第12話 知らぬが仏
刹那はリヴェラ東部に位置するクラン居住区を歩いていた。
向かう先は、情報収集を専門とするクランの拠点。
少なくとも、練習相手を探している人間が向かう場所ではない。
歩きながら、昨晩の模擬戦を思い返した。
結果だけを言えば、刹那の圧勝。
ナナは、最初こそやけに楽しそうだった。
開始前から落ち着きなく身体を揺らし、早く始めろと刹那を急かしていた。
けれども、刹那の初動に反応できず、何度も床へ転がされると、次第に返事が短くなっていった。
しまいには、こちらの動きも見ずに飛び込んでくる始末。
『もう一回! 次は絶対当てるから!』
終わる頃には、半ばやけになっていた。
一方、れんは最初こそ困り果てていた。
どう動けばいいのか。
何を防ぐべきなのか。
刹那が構えるたび、迷うように視線を動かしていた。
しかし、数戦も重ねると様子が変わった。
一人で何かを呟きながら、刹那の足元や重心を観察し始めた。
初動を止める。
それが無理なら、その次の動きを潰す。
考え方は悪くない。
ただ、遅かった。
れんが一手目への答えを出した時には、刹那はすでに数手先へ進んでいた。
二人が弱いわけではない。
どちらも二年のプレイ歴があり、並のプレイヤーよりは明らかに動けていた。
だからこそ、二日前に戦ったアリスがどれほど異常だったのかがよく分かる。
一戦目は、刹那の動きに半拍遅れていた。
けれども、一戦ごとに動きを修正し、終盤にはほぼ互角まで持ち込まれていた。
「……やっぱ、あいつおかしいだろ」
誰に聞かせるでもなく、刹那は呟いた。
ナナとれんとの模擬戦が、練習にならなかったわけではない。
ただ、大会まで残された時間は少ない。
できるだけ多くの相手と戦っておきたかった。
向かっているクランには、練習相手として心当たりのある人物が一人いた。
やがて、大通りの先に目的の建物が見えてくる。
問題は──目当ての人物が、そこにいるかどうかだった。
刹那が足を止めた。
目の前に建っていたのは、人がいるかすら怪しい、陰鬱な雰囲気の建物だった。
窓ガラスは曇っていて中が見えない。
打ちっぱなしのコンクリートには至る所にひびが走り、一部は崩れていた。
そしてなぜか、その建物の壁にだけ、ツタが巻き付いている。
廃屋と見紛うほど荒れ果て、周囲の建物の中でひときわ異彩を放っていた。
けれども、玄関の扉の上には《知らぬが仏》と書かれた看板が、でかでかと掲げられていた。
ここが、刹那の目当ての人物が所属するクラン。
情報クラン統括《知らぬが仏》。
刹那が押した木の扉は、耳障りな軋みを立てて開いた。
中から、古本屋のようなかび臭い空気が流れ出してきた。
刹那が中に入ると、室内には最低限の照明だけがまばらに灯り、辺りは薄暗かった。
薄暗さに目が慣れてくると、床一面には紙と本が散乱していた。
目の前には、来客用と思しき机と椅子。
そこも、紙と本で埋め尽くされていた。
「すみませーん」
刹那の声が部屋に反響した。
けれども、聞こえてくるのは壁掛け時計の秒針が刻む音だけだった。
今は21時を過ぎた頃だ。誰もいないわけがない。
ましてや、このクランでは、所属プレイヤーの九割がログイン中も拠点から出てこない。
絶対に誰かしらいるはず。
「誰かいませんかー? おーい」
もう一度呼びかける。
静寂。
「あの──」
「何度もうるせえな! 聞こえてるわ!」
部屋の奥から、低い声の怒号が飛んできた。
刹那が声の方向に目を凝らすと、部屋の奥には二階に続く階段があった。
そこから、背の高い痩せた男が降りてきた。
黒に近い灰色の髪は首元まで無造作に伸び、目の下には濃い隈が浮かんでいた。
よれた黒いシャツの上に長いカーディガンを羽織り、足元はサンダル。
拠点から出る気など、最初からないような格好だった。
「いい気分でログ見てたのに、どこの誰だよ。てか、誰もいねーのかよ」
男は乱暴に後頭部を掻きながら、床に落ちた紙を踏み荒らして歩み寄ってきた。
