第36話 届かなかったもの
背の高い木々が、会場を覆うように立ち並んでいた。
重なり合った枝葉が陽光を遮り、湿った地面には濃い影が落ちている。
なこは短機関銃のセレクターを確かめると、携帯端末を起動した。
灰色のオーバーポンチョが、木々の間を抜ける風に小さく揺れる。
周囲に刹那の姿はない。
互いの初期位置が離れているのは、なこにとって唯一の救いだった。
開始を告げるブザーが森へ響いた。
なこはすぐさま、その場を離れた。
木々の隙間へ注意を払いながら、足早に森を進んでいく。
急ぐ必要はある。
だが、焦って刹那と鉢合わせれば、その時点で終わる。
なこは太い幹の陰で一度足を止め、手のひらに収まる小型のモーションセンサーを取り出した。
幹へ固定し、端末との接続を確認する。
地図上に、新たな反応範囲が表示された。
そのまま進路を変え、二つ目を少し離れた木へ設置する。
反応はない。
まだ、刹那は近くにいない。
なこは歩調を速めた。
探しているのは、二つのマインを離して設置できるだけの開けた場所だった。
途中、低木の陰へ小型の迎撃タレットを置く。
銃口を自分が来た方向へ向け、自動迎撃を有効にした。
発砲すれば、刹那に自分が通った場所を知らせることになる。
残したタレットを辿れば、進んだ方向も割れる。
それでいい。
追ってきてもらわなければ、本命を仕掛けた場所まで誘い込めない。
さらに二つのモーションセンサーを設置し、もう一基のタレットを別の木陰へ残す。
慎重に周囲を確かめながら、それでも足は止めない。
やがて木々の密度が薄くなり、前方に開けた場所が見えた。
なこは木陰に身を置いたまま、広場へ視線を巡らせる。
刹那の姿はない。
携帯端末にも、まだ反応は表示されていなかった。
開けた場所へ踏み込み、腰のポーチから二つのマインを取り出した。
一つ目は、遠隔起爆式。
刹那が入ってくると予想した側の草むらへ隠し、端末と接続する。
二つ目は、周囲の動きを感知して自動で作動するセンサー式。
そこから距離を取り、広場の反対側にある倒木の手前へ埋め込んだ。
なこはさらに後ろへ下がり、倒木を遮蔽物にして身を伏せる。
正面には、草に紛れたセンサーマイン。
その向こうに、起爆式マイン。
あとは、刹那が来るのを待つだけだった。
遠くで、乾いた銃声が響いた。
一基目の迎撃タレットが作動したのだ。
携帯端末へ目を落とす。
森の奥に設置したモーションセンサーが、人の動きを捉えている。
反応は短く止まり、直後にタレットとの接続が途切れた。
次のセンサーが反応する。
表示された点は、なこが残した経路を辿るように近づいていた。
ほどなくして、二基目のタレットも発砲を始める。
銃声は数秒と続かず、再び接続が消えた。
それでも十分だった。
端末上の反応が、最後のモーションセンサーを通過する。
なこは短機関銃を構え、倒木の陰から広場を見据えた。
木々の間から、刹那が姿を現す。
右手には、逆手に握られたアーミーナイフ。
刹那はすぐには踏み込まず、広場の外から周囲を見回した。
おそらく、罠があることには気づいている。
けれど、どこに、いくつあるかまでは分かっていないはず。
刹那が広場に足を踏み入れた。
その直後、なこは端末へ指を滑らせた。
起爆式マインが作動する。
地面を揺らす爆発とともに、土と炎が噴き上がった。
刹那は爆発の直前に横へ跳び、すでに爆炎の外へ逃れていた。
姿を隠していたなこと目が合った。
刹那が地面を蹴る。
爆発を避けた直後とは思えない速度で、広場を一直線に駆け抜けてくる。
──相手の迷いを見逃さない。一度距離を詰められれば、立て直すのは難しい。
イオの言葉どおりだった。
そして、だからこそ読めた。
刹那の足が、倒木の手前へ差しかかる。
甲高い作動音。
刹那が咄嗟に身体をひねった直後、センサーマインが爆発した。
爆炎の中心からは外れたものの、衝撃が刹那の身体を横へ弾き飛ばす。
なこは結果を確かめなかった。
腰のポーチからスモークグレネードを抜き、爆発地点へ投げ込む。
