第38話 射線の先
『続いて──準決勝、第二試合!』
リリアの声が、選手通路の奥まで響いてきた。
『PVPランキング9位! クラン《BCC》が誇るスナイパー──イオ選手ぅぅぅッ!!』
名前が呼ばれた瞬間、会場が揺れた。
歓声。
拍手。
足を踏み鳴らす音。
今日行われた試合の中でも、ひときわ大きな熱気が観客席から押し寄せてくる。
イオは薄暗い選手通路を抜け、一歩を踏み出した。
視界が開く。
巨大なスタジアムを埋め尽くす観客。
その中央を通る通路の先に、何もないフィールドが広がっている。
『いやぁぁぁ! すごい歓声です! やっぱりランキング一桁! 注目度が違いますね!』
リリアもまた、観客の熱に当てられたように声を張り上げていた。
だが、その声はどこか遠かった。
歓声も。
拍手も。
自分の名前を呼ぶ声も。
耳には届いている。
それでも、意味のある音として頭には入ってこなかった。
イオは観客席へ顔を向けることも、手を上げることもなく、まっすぐ前へ歩き続けた。
やがてフィールドの手前まで来ると、スタッフが片手を上げる。
イオは指示された位置で足を止めた。
直後──
『そして対するはぁぁぁッ!!』
再び、リリアの声が跳ね上がった。
『PVPランキング7位! 無所属! ここまで圧倒的な実力を見せつけてきた──太郎選手ぅぅぅッ!!』
先ほど以上とも思える歓声が巻き起こる。
イオが出てきた通路、そのすぐ隣。
暗がりから、一人の男が姿を現した。
太郎は大歓声に包まれながらも、歩調を変えなかった。
観客席へ大きく手を振るでもない。
周囲の熱気に呑まれる様子もない。
ただ、普段と変わらない足取りで悠々とこちらへ歩いてくる。
スタッフに指定された位置まで来ると、太郎は足を止めた。
そして、隣に立つイオへ顔を向けた。
「今回は負けませんよ?」
気負いのない声だった。
イオは一瞬だけ太郎へ顔を向ける。
「私も負ける気はないよ」
それだけ答え、再び正面へ視線を戻した。
太郎は小さく笑い、気さくに続けた。
「気合十分って感じですね。楽しみです」
イオは何も返さなかった。
太郎も、それ以上は言葉を重ねない。
しばらくして、スタッフから移動の指示が出た。
イオは歩き始める。
隣では、太郎も自身に指定された初期位置へ向かっていた。
その様子を見届けながら、リリアが手元のタブレット端末へ視線を落とした。
『さてさて。改めて今回のカードなんですが──』
表示された情報を指先で送る。
『お二人は、これまでにも何度か対戦しているんですね』
隣に座るしろが、小さく頷いた。
『そうですね』
『戦績は……おお、ほぼ五分!』
リリアが目を丸くする。
『ただ、直近の対戦ではイオ選手が勝っています。しろさん、ここはやっぱりイオ選手が少し有利と見てもいいんでしょうか?』
『どうでしょうね』
しろはモニターへ視線を向けたまま答える。
『これだけ対戦して戦績がほぼ五分なら、明確な相性差はないと思います』
『なるほど』
『直近の結果だけを見ればイオ選手です。ただ、一試合の勝敗だけで今回の優劣まで決めるのは難しいでしょうね』
『ということは──』
リリアが笑顔でマイクを握り直す。
『本当に、どっちが勝ってもおかしくない!』
『ええ。私も楽しみです』
再び、観客席から歓声が上がった。
イオは指定された初期位置で足を止める。
すぐに、足元の白い床がゆっくりと灰色へ染まっていった。
硬質な感触が靴底へ伝わる。
コンクリート。
そこから一本の道路が伸びていく。
白線。
ガードレール。
信号機。
道路標識。
何もなかった空間に、次々と街の輪郭が作られていく。
地面が微かに震えた。
道路の両側から、巨大なコンクリートの塊がせり上がる。
三階。
五階。
さらに、その上。
高さも形も異なるビルが視界を埋め、複数の路地と大通りがその隙間を縫うように伸びていった。
最後に、街の遠景が形を持つ。
生成が止まった。
