第20話 誘導
試合開始を告げる電子音と同時に、らっとは走り出した。
周囲には大小さまざまなビルが立ち並び、その間を縫うようにいくつもの通路が延びている。
らっとが最初に目指したのは、その中でもひときわ高い建物だった。
イオは狙撃手。
まず高所を確保し、戦場を見渡せる場所からこちらを探す。
そう考えるのが自然だった。
一棟目。
階段を駆け上がり、上層階の窓から周囲を見渡す。
近隣の屋上に人影はない。
スコープの反射も、何かが動いた形跡も見つからなかった。
すぐに建物を下り、少し離れた二棟目へ向かう。
そこでも結果は同じだった。
らっとはビルの陰まで戻ると、神妙な面持ちで簡易マップを開いた。
地上には、無数の建物と通路。
その下には、複数の階層に分かれた地下施設まで広がっている。
「……このマップ、欠陥すぎんだろ」
1対1で使うには、あまりにも広すぎる。
同じ場所に隠れ続ければ、いずれエネミーが湧いて索敵を始める。
いつまでも隠れてはいられないとはいえ、この広さを一人で探し回るには時間がかかりすぎる。
しかも、地上だけでなく地下まである。
らっとはマップを閉じ、もう一度周囲へ視線を滑らせる。
このマップは、武器の射程による有利不利がはっきりしすぎている。
見通しのいい場所で距離を保たれれば、イオが圧倒的に有利。
反対に、室内で撃ち合うか、地下へ追い込めれば、ショットガンを持つらっとが有利になる。
だが、あのイオがわざわざ近距離戦に付き合うとは思えない。
「ッチ……めんどくせぇな……」
込み上げてきた苛立ちを抑えるため、大きく息を吸う。
そのまま、ゆっくりと吐き出した。
闇雲に走り回っても、無駄に疲れるだけ。
そろそろ、最初のエネミーが湧く頃合いだった。
それを倒して銃声を響かせ、イオにこちらを見つけさせる。
居場所すら分からない相手を探し続けるよりはましだった。
らっとがそう考えていた時。
静まり返った市街地に、数発の銃声が響き渡った。
近い。
らっとはすぐに建物の陰から飛び出し、銃声のした方角へ走り出した。
遮蔽物から遮蔽物へ移りながら進むと、建物に囲まれた広場へ出た。
らっとは手前のビルの陰に身を寄せ、壁の端から広場を覗き込む。
人影はない。
機械生命体の残骸も見当たらなかった。
すでに移動したか。
それとも、誘われているか。
どちらにせよ、見通しのいい場所へ身体を晒す理由はない。
エネミーに追われているなら、広場の外周から探せばいい。
らっとがその場を離れようとした時。
広場の奥、ビルとビルの間を、一つの人影が走り抜けた。
黒い装備。
顔を覆うガスマスク。
イオ。
見つけた。
だが、イオは何かに追われている様子ではなかった。
つまり、あの銃声は──こちらを呼ぶためのもの。
誘われている。
らっとはショットガンを握り直した。
罠なのは分かっている。
だが、距離を詰める絶好の機会でもある。
それを捨てる理由はない。
らっとは姿勢を低くしたまま広場へ飛び出した。
一直線には走らない。
射線を切るように遮蔽物の間を抜け、イオが消えたビルの陰へ向かう。
通路へ入ると同時に、銃口を正面へ向けた。
イオの姿はない。
数メートル先で、通路が左右に分かれている。
分岐へ差しかかると、足を止めずに左へ銃口を向けた。
その先に、ハンドガンを片手に走るイオの後ろ姿が見えた。
まだ遠い。
ショットガンを撃っても、有効な一撃にはならない。
「逃がすかよ!」
らっとは地面を強く踏み込み、一気に速度を上げた。
あと数メートルで、ショットガンの有効射程に入る。
その瞬間、イオが初めてこちらを振り返った。
追ってきているかを確かめた──というより、距離を測られた。
そんな違和感に、らっとの足がわずかに鈍る。
イオの空いていた手が腰へ回った。
次の瞬間、取り出された球体が背後へ放り投げられる。
らっとは反射的に右手の細い路地へ飛び込んだ。
直後。
背後で、激しい破裂音が響いた。
視界の端が白く染まり、耳の奥で甲高い音が鳴り続ける。
らっとは壁に背を預け、ショットガンを構えた。
耳鳴りが収まるのを待ち、路地の入口から通路を覗く。
イオはまだその場にいた。
こちらへハンドガンを向けることもなく、ただ静かに立っている。
らっとの姿を認めると、イオは再び背中を向けて走り出した。
まるで、早く来いとでも言わんばかりに。
「……あぁ゛ー……!」
らっとは片手で頭を乱暴に掻きむしり、言葉にならない呻き声を上げた。
「舐めた動きしやがって……ゼッテェぶっ殺す」
吐き捨てると、すぐに路地から飛び出してイオのあとを追った。
角を曲がり、細い通路を抜ける。
大通りへ飛び出したところで、らっとは足を止めた。
イオの姿がない。
数秒前まで、確かに前を走っていた。
この短時間で、遠くまで逃げられるはずがない。
「どこ行きやがった……」
左右へ視線を走らせる。
路地。
建物の入口。
遮蔽物の陰。
どこにも人影はない。
その時、大通りの脇にある階段が目に入った。
地下へ続く階段。
その奥から、硬い床を蹴る足音が一度だけ響いた。
逃げた方向を隠す気すらないらしい。
狙撃手が、自ら地下へ逃げ込んだ。
待ち伏せか。
それとも、さらに何か仕掛けているのか。
どちらでもいい。
わざわざこちらの得意な場所へ入った相手を、見逃すつもりはなかった。
「動きが舐めてると思ったら、立ち回りも舐めてやがった……」
らっとはショットガンを握り直し、地下へ続く階段を駆け下りた。




