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第15話 ドッグタグ

 会場へ入ってすぐ、通路は二手に分かれていた。


 右手に観客席。


 左手には、大会受付と選手控室へ続く案内が表示されている。


「それじゃあ、私たちは先に観客席へ行ってるわねぇ」


 マリアは観客席の案内を指さすと、ナナとれんに顔を向けた。


「いい席がなくなる前に行くわよぉ」


「この混み方なら、急いだほうがよさそうですね」


 れんが人の流れへ視線を向ける。


 ナナは一足先に観客席へ向かいかけ、思い出したように振り返った。


「先輩、ちゃんと勝ってくださいよ」


「誰に言ってんだ」


 刹那が笑って返すと、ナナは満足げに頷いた。


「じゃ、席取ってきます」


「走るなよ」


 駆け出したナナを、れんが慌てて追いかけていく。


「みさきちゃん、またあとでねぇ」


「はい。席、お願いします」


 最後にマリアが手を振り、二人の後を追っていった。


 残ったアリスと美咲を連れ、刹那は大会受付へ向かう。


 壁面に設置されたモニターでは大会の告知映像が繰り返し流れ、通路ではスタッフの声が飛び交っている。


 刹那が受付の前に立つと、スタッフが顔を上げた。


「おはようございます。参加証の提示をお願いします」


 刹那は携帯端末を受付用の端末へかざした。


 短い電子音とともに、画面へプレイヤー情報が表示される。


 スタッフは内容を確認すると、刹那へ視線を戻した。


「確認できました。受付は以上です。指定された控室で使用武器の申請を済ませ、そのままお待ちください」


「分かりました」


 受付を離れ、案内に従って選手控室へ向かう。


 これで、本当に出場する。


 そう思った瞬間、昨日の模擬戦が頭に浮かんだ。


 アンドロイドを相手にした最後の一戦。


 あの場面では、別の角度から踏み込めたんじゃないか。


 タンク寄りの仮想敵とも、もう少し練習しておくべきだった。


 ほかにも、何か見落としていないか。


 今さら考えたところで、練習時間が戻ってくるわけではない。


 それでも、一つ気にし始めると、今度は別の不足まであったように思えてくる。


「指定された控室は、この先ね」


 アリスの声も、後ろを歩く二人の足音も、どこか遠くに聞こえた。


 やがて、その足音が止まる。


「刹那、どこへ行くつもり?」


 呼びかけに、刹那は足を止めた。


「……あ?」


 振り返ると、二人は数歩後ろに立っている。


 その横の壁には、選手控室の表示があった。


 美咲は何も言わず、不安そうに刹那の顔を見つめていた。


「……悪い悪い」


 刹那は誤魔化すように片手を上げると、控室の扉を開いた。


 室内にあったのは、椅子が一脚と長いソファー。


 そして、壁際に置かれた小さなテーブル。


 その上には、武器申請用のタブレット端末が置かれていた。


 刹那は椅子に腰を下ろす。


 アリスと美咲は座ろうとせず、その場に立ったまま刹那を見ていた。


 刹那は黙ったまま、手の届く場所にある端末へも視線を向けようとしない。


 美咲が困ったようにアリスを見る。


 その視線を受け、アリスは小さく息を吐いた。


 テーブルから端末を手に取り、刹那の前へ置く。


「過ぎたことを振り返って悩んでも、何も変わらないわ。武器の申請が先よ」


 刹那の視線が、端末からアリスへ上がった。


「……あ? 誰が悩んでるって?」


「貴女よ。さっきから足元ばかり見ていたでしょう」


「私が悩んでるって、一言でも言ったかよ?」


「言っていないわね。けれど、見れば分かるわ」


「……分かったようなこと言うなよ」


 刹那の声が低くなる。


 アリスは表情を変えず、刹那を見返した。


「あ、あの、お二人とも……」


 美咲が慌てて一歩踏み出した、その時だった。


「刹那さんの控室はこちらでしょうか〜?」


 扉の向こうから、間延びした声が聞こえてきた。


 三人の視線が、同時に扉へ向く。


「大会出場者のなこと申します〜! ご挨拶をと思いまして〜!」


 美咲は扉と刹那を交互に見て、その場でおろおろしている。


「どうするの?」


 アリスが刹那へ問いかけた。