イオは正面から左右へ、ゆっくりと視線を動かした。
一際高いビル。
その隣に立つ、少し低いオフィスビル。
さらに奥。
大通り。
交差する二本の道路。
その周囲に並ぶ低層の建物。
数秒だけ街を見渡し、視線が一棟のビルで止まった。
最も高い建物ではない。
だが、複数の道路を見下ろすことができる位置にある。
イオはその建物から視線を外した。
ほんの一瞬だけ、背中に担いだ狙撃銃へ目を向ける。
会場の声は、もう聞こえない。
観客も。
実況も。
今、この場所にいるのは自分と太郎だけだった。
短い静寂。
そして──
試合開始を告げるブザーが鳴った。
イオは走り出した。
迷いはない。
先ほど目をつけたオフィスビルへ向かう。
入口を抜けると、狙撃銃を背負ったまま階段を駆け上がった。
二階。
三階。
途中で一度足を止める。
バッグから小型のモーションセンサーを取り出し、階段脇の壁へ取り付けた。
再び走る。
さらに上へ。
途中の踊り場にも、同じようにセンサーを設置する。
全ての階を塞ぐ必要はない。
誰かがここへ入ってきた。
それさえ分かればいい。
最後の階段を上りきる。
開け放たれた扉の先へ出ると、冷たい風が軍服の裾を揺らした。
眼下に、先ほど生成された街が広がっている。
イオは周囲を見渡した。
まだ太郎の姿はない。
背中から狙撃銃を下ろす。
その場で膝をつき、狙撃銃を構える。
スコープを覗き込む。
視界が狭まった。
道路。
窓。
建物の隙間。
一つずつ、確認していく。
太郎がどこから始まったのかは分からない。
だが──。
スコープをゆっくりと動かす。
大通りの向こう。
低層ビルの角。
何もない。
イオはそのまま照準を置いた。
数秒。
さらに数秒。
変化はない。
それでも、銃口を動かさなかった。
太郎なら、自分がどこを選ぶのかくらいは分かっている。
地形を見れば、候補を絞ることくらい難しくない。
だからこそ、簡単には出てこない。
イオはスコープの中を見つめ続けた。
やがて──。
低層ビルの陰から、人影がわずかに覗いた。
太郎。
すぐに引っ込む。
位置を確認しただけだろう。
イオは動かなかった。
照準を、その建物の角に置く。
距離。
弾速。
落下。
しばらくして、再び太郎が姿を見せた。
今度は先ほどより深く。
大通りへ向かって駆け出す。
引き金を絞った。
轟音。
狙撃銃が肩を押し返す。
スコープの中。
太郎の後方で、アスファルトが弾けた。
反応が遅れた。
だが、太郎は即座に身体を反転させた。
踏み出したばかりの大通りから、元いた建物の陰へ飛び込んだ。
姿が消える。
イオは狙撃銃のボルトへ手をかけた。
空薬莢が宙を舞う。
次弾を送り込む。
そして、再び同じ角へ照準を戻した。
照準を先ほどより、半歩横に置く。
今度は、外さない。
ゆっくり息を吐き、もう一度引き金に触れた。
出てこない。
指先に、冷たい鉄の感覚が伝わる。
イオはわずかに照準を動かした。
大通りへ続く角。
建物脇の路地。
最短でこのビルへ向かうなら、このルートしかなかった。
けれども、太郎が同じ場所からもう一度姿を見せる理由はない。
もう一度、先ほどの角を捉えようとした時、視界の端で何かが動いた。
イオの照準が、反射的にそれを追う。
指は動かなかった。
影はアスファルトへ落ち、二度、三度と跳ねる。
コンクリートの破片。
違う。
イオは照準を破片から、太郎の消えた角へ戻す。
その瞬間、太郎が飛び出した。
加速した身体が、スコープの端を横切っていく。
イオはその姿を追い、銃口を右へ滑らせた。
まだ、次の遮蔽まで距離はある。
スコープの端に太郎を捕え、短く息を止めた。
太郎の重心がわずかに揺らいだ。
イオは引き金を絞った。
重い発砲音に続いて、太郎の右肩口を銃弾が掠めた。
太郎はよろけながらも、目の前の建物に身を滑り込ませた。
仕留めきれなかった。
イオはすぐにボルトを起こし、次弾を送り込む。
そして、太郎が消えた建物へスコープを向けた。




