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第43話 太郎

 会場中央の巨大スクリーンでは、これまでの試合のハイライトが流れていた。


 爆炎の中を駆け抜ける選手。瓦礫の陰から放たれる一発。倒れ込む巨体。そして、森を駆ける赤い瞳。


 映像が次々と切り替わるたび、観客席のあちこちから歓声が上がる。


 やがて、その映像が暗転した。


 一拍。


 次の瞬間。


 巨大スクリーンいっぱいに、青い髪の女性が映し出された。


『みっなさーん! お待たせいたしましたー!』


 リリアが両腕を大きく広げる。


 直後。


 今日一番の歓声が、会場を揺らした。


『いやー、すごい! すごいですね! 私までちょっと震えてきました!』


 耳へ手を当てながら、リリアが笑う。


 その隣で、しろはいつも通り穏やかな表情を浮かべていた。


『いよいよ、本大会も残すところ一試合!』


 スクリーンへ、二人の名前が大きく表示された。


 SETSUNA。


 太郎。


『決勝戦! 刹那選手対、太郎選手ですっ!』


 再び、会場が沸いた。


 リリアがスクリーンへ身体を向ける。


『いやー、ここまで来ましたねぇ。刹那選手はもう、私でも分かります!』


 指を一本立てる。


『速い!』


 もう一本。


『すっごく速い!』


 さらに一本。


『そして近づかれると怖い!』


 観客席から笑い声が上がった。


 しろも小さく笑う。


『間違ってはいませんね』


『ですよね!』


 リリアが得意げに胸を張る。


『対する太郎選手は……』


 少し考えるように首を傾げた。


『なんでしょう。気づいたら相手が困ってるんですよね』


『それも、間違ってはいません』


『もっとそれっぽい言い方してくださいよ!』


 再び笑いが起こる。


 しろは少しだけ考えてから口を開いた。


『太郎選手は、相手を見てから戦い方を変えるのが、とても上手い選手です』


『相手を見てから?』


『ええ。最初から一つの戦い方に決めているというより、相手がどうするかを見て、それに合った方法を選ぶ。そんな印象ですね』


『なるほどー』


 リリアは大きく頷いた。


 けれど、そこで何かを思い出したように顔を上げる。


『でも私、今日ずっと見ていて思ったんですけど』


『はい』


『刹那選手って、一回懐まで入っちゃえば、そのまま決めちゃうんじゃないですか? ぽっく選手戦みたいに』


 会場のざわめきが、わずかに小さくなった。


 しろはすぐには答えなかった。


 スクリーンに映された二人の名前へ、一度視線を向ける。


『……可能性はあります』


『やっぱり!』


『特に太郎選手にとって、一番怖いのは最初の接触かもしれません』


『最初?』


『ええ』


 しろが頷く。


『太郎選手は、相手を見てから対応するのが上手い。ですが、私の知る限り刹那選手とは対面したことがないはずです』


『映像では、何試合も見てますよね?』


『見ていることと、自分へ向かってくることは別ですから』


 リリアが口を閉じる。


『刹那選手がどれくらい速いのか。どの距離なら間に合うのか。それを実際に一度体験するまでは、太郎選手にも分からないと思います』


『じゃあ……』


『ええ』


 しろは静かに続けた。


『最初の一撃。そこが、太郎選手にとって一番危険でしょうね。太郎選手に限った話ではないですが』


 観客席から、小さなどよめきが広がる。


『逆に、そこを太郎選手が凌いだら?』


『そこから先は、分かりません』


『おおー……!』


 リリアが嬉しそうに声を上げた。


『つまり、最初から目が離せないってことですね!』


『そうなりますね』


『でも、そう考えると……』


 リリアの視線が、中央スクリーンへ向く。


『どこで戦うかも、かなり重要じゃないですか?』


『ええ。二人とも相手を先に見つけたいでしょうから』


『ということで!』


 リリアが勢いよく片手を掲げた。


『決勝戦のフィールドを決めましょう!』


