第14話 楽しんできます
午前9時50分。
刹那はベッドから身体を起こすと、枕元に置かれたスマートフォンを手に取った。
画面には、大会の特設ページが開かれたままになっていた。
《Code:VIR運営公認・PvPチャレンジカップ》
その大会名を睨みつけ、さらに下へ視線を移す。
大会名の下には、先日まではなかった大仰な一文が追加されていた。
──16人の精鋭が、最強の座を争う。
「……何、馬鹿なこと言ってんだか」
悪態とは裏腹に、刹那の口元はわずかに緩んでいた。
その時、画面上部にメッセージの通知が現れた。
【真紀さん:今日、例の大会でしょ? 楽しんできてね】
詳しい大会の内容は、真紀に話していなかった。これ以上話せば、面倒事になるかもしれないと思ったからだ。
真紀は何も聞かず、ただ一言だけ送ってくれた。
刹那はそのメッセージをもう一度読み、返信を打ち込む。
【刹那:ありがとうございます。楽しんできます】
「次会った時、土産話くらいは持って帰るか」
スマートフォンをベッドへ放り投げると、シナプスヘルムを被った。
ログインを済ませた刹那は、ロビーの扉を開いた。
すでにアリスと美咲が待っていた。
扉が開く音に、二人が同時に顔を向ける。
「おはよう、刹那」
「おはようございます、刹那さん」
そして──
「刹那さん、おはようございまーす」
「どうもっす」
なぜか、ナナとれんまで揃ってソファーに座っていた。
「なんでお前らまでいるんだよ」
刹那が眉をひそめると、ナナは誤魔化すように笑った。
「やだなー。一戦交えた仲じゃないですかー」
「美咲さんに、一緒に行こうって誘われたんですよ」
会場で顔を合わせてから声をかければ、それでいい。待ち合わせるほどのことではないだろう。
「もしかして、駄目でしたか?」
美咲が不安そうに首を傾げた。
刹那が小さくため息をつくと、ナナとれんは気まずそうに視線を逸らした。
とはいえ、二人の同行を断る理由もなかった。
刹那は首の後ろを掻いて、薄く笑った。
「ある意味、祭りだし、賑やかなほうがいいかもな」
「ですよねー! いやー、追い返されるかと思って焦ったー」
ナナは胸を撫で下ろし、顔をほころばせた。
「刹那さんの邪魔はしないようにするんで」
刹那はれんに軽く片手を振った。
「別に気を遣わなくていいよ。練習にも付き合ってくれたしな」
「そうそう! 刹那さん、聞いてくださいよ」
ナナが何かを思い出したように手を打った。
「れんってば、対人苦手とか言っといて、あの日から毎日のように対人戦の動画を漁ってるんですよ」
「へー。ハマったのか?」
刹那がれんに問いかけると、れんは困ったように笑った。
「ハマったっていうか、刹那さんみたいに勝てたら面白いだろうなーって思っただけです」
「そのくせ、相手しようかって聞いても断るんですよ」
「俺は見てるだけで楽しいの」
れんの言葉に、ナナは肩をすくめた。
「それが分からないのよ。自信がないだけでしょ、もったいない」
「私は、れんさんの気持ち、ちょっと分かります」
美咲が微笑んだ。
「自分ではできる気がしないけど、見てるだけでわくわくするみたいな。憧れですかね?」
「そう! 美咲さんは分かってくれるかー」
「えー、分かんなーい」
三人の声が弾む横で、アリスは会話に加わることなく、手元の端末へ視線を落としていた。
刹那がその賑やかなやり取りを眺めていた──その時。
背後から、間延びした柔らかな声が聞こえた。
「あら〜。楽しそうねぇ」
刹那の背筋が冷えた。
顔を引きつらせたまま、美咲へ視線を向ける。美咲は一瞬口を開いたものの、気まずそうに目を逸らした。
刹那がゆっくりと出入口を振り返る。
そこには、いつの間にかマリアが立っていた。
普段と変わらない、柔らかな笑みを浮かべて。
「ど、どうも」
刹那がわずかに身を引く。
「おはよぉ」
マリアはそれに構わず、一歩距離を詰めた。
先ほどまで弾んでいた三人の声は、いつの間にか途絶えていた。