白煙が勢いよく広がり、倒れた刹那の姿を覆い隠した。
なこは煙の中心へ短機関銃を向け、引き金を絞った。
銃声が連続して響き、白煙の中へ弾丸が吸い込まれていく。
弾倉を撃ち切る前に指を離し、背を向けた。
ここで倒せるとは思っていない。
もう一度距離を作り、残った手を考える。
木々の間へ逃げ込もうとした、その時だった。
背後で、白煙が大きく揺らいだ。
なこが振り返ると同時に、刹那が煙の中から飛び出してくる。
迫る刹那を避けようと、なこは咄嗟に身体を横へずらした。
二人の身体が、触れ合うほどの距離ですれ違う。
すれ違いざま、銀色の刃が走った。
なこは反射的に身体を仰け反らせる。
切っ先が喉元を掠め、オーバーポンチョの襟を切り裂いた。
勢いのままなこの前へ抜けた刹那が、足を止めて振り返る。
なこは体勢を崩したまま後ろへ下がり、短機関銃を構え直した。
進行方向を塞ぐように、刹那が立っている。
爆発を受けた戦闘服は裂け、腕や脚には傷が残っていた。
それでも、赤い瞳はまっすぐになこを捉えている。
見えていなかったはず。
なのに刹那は、なこの逃げる方向を正確に捉えていた。
「……は、はは」
喉の奥から、乾いた笑いが漏れた。
実力差があることは、最初から分かっていた。
だが、ここまで来ると、それだけで片づけていいものか分からなかった。
「イオ殿から聞いてはいましたが……想像以上ですな」
なこは短機関銃を下ろさず、刹那を中心にして横へ移動する。
刹那も追うように身体の向きを変えた。
距離は広がらない。
けれど、近づきもしない。
互いに次の一手を探るように、一定の間合いを保っている。
なこは短機関銃をスリングに預け、オーバーポンチョの内側から携帯端末を取り出した。
オーバーポンチョの下、胴には複数のC4が固定されていた。
同じ爆発を至近距離で受ければ、耐久力の低い刹那のほうがわずかに不利になる。
それが、なこに残された最後の勝ち筋。
そして、これこそが本当の本命だった。
「イオさんが、私のことを?」
刹那が初めて口を開いた。
「ええ。随分と楽しそうに話しておられましたぞ」
なこは携帯端末を握り直す。
画面には、C4を起動するための操作ボタンが表示されている。
刹那の表情が、ほんのわずかに揺れた。
その足が前へ出る。
同時に、なこも地面を蹴った。
刹那がナイフを振り上げるより先に、その懐へ飛び込む。
左腕を背中へ回し、逃がさないよう身体を密着させる。
その動きに重ねて、右手に握った携帯端末の画面へ親指を伸ばした。
「……捕まえましたぞ」
刹那の赤い瞳が、端末を捉える。
親指が画面へ触れる寸前、右手首を掴まれた。
腕を外側へ捻られ、密着していた身体が強引に引き剥がされる。
次の瞬間、なこの身体が地面へ叩きつけられた。
「ぐっ……!」
胸へ衝撃が走った。
右腕を背中側へ捻り上げられる。
痛みに指の力が抜け、携帯端末が手から落ちた。
刹那の膝に背中を押さえつけられ、身体を起こすことすらできない。
引き裂かれたオーバーポンチョの隙間から、胴へ固定したC4がのぞいていた。
それを目にした刹那が、呆れたように息を吐いた。
「……危ないこと考えるな。でも、こうなったら打つ手なしだろ。諦めろ」
「いえ。まだ手はありますぞ」
「この状況でか?」
「……」
「そうか……」
腕を締め上げる力は緩まない。
背後から回されたナイフの刃が、なこの喉元へ触れた。
冷たい鉄の感触に、喉がひゅっと縮む。
刹那がナイフを引けば、次の瞬間には喉を切り裂かれる。
分かっているのに、声が出ない。
喉へ押し当てられた刃が、ほんのわずかに動いた。
「……ま、参りました」
震える息とともに、言葉が漏れた。
『な、なこ選手、降参! 勝者、刹那選手です!』
森の中へ、リリアの声と観客の歓声が響き渡る。
刹那は何も言わず、なこの腕を離した。
そのまま立ち上がり、一度も振り返ることなく歩き去っていく。
滲む視界の中、なこは地面へ伏したまま、その背中が木々の向こうへ消えるのを見送った。




