第17話 07:06
きっかけは、大会の少し前だった。
「このポーチ、かわいい。ちょっと欲しいかも」
女性のフレンドが、画像を表示した端末をぽっくに差し出した。
個人大会の優勝賞品。
白い小型のポーチには、小さな花の刺繍が施されている。
ぽっくは画面を下にスライドさせ、大会概要に目を通した。
参加者は16人。
個人主催で、規模もそれほど大きくない。
ぽっくは考えるように視線を落とした。
対人戦の経験なら、それなりにある。
これなら、もしかすると。
「俺が出ようか?」
「え? いいの!?」
「まあ、あんまり期待しないでね」
参加した理由は、その程度だった。
下心がなかったと言えば、嘘になる。
にしても──
「この仕打ちはないだろ……」
地鳴りのような歓声が、試合場へ続く通路まで響いていた。
参加者の募集が締め切られたあと、大会は運営公認になった。
公式実況。
公式配信。
そして、観客席を埋め尽くすプレイヤーたち。
こんな大舞台に立つつもりで、参加したわけではない。
ぽっくは両手を握り、何度か開いた。
指先が少し冷たい。
それでも、初戦は当たりを引けた。
対戦相手はランク圏外。
公開されている対人戦の記録もない。
何も分からない相手ではあるが、ランカーを引くよりは、いくらかましなはずだった。
落ち着け。
普段通りやれ。
大会が大きくなっても、やることは変わらない。
『それでは──ぽっく選手、入場です!』
通路の先から、リリアの声が響いた。
隣に立っていたスタッフが、光の差し込む出口を手で示す。
「どうぞ」
ぽっくは一度だけ深く息を吸った。
「よしっ!」
光の中へ駆け出した。
歓声が一段大きくなる。
眩しさに目を細めながら、すぐさま観客席へ手を振った。
できるだけ大きく腕を動かす。
笑顔を作る。
じっとしていたら、緊張まで身体の中に居座りそうだった。
数歩進んだところで、スタッフが片手を上げた。
「こちらでお待ちください」
ぽっくは指定された位置で足を止める。
『続いて──刹那選手、入場です!』
ぽっくが出てきた通路の隣。
白い光の奥から、刹那が姿を現した。
走りもしない。
観客へ手を振りもしない。
俯き気味に、一歩ずつ静かに歩いてくる。
その姿に、迷いはないように見えた。
「……おいおい。本当に、大会は初めてなのかよ」
刹那は歓声に顔を上げることなく、ぽっくの隣へ並んだ。
『では、両選手! 握手をお願いします!』
ぽっくは刹那へ向き直り、右手を差し出した。
「よろしくお願いします!」
返事はなかった。
正面を見たまま動かない刹那に、ぽっくは顔をしかめた。
『刹那選手ー?』
リリアがもう一度呼びかける。
そこでようやく、刹那が顔を向けた。
差し出された手を見て、わずかに目を見開く。
「……ああ、悪い。よろしく」
刹那が右手を伸ばす。
その指先が、ほんのわずかに震えていた。
刹那の手を握り返すぽっくの口元は、自然と緩んでいた。
握手を終えると、二人はスタッフに促され、それぞれのスタート位置へ向かった。
ぽっくが指定された円の中に入る。
直後、足元から低い駆動音が響いた。
平坦だったフィールドに、白い線が走る。
道路が敷かれ、灰色の建物が次々と姿を現した。
交差点。
細い路地。
傾いた標識。
崩れかけた建物。
何もなかった場所が、瞬く間に荒廃した市街地へ塗り替えられていく。
ぽっくはその場で軽く跳ね、肩を回した。
身体をほぐしながら、視線をフィールドへ走らせる。
正面には大通り。
その向こうには、周囲を見渡せそうな場所がある。
先手必勝。
頭上の大型モニターの画面が二つに分かれ、ぽっくと刹那の姿を映し出した。
ぽっくは身体を動かし続けている。
刹那は、俯いたまま佇んでいた。
「そのまま、おとなしくしててくれよ」
モニターに数字が表示される。
『それでは、1回戦第1試合! 刹那選手対ぽっく選手──開始します!』
『よろしくお願いします』
しろの穏やかな声が続いた。
《00:05》
表示された数字が、一つずつ減っていく。
ぽっくは跳ねるのをやめ、腰を落とした。
《00:03》
刹那は、まだ動かない。
《00:01》
開始を告げるブザーが鳴った。
ぽっくは、刹那より早く地面を蹴った。
頭は回っている。
予定どおり、先手も取れた。
なら、普段通りにやればいい。
ぽっくは大通りを抜け、細い路地へ入った。
角を曲がると同時に、壁へ一つ目のセンサービーコンを貼り付ける。
さらに先へ進み、別の通りへ出る。
交差点の瓦礫に二つ目。
建物の外壁に三つ目。
端末に表示された簡易マップ上で、感知範囲が重なっていく。
近距離戦を得意とする相手に、死角から近づかせない。
相手より早く移動し、広く視界を確保する。
そして、先に有利な位置を取る。
ぽっくは立ち止まらなかった。
角を曲がる。
建物を迂回する。
後方を確認しながら、さらにビーコンを設置していく。
刹那の反応はない。
銃声も聞こえない。
こちらの位置を探しているのか。
それとも、まだ動けずにいるのか。
どちらでも構わない。
時間を使うほど、見えている範囲はこちらのほうが広くなる。
いくつ目かの角を曲がったところで、ようやく目的の場所が見えた。
大通りを挟んだ向かい側。
細い路地の先に、周囲より少し高い建物がある。
あそこなら、複数の通りへ射線を通せる。
ぽっくが大通りを渡り、路地へ入ろうとした時だった。
端末が短く鳴った。
背後に残したセンサービーコンが反応している。
赤い点が一つ。
それが、こちらへ向かっていた。
「来た」
速い。
想定していたより、はるかに速い。
このまま路地へ入れば、左右の建物が死角になる。
近づかれている状況で、わざわざ相手の得意な場所へ入る必要はない。
ぽっくは足を止めた。
大通りの中央で振り返り、銃を構える。
目の前には、細い通路。
遮蔽物は少なく、奥まで射線が通っている。
反応は一直線に向かってきていた。
ここで迎え撃つ。
銃口を通りの奥へ向ける。
いつ刹那が姿を現してもいいように、神経を尖らせる。
赤い点が近づいてくる。
来ない。
通りには、誰もいない。
ぽっくは一瞬だけ端末へ視線を落とした。
反応はもう、目の前まで来ている。
「……は?」
顔を上げ、通りの奥を見た。
やはり、姿はない。
平面に落とし込まれた赤い点が、建物の輪郭を突っ切るように迫ってくる。
建物の中。
いや、違う。
内部を、この速度で移動できるわけがない。
一瞬、光学迷彩が頭をよぎる。
だが、今回の貸出装備にそんなものはないはず。
なら──
上。
ぽっくは空を見上げた。
電子の青空が、一面に広がっている。
その中に、異物が映り込んだ。
逆光に沈んだ顔。
深紅の瞳だけが、鋭くぽっくを捉えていた。
目が、合った。
《MATCH FINISHED》
《WINNER:刹那》
《決着時間──07:06》




