第19話 持たない狙撃手
選手控室へ戻った刹那は、壁際の椅子に腰を下ろした。
背もたれに身体を預け、深く息を吐く。
そこでようやく、全身から力が抜けていった。
その直後、廊下の向こうから複数の足音が聞こえてきた。
「刹那さん!」
勢いよく扉が開き、ナナが我先にと飛び込んできた。
頬はわずかに上気し、興奮もまだ冷めていない。
その後ろから、美咲とれんが続く。
少し遅れて、アリスとマリアがゆっくりと控室へ入ってきた。
美咲は刹那の前まで来ると、両手を胸の前で合わせた。
「1回戦突破、おめでとうございます」
「さんきゅ。始まる前はどうなることかと思ったけど、なんとかなったわ」
「刹那ちゃん、緊張してるみたいだったから、心配だったわよ〜」
マリアが胸に手を当て、安心したように笑う。
「実際、緊張してましたしね」
れんの言葉に、刹那は小さく肩をすくめた。
「そういえば、どうして相手の場所が分かったんですか?」
美咲の問いかけに、刹那は椅子の背もたれから顔を上げた。
「んー。場所が分かってたっていうより、普通なら、複数の通りに射線を通せるあの高台を選ぶだろうと思ってな。私も向かう途中で見つけただけだ」
「屋根を伝って?」
ナナが片眉を上げた。
「そっちのほうが早いし、意表も突けるだろ」
「実際、上は警戒してませんでしたね」
れんが納得したように頷いた。
れんは携帯端末を取り出し、大会の配信画面を開いた。
「そろそろ、始まりますかね」
画面には、実況席に座るリリアとしろが映っていた。
刹那も横から画面を覗き込む。
「まだ始まってないのか。なげーな」
「どっかの誰かさんが、予定よりだいぶ早く終わらせたからじゃないですか?」
ナナが口元に手を当て、半目で刹那を見た。
刹那は一瞬だけナナを横目で見て、画面に視線を戻した。
配信画面の下には、第2試合に出場する二人の戦績が並んでいる。
それを見て、美咲が口を開いた。
「次は、お知り合いの方ですよね?」
「どっちが?」
ナナが刹那とれんの間に入り、下から端末を覗き込んだ。
「イオさんのほうです」
「へー。こっちの軍服の方が知り合いなんだ」
れんは画面に映るイオと、刹那を見比べた。
「えっ、イオさんとお知り合いなんですか?」
「まあな」
「あのBCCのイオさんですよ?」
「アリスもマリアさんも知り合いだぞ」
「マジっすか?」
れんは壁際の二人へ顔を向けた。
アリスは興味なさそうに、目を閉じて壁へ寄りかかっていた。
れんの視線に、マリアは柔らかく微笑んだ。
「私たち、みんな初期からやっているのよ。昔馴染みってところねぇ」
れんが驚きを隠せないまま、もう一度イオの戦績へ目を落とす。
ナナが刹那を見上げた。
「で、強いんですか?」
「見てれば分かる」
刹那が答えた直後、画面の中でリリアが手元の端末から顔を上げた。
『──おっと。準備ができたようです!』
配信画面が、実況席から入場ゲートへ切り替わる。
『皆さん、お待たせいたしました! 1回戦第2試合──両選手、入場です!』
先に名を呼ばれたのは、イオだった。
紺色の軍服の裾を揺らし、入場ゲートの奥から姿を現す。
顔は黒いガスマスクに覆われ、表情を窺うことはできなかった。
観客席から歓声が上がっても、歩調は変わらない。
そのまま悠々とフィールド中央まで進み、定位置へ立った。
続いて名を呼ばれたのは、らっとだった。
髪を後ろで束ねた、小柄な青年。
らっとは緊張した様子もなく、軽くスキップしながら入場してくる。
正面だけを見据えるイオと、へらへらと笑うらっと。
纏う空気は正反対だったが、どちらの足取りにも迷いはなかった。
フィールド中央で向かい合うと、らっとが右手を差し出した。
イオは無言のまま、その手を握り返す。
対するらっとは、握手を終えても変わらず笑っていた。
二人がそれぞれの初期位置へ戻る。
床面を走った光が周囲を塗り替え、何もなかったフィールドに大通りと高層ビル群が形作られていく。
建物の間には細い路地が伸び、いくつもの窓が大通りを見下ろしていた。