 本番当日に、わざわざ選手の控室まで来る。


 探りか、揺さぶりでもかけに来たのか。


 けれども、なこはイオと同じBCCのメンバー。


 あの人のいるクランの人間なら、そこまで疑うのも考えすぎか。


「開けてやってくれ」


「は、はい」


 美咲が扉を開ける。


 そこに立っていたのは、赤茶色の髪が目元を覆う、小柄な女だった。


 灰色のオーバーポンチョが全身を包み、体格さえ判然としない。


 扉が開くと、なこは前髪の隙間から覗く目を嬉しそうに細めた。


 なこは控室へ入ると、刹那の前で足を揃えた。


「大会前のお忙しいところ、申し訳ありません! 改めまして、なこと申します」


 腰を折り、深々と頭を下げる。


「イオさんからお話を伺い、どんな方なのか一度お会いしたく、馳せ参じました! 本日はよろしくお願いいたします!」


 仕事では、楽屋を訪ねて挨拶を交わすことも珍しくない。


 こうして先に筋を通す振る舞いは、刹那にとって馴染み深いものだった。


「ご丁寧にどうも。私が刹那。こっちの無表情で睨みつけてるのがアリス。あんたの隣にいるのが美咲。全員、同じクランのメンバーだ」


「おー! それはそれは!」


 美咲が、なこへ軽く頭を下げる。


 アリスは微動だにしない。


 けれど、その目だけはなこを見続けていた。


「当たるかもしれないから、その時はよろしく」


「こちらこそ、よろしくお願いしますぞ! それでは、お邪魔いたしました!」


 なこはもう一度頭を下げると、颯爽と控室を出ていった。


 扉が閉じる。


「……何だったんだ、あいつ」


「本当に、挨拶に来ただけだったみたいですね」


 美咲が呟く。


 先ほどまで張りつめていた空気は、どこかへ消えていた。


 刹那は目の前に置かれたタブレット端末へ視線を落とす。


 表示された武器一覧から、タクティカルナイフ二本とハンドガン一丁を選択した。


 申請内容を確認し、画面へ触れる。


 武器の申請が完了した直後、アリスの携帯端末が短く鳴った。


 アリスは届いた通知を開く。


「一回戦の相手は、貴女の実力なら苦戦しないはずよ」


「もう出てるのか?」


「今出たわ。対戦相手は、ぽっく。無所属のプレイヤーよ。大会への出場経験はそれなりにあるけれど、そのほとんどが非公認ね」


 アリスが差し出した画面を、刹那は覗き込んだ。


 表示されたプロフィールと過去の戦績に目を通す。


「……なるほどな。まあ、舐めてかかっていい理由にはならねえな」


 アリスは一度だけ刹那の顔を見ると、携帯端末を閉じた。


「そう。なら、私は先に観客席へ行っているわ」


 アリスはそれだけ言い、控室を出ていった。


 残された美咲は、閉じた扉を一度振り返ってから、刹那へ向き直った。


 刹那が声をかけるより先に、美咲が口を開いた。


「えっと……これ、もしよかったら!」


 美咲が両手を差し出した。


 その手のひらには、細い鎖に通されたステンレス製のドッグタグが載っている。


「調べたら、こういうものをお守り代わりにすることもあるみたいで……私には、こんなことしかできないですけど」


 刹那は差し出されたドッグタグを受け取った。


 手のひらに収まるほど小さく、表面には何も刻まれていない。


「文字も入れられたんですけど、何を書けばいいのか分からなくて……」


 美咲が困ったように笑う。


 刹那は何も言えず、手の中のドッグタグを見つめた。


「もしかして、邪魔になったりしますかね? む、無理にとは言いませんので」


「いや、ありがとう」


 美咲はほっとしたように笑った。


「ほら、置いていかれるぞ」


「はい。頑張ってください」


 美咲は頭を下げると、アリスの後を追って控室を出ていった。


 一人になった部屋で、刹那は小さく息を吐く。


 細い鎖を持ち上げ、ドッグタグを首から下げた。


 何も刻まれていない銀色の板が、胸元で小さく揺れる。


「ここまでされて、一回戦負けじゃ格好がつかないな」


 口元をわずかに緩めた時、控室の扉が開いた。


「刹那選手、準備をお願いします」


 刹那は顔を上げた。


「ああ。今行く」


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