第37話 切り捨てない
控え室の扉が閉まった。
外から聞こえていた歓声が遠ざかり、室内に静寂が戻る。
なこは扉の前に立ったまま、しばらく動けなかった。
やがて肩から短機関銃のスリングを外し、床へ落とす。
重い音が、静かな室内へ響いた。
腰に巻いたベルトを緩め、そこに並んだ装備を外していく。
予備の弾倉が入ったポーチ。
使わなかったガジェット。
刹那に落とされた携帯端末。
一つずつ確かめることもなく、足元へ落としていった。
普段なら、残数を確認してから種類ごとに机へ並べている。
けれど今は、それすらどうでもよかった。
切り裂かれたオーバーポンチョを脱ぎ捨てる。
その下から、胴へ固定した複数のC4が姿を現した。
最後に残った装備。
なこは留め具を外そうと、右手を伸ばした。
刹那に捻り上げられた手首が、鈍く痛む。
指先が止まった。
携帯端末へ伸ばした親指。
画面へ触れる寸前に掴まれた手首。
地面へ叩きつけられ、端末が指から離れていく感触。
「……押せなかった」
小さな声が、誰もいない室内へ落ちた。
自分ごと吹き飛ばす覚悟だった。
それすら、届かなかった。
なこはC4を身につけたまま、壁際の長椅子へ腰を下ろした。
何が悪かったのか。
どうすれば勝てたのか。
考えなければならないはずなのに、喉へ触れた冷たい刃の感触が思考を塞いでいた。
怖かった。
不意に、控え室の扉がノックされた。
少し間を置いて、もう一度ノックの音が響く。
「……どうぞ」
掠れた声で答えると、扉が開いた。
紺色の軍服に、見慣れたガスマスク。
イオは室内へ入ると、床へ散らばった装備へ顔を向けた。
すぐには、なこのもとへ来なかった。
足元に落ちていた短機関銃を拾い上げ、銃口を壁側へ向けて机へ置く。
続いて、外されたポーチと携帯端末を拾い、一つずつ机の上へ並べていった。
最後に、切り裂かれたオーバーポンチョを拾い上げる。
裂けた襟元へ一度だけ顔を向けてから、丁寧に畳み、ほかの装備の隣へ置いた。
なこは、その様子を黙って見ていた。
すべてを拾い終えたイオが、なこの隣へ歩み寄る。
「隣、いいかな?」
なこは無言で頷いた。
イオが隣へ腰を下ろす。
控え室へ、再び静寂が戻る。
なこは膝の上で両手を重ねたまま、床へ視線を落としていた。
何かを話さなければならない気がする。
けれど、何から話せばいいのか分からない。
隣に座るイオも、何も言わなかった。
ただ、膝の上で組んでいた指を一度だけ組み直した。
ガスマスクがわずかになこのほうへ向き、また正面へ戻る。
「……勝てないとは、思っていました」
イオは何も答えない。
「実力に差があることも、分かっていたつもりです。イオ殿も、しろ殿も……誰も、私が勝てるとは言いませんでしたから」
責めるつもりはなかった。
分かっていたのだと、自分へ言い聞かせたかった。
「ですが……もう少し、できると思っていました」
重ねた指に、少しずつ力が入る。
「負けるとしても、もう少しくらいは……刹那氏を困らせられると思っていたんです」
センサーマインは当たった。
スモークも使った。
最後には、自分の身体へ巻いたC4まで使おうとした。
「あそこまでしても、届きませんでした」
言葉にした途端、胸の奥に押し込めていたものが込み上げてくる。
「それに、最後は……怖くなってしまったんです」
喉へ触れた刃を思い出し、無意識に首元へ手を添える。
「刃が触れたら、何も考えられなくなって……自分で、試合を終わらせてしまいました」
「まだ手はあると言いました。ですが、本当は何も残っていなかった。ただ、諦めたくなかっただけなんです」
イオは口を挟まなかった。
なこが次の言葉を見つけるまで、静かに待っている。
「ボリス殿との試合では、あれほど容赦がなかったのに……」
倒れたボリスへ馬乗りになり、その喉へ迷わずナイフを突き立てた刹那。
それを見ていたからこそ、自分との違いが分かってしまった。