『第2試合は都心マップです!』
リリアのよく通る声に続き、しろが落ち着いた口調で解説する。
『狙撃を得意とするイオ選手は、地上の高所を取りたい。対するらっと選手は、地下へ持ち込みたいはずです。互いに狙う場所が正反対ですから、位置の探り合いは長引くかもしれません』
二人の正面に、試合開始までの数字が浮かび上がった。
《00:03》
《00:02》
《00:01》
《BATTLE START》
────────
開始を告げるブザーが鳴った。
同時に、イオは初期位置から走り出した。
正面には、高層ビル群が立ち並んでいる。
屋上を取れば、複数の通りへ射線を通せる。
位置を知られても、らっとが距離を詰めるまでには十分な時間があった。
狙撃手なら、真っ先に高所を目指す。
少なくとも、らっとはそう考える。
けれど、イオはビルへ向かわなかった。
大通りを横切り、地下へ続く階段へ向かう。
腰のポーチから小型の装置を取り出すと、階段から少し離れた案内板の陰へ貼り付けた。
センサービーコン。
周囲を通過したプレイヤーを感知し、その位置を所有者へ知らせる索敵装置。
「……らっと君は怒るだろうな」
イオは作動を確認すると、足を止めることなく階段を下りていった。
地下へ入ると、地上の明かりはすぐに届かなくなった。
天井に残された照明が、一定の間隔で通路を白く照らしている。
地下街の両側には、シャッターの下りた店舗が並んでいた。
イオは通路を進みながら、二つ目のビーコンを柱の裏へ置いた。
そこから離れた分岐にも、もう一つ。
いずれも、イオが狙撃地点に選んだ場所からは遠い。
最初のビーコンを見つければ、らっとはその周囲を警戒する。
だが、そこにイオはいない。
次も囮だと切り捨てるか。
それとも、今度こそ近くにいると疑うか。
どちらでもいい。
わずかに足が止まれば、それで十分だった。
イオは地下街の奥へ進み、地下2階へ続く階段を下りていく。
下りた先には、広い商業区画が広がっていた。
店舗を隔てていた壁の多くは崩れ、カウンターや陳列棚だけが残されている。
遮蔽物はある。
だが、区画の端から奥まで見渡せるほど、視界は開けていた。
地下でありながら、長い射線を確保できる。
イオは周囲を見渡し、階段から最も離れた店舗へ向かった。
残されていたカウンターの奥へ入り、肩に掛けていたスナイパーライフルを下ろした。
折り畳まれていた二脚を開き、カウンターの上へライフルを据える。
銃口の先には、先ほど下りてきた階段へ続く通路。
正面から来るなら、らっとは必ずあの通路を通る。
地下2階には、ビーコンを置いていない。
地下1階で最後に反応した位置から、らっとが地下2階へ到達するまでの時間は読める。
迎撃のタイミングを計るには、それで十分だった。
イオは一度ライフルから手を離すと、腰のポーチから薄い円盤状の装置を取り出した。
スタントラップ。
接触した相手へ電流を流し、短時間だけ動きを奪う。
イオは出入口へ目を向ける。
置かない。
ああいった場所は、真っ先に警戒される。
通路にも置かない。
らっとほどのプレイヤーなら、接近しながら足元も確認する。
イオは、すぐ横の天井を見上げた。
そこには、金属製の格子がはめ込まれている。
格子の奥には、地下1階へつながる換気ダクトが延びていた。
地下2階へ入る経路は、階段だけではない。
イオは格子の真下──自分のすぐ横へスタントラップを置いた。
立ち上がると、端末を開いた。
地上と地下1階。
離れた場所に配置したビーコンは、すべて正常に作動している。
端末を閉じ、カウンターの内側で身を低くする。
ライフルのストックを肩へ当て、通路の奥へ照準を合わせた。
スコープの中には、まだ誰も映っていない。
射線に問題はない。
イオはライフルから顔を離した。
準備は整った。
地上では今頃、らっとがイオの姿を探している。
イオはライフルをカウンターへ据えたまま、立ち上がった。
ここで待つつもりはない。
そのままカウンターを離れると、地上を目指して階段を上り始めた。




