第35話 会ってみたい人
控え室のモニターに、準決勝の対戦カードが表示されていた。
《準決勝第1試合》
《なこ 対 刹那》
なこは椅子に腰掛けたまま、隣り合った二つの名前を見つめていた。
ここまで勝ち上がれるとは思っていなかった。まして、刹那と対戦することになるなど、大会へ申し込んだ時には考えてもいなかった。
そもそも、自分がこの大会へ参加した理由は──。
────────
大会の参加受付が始まって間もない頃。
BCCの拠点では、何人ものクランメンバーが普段と変わらない時間を過ごしていた。
壁際の端末で任務ログを確認している者。机に銃を広げ、黙々と整備を続けている者。
ロビーの一角では、なことセラが同じ机を囲み、それぞれの端末を眺めていた。
なこは公開されたばかりのPvP大会スレッドを何気なく開いた。
個人が主催する、参加者16名の小規模な大会。
その一覧に、見慣れた名前が増えていた。
IO。
対人ランキング9位。
「イオ殿が、この大会に?」
思わず漏れた声に、向かいのセラが端末から顔を上げた。
「イオさん?」
「はい。先ほど、参加者一覧に追加されたようです」
セラは自分の端末でも一覧を開き、そこに表示された名前を確かめた。
「ほんとだ。こういう大会に出るの、珍しいね」
「ええ。もう少し規模の大きな大会なら分かるのですが」
賞金も、名誉も、ランキングへの影響も大きくない。
イオほどのプレイヤーが、わざわざ参加する理由が思いつかなかった。
「気になるなら、本人に聞いてみれば?」
「参加された理由まで尋ねるのも……。イオ殿は、こういうことを詮索されるのを好まない気がします」
「そうかなぁ」
セラはそう言って、なこの背後へ視線を向けた。その口元が、わずかに緩む。
「あ、ちょうど来た。イオさーん」
「セ、セラ氏!?」
振り返ると、紺色の軍服にいつものガスマスクを身につけたイオが、ロビーの端を歩いていた。
セラの声に気づき、足を止める。
イオは二人のもとまで歩み寄ると、静かに首を傾けた。
「どうかしたか?」
「なこちが、聞きたいことあるらしいですよ」
「なぜ私に振るのですか……」
なこは恨めしそうにセラを見た。
けれども、呼び止めてしまった以上、今さら何もないとは言いづらい。
「その……イオ殿が、この大会へ参加された理由が少し気になりまして」
イオは、なこの端末に表示された参加者一覧をのぞき込んだ。
「ああ、それか。刹那という、昔からの知り合いが出るんだ」
「こちらの方ですか?」
「ああ」
参加者一覧には、イオよりも先に刹那の名前が登録されていた。
対人ランキングは圏外。大会の戦績も、まったくない。
「どのような方なのですか?」
「速い。接近戦なら、私が知る中でも指折りだ」
イオはそこで話を終えなかった。
「相手の迷いを見逃さない。一度距離を詰められれば、立て直すのは難しい」
「随分とお強いのですね」
「ああ。無茶も多いが、土壇場では必ず前へ出る。昔から変わらない」
ガスマスクに隠れ、表情は見えない。
それでも、声は普段より少しだけ弾んでいるように聞こえた。
普段は落ち着いているイオが、一人のプレイヤーについて、聞かれた以上のことまで語っている。
なこが驚いていると、隣からセラの声がした。
「その人、男の人ですか?」
イオがセラへ顔を向ける。
「いや。女性だ」
「へー……」
セラはそれ以上何も言わず、手元の端末へ視線を戻した。
なこは二人を交互に見た。
理由は分からない。
けれども、先ほどまでより、ほんの少しだけ居心地が悪い。
「──では、私も参加してみましょうかな!」
なこは明るく声を弾ませると、二人に笑顔を向けた。
────────
その場の空気を変えるため、半ば勢いで口にした言葉だった。