「私には、降参する時間まで与えてくれました」
なこの身体には、目立った傷がほとんど残っていない。
「いつでも終わらせられたはずなのに……私が降参するのを、待っていたんです」
それはきっと、刹那なりの気遣いだった。
分かっている。
だからこそ、悔しかった。
「私は……刹那氏に、敵とすら思われていなかったのでしょうか」
イオが、なこへ顔を向ける。
なこは俯いていた顔を上げた。
視界が滲み、目の前に座るイオの姿がぼやけていく。
「私は、情けをかけられるほど弱いのでしょうか!」
堪えていた声が、控え室へ響いた。
イオはすぐには答えなかった。
なこの荒い呼吸が落ち着くのを待ってから、口を開く。
「……今の君では、彼女には及ばない」
胸へ突き刺さった言葉に、なこは唇を噛む。
「だが、あれは情けじゃない」
「では、なぜ……」
「ボリスは、最後まで抵抗をやめなかった。あの場で止めなければ、また立ち上がっていただろう」
イオは机に置かれた携帯端末へ顔を向けた。
「君は端末を失い、腕を押さえられていた。あの時点で、勝負は決していた」
なこは何も答えられなかった。
「刹那君は、勝負が決まったあとまで君を傷つける必要はないと判断した。それだけだ」
「ですが……」
「手を止めることと、相手を見下すことは同じじゃない」
落ち着いた声が、なこの言葉を遮った。
「刹那君は罠を警戒し、その一つを受けた。それでも距離を詰め、最後の一手にも対応した。最初から最後まで、君を敵として見ていたよ」
なこの膝の上で、固く握られていた指がわずかに緩む。
「悔しいか?」
「……はい」
「なら、まだ未来がある」
イオの声は、普段と変わらず静かだった。
「その悔しさを糧にして、次へ挑めばいい。今は届かなくても、次も同じとは限らない」
今すぐ立ち直れるわけではない。
悔しさも、喉に残る刃の感触も消えてはいない。
それでも、先ほどまで何も考えられなかった頭に、ほんの少しだけ先のことが浮かんだ。
イオが腰を上げ、なこの正面へ片膝をついた。
「そのC4を外してもいいか?」
なこは少し戸惑いながらも、頷いた。
「……お願いします」
「外すぞ」
イオは留め具へ手をかけ、なこの身体へ固定されていたC4を一つずつ外していく。
取り外したものは放り出さず、足元へ静かに置いていく。
「なこ君」
「はい」
「あの戦い方は、二度とするな」
イオの手が止まる。
声を荒らげてはいない。
それでも、先ほどまでとは明らかに違う、強い響きがあった。
「ですが……あれが、一番可能性の高い手でした」
「分かっている。戦術として成立していたことも否定しない」
最後のC4が外された。
取り外したC4を、イオはほかの装備から少し離れた机の端へ並べていった。
「それでも、自分を切り捨てる戦い方を勝ち筋に数えるな」
イオが、まっすぐになこを見た。
「生き残ることを、最後まで諦めるな。それが、私たちの戦い方だ」
なこは机に並べられたC4を見つめた。
自分ごと刹那を吹き飛ばそうとした、最後の一手。
それが今は、イオの手によって身体からすべて取り外されている。
「約束してくれるか?」
「……はい」
少し迷ったあと、なこははっきりと頷いた。
「もう、あのような戦い方はしません」
「ああ」
その時、イオの携帯端末から短い電子音が鳴った。
画面には、準決勝第2試合の入場案内が表示されている。
イオは立ち上がり、扉へ向かって歩き始めた。
「イオ殿」
呼び止めると、イオがこちらへ振り返る。
「……ご武運を」
イオはしばらくなこを見つめるように立っていた。
やがて、小さく頷く。
「あとは私に任せろ、なこ君」
扉へ手をかけたまま、告げる。
「君の無念は、私が決勝で晴らそう」
扉が開き、イオは控え室を出ていった。
再び一人になった室内で、なこは机へ視線を戻す。
身体に巻かれていたC4は、もう一つも残っていなかった。