 巨大スクリーンが4分割される。


 木々の密集する森林。


 薄暗い通路が幾重にも伸びる地下研究所。


 高層建築と地下モールを備えた都心部。


 低い建物と、広い道路が入り交じる郊外。


 四つの映像が高速で入れ替わる。


 観客席から、それぞれのマップ名を叫ぶ声が飛んだ。


 やがて。


 一つの映像だけが、画面いっぱいに広がった。


《郊外》


『決まりましたー! 決勝戦の舞台は、郊外です!』


 広い道路。


 その両脇に並ぶ、背の低い建物。


 細い路地と、見通しのいい交差点。


 しろが画面を眺める。


『開けた場所もあれば、建物で視界が切れる場所もありますね』


『ということは?』


『先に相手を見つけられるかどうか。かなり大きいと思います』


『なるほど! それでは──』


 照明が落ちる。


 会場中央へ続く二つの通路へ、白い光が伸びた。


『決勝戦! 選手、入場ですっ!』


 歓声が一気に膨れ上がった。


 片側の通路から、黒いタクティカルスーツ姿の男が姿を現す。


『対人ランキング7位! 相手に合わせ、形を変え、最後には自分の勝ち筋へ持っていく! 太郎選手ー!』


 太郎が会場へ踏み出した。


 これまでの試合と同じように、観客席へ片手を上げる。


 ただ。


 その手は、いつもより少し高かった。


 軽く上げるだけだった腕を、そのまま左右へ何度か大きく振る。


 口元には、はっきりと笑みが浮かんでいた。


『太郎選手! 決勝戦、なんだかいつも以上に楽しそうです!』


 リリアの声に、観客席から笑いと歓声が返った。


 太郎も笑いながら、もう一度手を振った。


 決勝だからだろう。


 誰もが、そう受け取った。


 太郎は所定の位置まで歩く。


 そこで足を止めた。


 だが、正面を見るより先に。


 反対側の通路へ顔を向けた。


『そして──!』


 もう一方の通路へ、光が差し込む。


『大舞台初出場ながら、ついにここまで勝ち上がりました! 速さで斬り込み! 速さでかわし! 速さで勝つ!』


 一拍。


『クランARCADIA所属──刹那選手ー!』


 歓声の中。


 刹那が姿を現した。


 黒い長髪が、歩みに合わせて背中で揺れる。


 俯いてもいない。


 肩に力も入っていない。


 今の刹那に、初戦の面影はなかった。


 観客席へ一度だけ視線を向けると、軽く片手を上げた。


 それだけで、さらに歓声が大きくなる。


 刹那はそのまま中央へ歩いた。


 先に待っていた太郎へ視線を向ける。


 目が合った。


 その瞬間。


 太郎の笑みが、もう一段深くなった。


 刹那の眉が、わずかに動く。


「……随分、楽しそうだな」


「ええ」


 太郎は隠す様子もなく頷いた。


「楽しみにしてましたから」


「……何を?」


「もちろん」


 太郎が笑う。


「これからの試合ですよ」


「……そうかよ」


 それ以上、刹那は聞かなかった。


 ただ。


 前に会った時は、こんな奴だっただろうか。


 少しだけ、気味が悪い。


『では両選手、初期位置へお願いします!』


 二人は背を向けた。


 それぞれの位置へ向かう。


 刹那が円の中へ入る。


 太郎も反対側へ立った。


 低い駆動音が、会場に響いた。


 両者の間に隔壁がせり上がる。


 観客席が消える。


 地面へ白い線が走った。


 道路。


 低い建物。


 駐車場。


 細い路地。


 何もなかったフィールドが、瞬く間に郊外の街並みへ変わっていく。


 刹那は腰のナイフへ手を添えた。


 正面には、建物。


 右には幅の広い道路。


 左には、細い路地。


 頭上へカウントが表示される。


《00:05》


 小さく息を吐く。


《00:03》


 肩の力を抜く。


《00:01》


 電子音。


《FIGHT》


 刹那は地面を蹴った。


 正面へは行かない。


 斜め前にある建物へ向かい、その壁沿いを走った。


 速度を上げる。