けれど、イオがあれほど楽しそうな声で語る相手には、純粋に興味があった。
どんなプレイヤーなのか。一度、会って話してみたい。
その願いは、大会初日に刹那の控え室を訪れたことで、すでに叶っている。
そして今。
モニターには、対戦相手として彼女の名前が表示されていた。
『準決勝第1試合は、なこ選手対刹那選手です!』
天井のスピーカーから、リリアの声が響く。
『なこ選手は2回戦で、バグース選手の仕掛けを利用して逆転勝利。一方の刹那選手は、ボリス選手との激戦を制して準決勝へ進出しました!』
モニターの画面が切り替わり、実況席に座る二人が映し出された。
『しろさん。なこ選手の勝ち筋は、どこにあると思いますか?』
しろはすぐには答えなかった。
手元の資料へ視線を落とし、わずかに間を置いてから口を開く。
『……最初の一手、ですかね』
『最初の一手?』
『距離を詰められる前に、刹那選手の足を止めることです』
『それができなかった場合は?』
『厳しいでしょうね』
随分と気を遣われている。
なこが苦笑した時、控え室の扉がノックされた。
「どうぞ」
扉が開き、イオが入ってくる。
「準備は?」
「終わっています。いつでも行けますぞ」
イオは机の上に並べられた装備へ顔を向けた。
確認を終えた予備の弾倉。複数のガジェットを収めたポーチ。起動したままの携帯端末。
それらを一つずつ眺めたあと、イオはなこへ向き直った。
何かを言いたそうに見える。けれど、イオは何も言わなかった。
「しろ殿は、随分と言葉を選んでいましたな」
「……そうだな」
「イオ殿も、同じ考えですか?」
イオは答えない。
机の上の装備へ、もう一度顔を向けた。
その沈黙だけで、返事は分かってしまった。
しばらくして、イオが口を開く。
「対人戦は、何が起きるか分からない。運も絡む。断言はできない」
勝てるとは、言わなかった。
それでも、なこは小さく笑った。
「ありがとうございます」
イオはわずかに頷いた。
再び扉がノックされ、今度は大会スタッフが顔をのぞかせた。
「なこ選手、入場口へお願いします」
「はい。すぐに向かいます」
なこは立ち上がり、机の上の装備を身につけていく。
最後に携帯端末をポーチへ収め、イオへ向き直った。
「では、行ってきますぞ」
「ああ。行ってこい」
なこは一度だけ頭を下げ、スタッフとともに控え室を出た。
背後で扉が閉まる。
イオの姿が見えなくなった途端、自分の足音が妙に大きく聞こえた。
スタッフのあとを追い、会場の裏側へ続く通路を歩いていく。
しばらく進むと、正面に閉ざされた扉が見えてきた。
スタッフはその手前で足を止めた。
「呼ばれるまで、入場口前でお待ちください」
「ありがとうございます」
スタッフが来た道を戻っていく。
通路に残されたのは、なこ一人。
『刹那選手の入場です!』
遠くから届く歓声と、自分の呼吸だけが聞こえる。
急に、足が重くなった。
ボリスと戦った時の刹那が、頭に浮かぶ。
倒れた相手に馬乗りになり、その喉へ迷わずナイフを突き立てた刹那。
あの赤い瞳が、次は自分へ向けられる。
怖い。
認めた途端、指先がわずかに震えた。
なこは両手を握り、ゆっくりと息を吐く。
それから、腰に並ぶポーチへ一つずつ触れた。
装備はすべて揃っている。動作にも問題はない。
考えてきたことを、やれるだけやる。
勝てるとは、誰も言わなかった。
だからといって、勝つつもりがないわけではない。
『続いてなこ選手の入場です!』
その声と同時に、正面の扉から低い駆動音が響いた。
左右へ開いていく隙間から、眩しい光と歓声が流れ込んでくる。
なこは目を細めながら、一歩前へ踏み出した。
光の向こうに、一人の女が立っている。
あの日、会ってみたいと思った人が。
今は、自分を倒すために待っていた。




