚を一気に跳ね上げた。
太郎の目が見開かれる。
刹那の身体が、逆さになった。
大きく広がった黒髪の向こうから、右の踵が太郎の顔面へ迫った。
太郎は刹那の手首を放し、両腕を顔の前で交差させる。
踵が、交差した腕へ叩き込まれた。
太郎の身体が傾く。
刹那は左手を支点に回転を続け、太郎の横へ着地する。
低く沈んだ姿勢から、ナイフを振り上げる。
太郎が上体を反らした。
切っ先がタクティカルスーツを裂き、胸元に浅い傷を刻んだ。
太郎の膝が持ち上がった。
刹那は腹部の前へ左腕を差し込み、直撃を避ける。
衝撃が骨を揺らした。
その力を使って後ろへ跳ぶ。
着地。
すぐに地面を蹴り返した。
一撃。
太郎が刃で受ける。
二撃。
左拳を顔へ。
太郎は首を振ってかわした。
その動きを追って、刹那の右脚が跳ね上がる。
脇腹へ蹴りが入った。
太郎が息を詰まらせる。
刹那は脚を戻さない。
蹴り抜いた勢いのまま地面へ足を落とし、身体を一回転させる。
左脚で、回し蹴り。
太郎が左腕を上げた。
刹那の脛が、傷ついた前腕へ叩き込まれる。
「ぐっ……!」
太郎の足が地面を滑った。
一歩。
二歩。
三歩。
大きく距離が開く。
刹那は左足を地面へ下ろした。
太郎には、浅い傷がいくつも入った。
だが、決定打だけは防がれている。
それでも。
このまま続ければ、先に崩れるのは太郎だ。
太郎は左腕を下げた。
指先から血が落ちる。
それなのに、笑みだけは消えていなかった。
すぐに足を止め、体勢を立て直す。
刹那を見据えたまま、右手のナイフを左手へ持ち替えた。
刃先が、肘の側へ向く。
逆手。
構えを変えた。
だからどうした。
刹那は一歩で距離を消した。
息を整える時間は与えない。
太郎の喉へ向け、ナイフを走らせる。
金属音。
右腕が、不自然なほど強く上へ跳ねた。
「なっ──」
刹那の刃が、太郎の頭上を通り抜ける。
何をされた。
理解が追いつくより先に、太郎が懐へ飛び込んできた。
逆手に握られたナイフが持ち上がる。
刹那は踏み込んだ勢いを殺さなかった。
腰を落とす。
右膝を、太郎の腹部へ突き上げた。
「っ──!」
互いの勢いが、正面からぶつかる。
太郎の身体が後ろへ弾かれた。
刹那も左足で地面を蹴り、距離を取る。
靴底がアスファルトを擦った。
刹那は右手のナイフを構えた。
指先が、わずかに震えている。
右腕には、鈍い痺れが残っていた。
耳の奥に残る、硬い金属音。
刹那は太郎の左手を見た。
逆手に握られたナイフ。
太郎の右手が、腰のホルスターへ伸びた。
引き抜かれたのは、黒光りするリボルバー。
それを胸元へ引きつけ、その前へ左手のナイフを突き出す。
太郎は構えたまま、刹那へ笑みを向けた。
「もう一度、どうぞ」




