第10話 後遺症
昨晩の疲れを引きずったまま、刹那は駅前の通りを歩いていた。
あの後、何戦もアリスに付き合わされ、途中で美咲は「明日も早いので」と逃げていった。
刹那が解放された時には、すでに日付が変わっていた。
「私だって朝から仕事があるっての」
そう呟き、眠気を覚ますように首を回すと、見慣れない店が目に入った。
刹那は足を止め、通りに面した喫茶店を見つめた。
この前まで、ここは空き店舗だったはず。
年季の入った外壁も、色褪せた木枠も、そのまま残っている。
けれど、磨かれた窓の向こうには灯りがつき、店内では活発そうな女性が笑顔で客の間を行き来していた。
扉の横には、まだ新しい看板。
《Re:na’s》
「……こんな店、できたんだな」
少しだけ中を覗き込み、刹那は再び歩き出した。
「今度、来てみるか」
そこからしばらく歩き、刹那は待ち合わせのカフェに到着した。
刹那のマネージャーが以前から気に入っているカフェ。
最近の打ち合わせは、大抵この場所だった。
大通りから外れた場所にあるため、平日は客足が落ち着いている。
人目を気にする刹那にとって、これ以上ないほど好条件なカフェだった。
そして、何より飯がうまい。
刹那が扉を押すと、澄んだ鈴の音が静かな店内へ転がった。
年配の店主がカウンター越しに刹那を見た。
刹那が小さく頭を下げると、店主は視線を奥の席へ向けた。
案内された席には、すでにマネージャーが座っていた。
「真紀さん、お疲れ様です」
「お疲れ様。何か飲む?」
「じゃあ、コーヒーで」
刹那の注文に、マネージャーが小さく首を傾げた。
「あら珍しい。刹那がコーヒーだなんて」
「私だって、たまには飲みますよ」
「ふーん」
真紀は何かを見透かすように目を細め、刹那を見つめた。
そして、何事もなかったかのように店主を呼び、コーヒーを注文した。
「さて、さっそく始めましょうか」
真紀は手帳を取り出すと、来週の予定を話し始めた。
「月曜日は雑誌の撮影。火曜日がインタビューで、木曜日には衣装合わせが入ってるわ」
撮影。
インタビュー。
衣装合わせ。
真紀の声を聞きながら、刹那は昨夜の模擬戦を思い返していた。
「──刹那。ちょっと、聞いてるの?」
名前を呼ばれ、刹那は顔を上げた。
やばい。何も聞いていなかった。
「すみません。聞いてなかったです」
「もう。しっかりしてよね」
真紀は呆れたように息を吐き、手帳を閉じた。
「昨日、寝たの何時?」
「何ですか、急に」
真紀は刹那の前に置かれたコーヒーを顎で指した。
「普段は頼まないコーヒーを頼んで、私の話まで聞き流してるから」
刹那は視線を泳がせたが、やがて観念して口を開いた。
「……二時過ぎです」
「ゲーム?」
「はい」
「今日、打ち合わせがあるって知ってたわよね?」
真紀の鋭い視線が刹那を見つめた。
刹那はその視線から逃げるように、コーヒーの入ったカップを口に運んだ。
「あのね、ゲームをするなとは言わないわよ。あなたにも息抜きは大事だもの」
真紀は腕を組み、ソファーの背もたれに寄り掛かった。
「楽しむときは楽しんで、時間が来たらキッパリやめる。だらだらしない。そのあたりの分別はしっかりつけないと。子供じゃないんだから」
「……すみません」
「で、なんでそんな時間までゲームしてたの?」
理由。
アリスが寝かせてくれなかったから。
間違ってはいないが、これは誤解を招く。
どう説明したものか。
刹那が言いよどんでいると、真紀が不満げに唇を尖らせた。
「ほらやっぱり、私にゲームの話はしないじゃない」
「違いますって。説明が難しいんですよ」
「はいはい。おばさんにわかるように説明するのが難しいんですね」
拗ねるような真紀の声に、刹那は小さく息を漏らした。
「面倒くさいなぁ」
「め、面倒くさい……」
何か心当たりでもあったのか、真紀の表情が固まった。
「そうよね……面倒な女よね……」
そのまま、力なく机へ突っ伏した。
まずい、地雷を踏んだ。
刹那は目の前の光景に、口元を引きつらせた。
真紀は顔を伏せたまま、ブツブツと何か呟いている。
そもそも、何でこんなことになったのか。
刹那が額に手を添えて考えていると、脳内にアリスの声が響いてきた。
『貴女が自己管理を疎かにしたせいよ』
刹那は背もたれに身体を預け、疲れ果てたように天井を仰いだ。
天井に、アリスの憎たらしい無表情が浮かんだ。
もう、あいつと模擬戦はやらん。




