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第42話 背中

 刹那の選手控え室は、静かだった。


 美咲も、アリスも、ナナも、れんも、マリアもいる。


 時折交わされる会話も、耳には届いている。


 けれど今の刹那には、それらがどこか遠くに感じられていた。


 長椅子へ深く腰を下ろし、手元のタブレット端末を眺める。


 画面では、先ほど行われた準決勝第二試合──太郎とイオの戦いが流れていた。


 爆発。


 廊下へ飛び出すイオ。


 その先で、すでに銃口を向けて待っている太郎。


 刹那の視線は、画面へ向いたままだった。


 けれど、思考はとうにその先へ進んでいた。


 決勝のフィールドは、どこになる。


 開始位置は。


 最初に距離を詰めるべきか。


 それとも、一度相手の動きを見るか。


 太郎は、どう出てくる。


 考えても、答えは出ない。


 まだ決まっていないフィールド。


 対面したことすらない相手。


 それでも頭の中では、何度も決勝戦が始まっていた。


「──つなさん」


 声が聞こえた。


「刹那さん!」


「……ん?」


 刹那が顔を上げる。


 目の前では、ナナが唇を尖らせてこちらを見ていた。


「なーに固まってるんですか」


「固まってたか?」


「呼んでも全然反応しませんでしたよ」


 刹那は軽く周囲を見渡した。


 いつの間にか、全員の視線がこちらへ向いている。


「そろそろ、お時間みたいですよ」


 美咲の言葉に、刹那は端末へ視線を落とした。


 表示された時刻を確認し、長椅子から腰を上げる。


「もう時間か」


 端末を置き、軽く肩を回す。


「じゃあ、行ってくる」


 そのまま扉へ向かう。


 背後で、ナナが美咲の腕を肘で小さくつついた。


「……え?」


 美咲がナナを見る。


 ナナは何も言わず、顎だけで刹那の背中を示した。


 美咲は一瞬だけ迷い、それから一歩前へ出た。


「刹那さん」


 扉へ伸ばしかけた手が止まった。


 刹那が振り返る。


「どうした?」


「あ、えっと……」


 美咲は刹那の視線から目を逸らした。


 額へ指を添え、何かを探すように視線を落とした。


「なんて言うんでしょう……私、立ち回りとか駆け引きとか、そういうのは分かりませんけど……」


「うん」


「私は刹那さんが……んー……」


 そこで口を閉じる。


 少し考えて、また開いた。


「その……だから……」


 結局、続きは出てこなかった。


「はぁ……」


 アリスが小さく息を吐く。


「要するに、頑張りなさいってことでしょ」


「そ、そうなんですけど!」


 美咲が慌てて振り返った。


「もっとこう……為になるようなことを言った方がいいのかなって」


「刹那も、貴女にそんなものは求めていないわ」


「えぇ……」


「余計なことを考えるより、貴女らしく普段通り見送りなさい」


「私らしく……ですか?」


「ええ」


 美咲がもう一度、視線を落とした。


 数秒。


 やがて、何かを思いついたように顔を上げた。


「……勝っても負けても祝勝会です!」


 両手を胸元で握りしめ、真っ直ぐ刹那を見た。


「…………」


 刹那の口元が、わずかに緩んだ。


「なんだそれ」


「えっ!?」


「いや。勝っても負けてもって、それ祝勝会なのか?」


「私らしくって言われても難しいんですよ!」


「私はみさきちゃんらしくて好きよ〜」


 マリアが柔らかく笑う。


 れんも、その隣で頷いた。


「さっきより、ずっと分かりやすいですよ」


「れんさんまで!?」


 美咲が声を上げる。


 その後ろで、ナナが堪えきれず笑い出した。


「ちょ、ナナさん! 笑わないでください!」


「だって、真面目に考えてそれなんだもん!」


「もうっ!」


 決勝前とは思えない空気だった。


 さっきまで頭の中を埋め尽くしていたフィールドも、立ち回りも、太郎の姿も。


 ほんの一瞬だけ、遠ざかる。


 刹那の表情が、自然と柔らかくなった。


「ありがとな」


「……はい」


 美咲が微笑む。


 刹那はもう一度、扉へ向き直った。


 皆が、いつも通りの言葉で刹那を送り出す。


 刹那が扉を開く。


 通路へ一歩踏み出す。


 そして、扉が閉まる、その瞬間。


 ひとつだけ、今日初めてのエールが混じった。


「……頑張って」


 抑揚はない。


 けれど、小さく、静かに、はっきりと。


 扉が閉まる。


 一瞬の静寂。


 直後──


「いま!」


「もう一回!」


 控え室の中から、小さな声が弾けた。


 刹那は振り返らない。


 ただ、少しだけ笑った。


「……さてと」


 選手通路を歩き出す。


「もうひと踏ん張り、やってやるか」


 歩みに合わせて、胸元の銀色のドッグタグが小さく揺れた。

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