 けれど、中央へ一直線には向かわなかった。


 太郎がどこにいるかは分からない。


 先に見つけたい。


 できるなら。


 向こうがこちらを捉えるより、先に。


 建物の角。


 刹那は速度をほとんど落とさず、顔だけをわずかに外へ出した。


 広い道路。


 いない。


 そのまま角を抜ける。


 次の建物へ。


 低い塀へ片足をかけ、その反動で身体を持ち上げた。


 庇へ。


 そこから屋根の縁へ手をかけ、一息に身体を引き上げた。


 一瞬だけ、視界が開ける。


 道路。


 交差点。


 向かいの建物。


 人影はない。


 刹那は立ち止まらない。


 反対側へ飛び降りる。


 着地と同時に、次の区画へ向かった。


 ぽっくの時のように、相手がいそうな場所へ真っ直ぐ飛び込む気はない。


 相手は、ランキング7位。


 一度見せたものが、そのまま通るとは思わない方がいい。


 それでも。


 最初の一度だけは、別だった。


 まだ、太郎は刹那の速度を体験していない。


 だったら。


 決められるなら、最初に決める。


 できるかどうかじゃない。


 やる価値がある。


 刹那は次の建物へ沿って走った。


 角が近づく。


 足音はない。


 自分以外の気配もない。


 刹那は建物の角へ身体を滑り込ませた。


 その瞬間だった。


 道路を挟んだ反対側。


 別の建物の角へ入ろうとしていた黒い影。


 目が合った。


 ほんの一瞬。


 太郎。


 互いの身体が、それぞれ建物の陰へ消える。


 刹那の右足が地面を踏んだ。


 身体を切り返し、壁を蹴る。


 一歩。


 角を抜ける。


 太郎も同時に姿を現した。


 右手にはアサルトライフル。


 銃口が持ち上がる。


 反応は速い。


 迷いもない。


 だが。


 刹那の方が、わずかに早かった。


 地面を蹴る。


 距離が縮まる。


 太郎の銃床が肩へ入る。


 まだ遠い。


 撃てる距離。


 それでも刹那は速度を落とさない。


 照準がこちらへ向く。


 その頃には。


 刹那は、もう半分以上二人の距離を消していた。


 太郎の目が、一瞬見開かれる。


 遅れて。


 アスファルトを蹴る刹那の足音が、二人の間へ届いた。


 太郎の銃口が動く。


 間に合わない。


 そう判断したのか。


 身体を守るようにアサルトライフルを構え直した。


 刹那は腰からナイフを抜く。


 逆手。


 狙いは一つ。


 タクティカルスーツの装甲が薄い。


 喉。


 刃を走らせる。


 太郎が上体を引いた。


 同時に、銃身が太郎の喉と切っ先の間へ差し込まれる。


 切っ先が喉を外れた。


 銀色の刃が軌道を変えて、前腕を切り裂く。


「っ……!」


 赤い線が走る。


 入った。


 けれど。


 浅い。


 急所には届いていない。


 刹那はそのまま二撃目へ移ろうとした。


 太郎が身体を捻る。


 アサルトライフルを腰で構え、こちらに銃口を向けた。


「──っ」


 銃声。


 何発もの弾丸が、纏まることなく道路へ撒き散らされた。


 狙っていない。


 刹那は踏み込みを止めた。


 身体を横へ逃がす。


 足元でアスファルトが弾ける。


 続けて数発。


 一歩。


 二歩。


 刹那は一気に後ろへ跳び、建物の陰へ身体を滑り込ませた。


 銃声が止まる。


 静寂。


 壁を挟んだ向こうから、マガジンを確認するような小さな金属音が聞こえた。


 刹那はナイフを握り直す。


 最初の一撃は入った。


 だが。


 決めきれなかった。


 壁の向こうから、声がした。


「……なるほど」


 少しだけ息が弾んでいる。


 それなのに。


 声は、笑っていた。


「思っていたより、ずっと速いですね」


 刹那は壁へ背を預けたまま、眉を寄せた。

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