「マリアさんも一緒に行くんですね」
刹那が問いかけると、マリアは頬に手を添え、首を傾げた。
「私、何も聞かされてないから、よく分からないのよねぇ」
対人戦に興味のないマリアとはいえ、美咲から事情は聞いているはずだ。
何も知らないわけがない。
刹那の口から、乾いた笑いが漏れた。
「今日、私がそこそこ大きな大会に出るんですよ。その応援に、こいつらも来てくれるみたいで」
マリアは手を打つと、また一歩刹那に迫った。
「私ったら、そんなに大切なこと、知らなかったのねぇ」
「きょ、興味がなかったら、知らなくても仕方ないですよ」
「でも、ナナちゃんや、れんくんは知ってたのよねぇ?」
刹那は反射的にナナとれんへ視線を向けた。
ナナは何も見ていないふりをして目を逸らし、れんは困ったように眉尻を下げている。
助けは期待できそうになかった。
「いや、言うほどの大会じゃないと思ってたんですよ」
「あら、そうなのぉ?」
マリアは再び首を傾げた。
「運営公認で、16人の精鋭が最強の座を争うだけだものねぇ」
「……全部知ってるじゃないですか」
「ええ。でも、刹那ちゃんからは何も聞いてないわよぉ」
「それは……」
刹那の言葉が詰まる。
怒鳴られているわけでも、責められているわけでもない。
それなのに、一歩も動けなかった。
「私も、刹那ちゃんの口から聞きたかったなぁって。それだけよぉ」
「……すみませんでした」
刹那が観念して頭を下げる。
マリアは刹那の肩にそっと手を置いた。
「続きは、帰ってきてからゆっくり聞かせてもらうわねぇ」
「まだ続くんですか」
「もちろんよぉ」
どうやら、これで許されたわけではないらしい。
その時、それまで黙っていたアリスが端末から顔を上げた。
「そろそろ出ないと、間に合わないわよ」
「そうだな。ほら、もう行かないと」
刹那は間髪入れずマリアに背を向け、出入口へ向かった。
その背中を見て、マリアが楽しそうに笑う。
「それじゃあ、アルカディア出発するわよ〜!」
「なんでマリアさんが仕切ってるんですか」
刹那の抗議を聞き流し、マリアは先頭に立って歩き始めた。
美咲が慌てて追いかけ、ナナとれんもその後に続く。
アリスは小さく息を吐くと、騒がしい一団の最後尾を静かに歩き始めた。
◇
イベント会場へ近づくにつれ、同じ方向へ向かうプレイヤーの姿が増えていった。
初めはまばらだった人影が、いつの間にか道を埋める一つの流れへ変わっていた。
「一回戦の組み合わせ、まだ出てないのか?」
「参加者の半分は有名どころらしいぞ」
「誰が優勝すると思う?」
周囲から聞こえてくるのは、大会の話ばかりだった。
応援旗を担いだ者。
選手の名前を掲げたボードを手にする者。
端末に参加者一覧を映し、仲間と勝敗を予想する者。
誰もが、まだ始まってもいない大会に浮き足立っていた。
やがて、人波の先に仮設アリーナ《テンペスト・ドーム》が姿を現した。
仮設と呼ぶには、あまりにも大きい。
入口前にはいくつもの屋台が並び、上空に浮かぶホログラム広告が、参加者の名前や過去の戦績を次々と映し出していた。
屋台と人波の間を縫い、会場内へ足を踏み入れた瞬間。
幾重にも重なったざわめきが、一つの大きな音となって刹那の身体を打った。
視界いっぱいに広がる観客席。
中央に設けられた戦闘フィールド。
そして、会場の中央上空に浮かぶ巨大スクリーンには、見覚えのある文字が映し出されていた。
《Code:VIR運営公認・PvPチャレンジカップ》
──16人の精鋭が、最強の座を争う。
朝には手のひらの中に収まっていた文字が、今は刹那の視界を覆うほど巨大になっていた。
「……どこが小規模大会だよ」
刹那の悪態は、会場を満たすざわめきにあっさりと呑み込まれた。
刹那は巨大なスクリーンから目を離さなかった。
その口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。