「いるなら一回で返事しろよ」
刹那が呆れ気味に言うと、男は刹那を睨みつけた。
「あ?」
眠たげだった男の目が、刹那を捉えた瞬間、わずかに細くなった。
「……んだよ、刹那じゃねーか」
「どうも、ヨタ」
ヨタは椅子に積み上がっていた紙と本を適当に床へ落とし、空いた場所へ腰を下ろした。
「お前がここに来るなんて珍しいな」
「ちょっと野暮用でね。朔夜さんいる?」
ヨタは眉間にしわを寄せて口を開いた。
「は? 朔夜がここにいるわけないだろ」
「いや、ここの所属だろ」
「あいつに所属とか関係ないよ」
ヨタは机の上の本を手に取り、それをつまらなそうに開いた。
長々話をする気はないらしい。
「じゃあ、居場所知ってたら教えてくれ」
「その辺ぶらついてれば会えるんじゃね?」
「それで会えるなら、最初からここに来てねーよ」
本に視線を落としたまま、ヨタは口を開かなかった。
だんまりか。
どうしたものかと刹那が悩んでいると、ヨタが本を開いたまま、視線だけを刹那へ向けた。
「てかよ。情報が欲しいなら、それに見合ったものを用意すべきだと思わねえか?」
刹那は小さく息を吐いた。
ここに来ると決めてから、この類の話になるかもしれないと予想はしていた。
ヨタじゃなければ、すんなり教えてくれたかもしれないが、今回は相手が悪かった。
「知り合いの居場所を聞いてるだけだぞ」
「馬鹿かお前。その知り合いの居場所すら、お前は分からないからここに来てるんだろ? その時点でお前は取引相手だ」
「いくらだよ」
刹那がキャッシュを取り出そうとすると、ヨタは乱暴に本を閉じた。
「おいおい。キャッシュなんていらねえよ」
「じゃあ、何が欲しいんだよ」
ヨタが怪しげに口元を吊り上げた。
「おもろいネタ。俺が知らないやつ」
ヨタが知らない情報を、刹那が教える。
それは刹那にとって、キャッシュを払うよりよほど難しかった。
そもそも、刹那が知っていてヨタが知らない情報があるとは思えなかった。
刹那が頭を悩ませていると、一つだけ思い浮かんだ。
数か月前、美咲と未登録区域で遭遇したユニークエネミー。
Völlerei。
その個体に、刹那は一度殺されている。
後日、同じ場所を訪れた時には、その個体はすでに姿を消していた。
残されていたのは、一つの記録ユニット。
アリスが持ち帰って調べたはずだが、その後どうなったのかは聞いていない。
ゲーム内でも、それに関する話を耳にした覚えはなかった。
けれども、勝手に話していい内容なのか。
刹那はこめかみを指先で軽く叩きながら、ゆっくりと口を開いた。
「……今週の土曜日、私がPvPの大会に出場する」
「はあ? そんだけ考えて出た言葉が、そんなしょうもないことかよ」
ヨタはあからさまに息を吐いた。
「知ってるよ。公認の個人大会だろ。出場者の半分がランカーの」
さすがにヨタは知っていたらしい。
大会の概要は、大々的に告知されていないだけで、調べればすぐに出てくる内容だった。
そう、公認の──
「は?」
刹那が間の抜けた声を漏らした。
「待て待て、今なんて言った?」
「だから、知ってるって」
「その後!」
刹那が声を上げると、ヨタは眉をひそめた。
「公認の個人大会。お前が配信まであるような大きい大会に出るなんて、珍しいと思ったんだよ」
「誰の公認だよ」
「誰って、運営以外誰がいるんだよ」
刹那の背中を、嫌な汗が伝った。
聞いていない。
刹那は急いで携帯端末を取り出すと、大会の概要ページを開いた。
画面を下に送ると、一番下に数日前までなかった追記が記されていた。
【追記:このたび、運営様から本大会の公認をいただきました! 出場メンバーが豪華ですから、当然っちゃ当然ですよね。詳細は後日公開される運営公式ページをご確認ください。】
刹那の手から、携帯端末が滑り落ちた。
「おっこちたぞ」
ヨタの視線が床に向いた。
けれども、刹那は床に散らばった紙の上に落ちた端末を拾うこともできず、呆然と立ち尽くすしかなかった。




