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第9話 アディショナルタイム

 訓練室の風景が白一色に戻っても、美咲は端末の前から動けなかった。


 アリスは終始有利に見えた。


 刹那の動きを読み、先回りし、確実に追い詰めていた。


 はず。


 なのに、最後に立っていたのは刹那だった。


 美咲が目の前で起きたことを頭の中で整理していると、訓練室へつながる扉が開いた。


「最後の特攻、よく反応したな」


 刹那がアリスを見ながら待機室へ戻ってきた。


 その隣にいるアリスは顎に指を添え、視線を落としている。


「貴女のやりそうなことは、おおむね予測できるわ」


「そりゃすごい。でも、最終的に勝てなきゃ意味ないんだよなぁ」


 刹那は口元を緩めながら、首を横に振った。


 アリスの目が、一瞬刹那に向く。


 けれども、アリスは何も言わず、すぐに視線を元に戻した。


「お疲れ様です!」


 美咲が二人に駆け寄った。


「おう。どうだったよ、初めて対人を見た感想は」


「ぜんっぜん、意味が分かりませんでした!」


 美咲が弾むように答えると、刹那が笑った。


「アリスさんもお疲れ様です。かっこよかったです」


 アリスは美咲の声が聞こえていないのか、無言で壁に寄り掛かった。


「……アリスさん?」


 美咲がもう一度呼びかけると、アリスが視線を向けた。


「ええ」


 その声は普段と変わらない。


 けれども、いつもよりほんの僅かだけ静かに聞こえた。


 模擬戦とはいえ、負けたことを気にしているのかもしれない。


 美咲がかける言葉に迷っていると、アリスは壁に背を預けたまま、腕を組んだ。


「最後の場面、正面から来ることまでは読めていたわ。最初の接近にも対処できていた」


 誰に言っているわけでもない。


 まるで、自分に言い聞かせるような口調。


 美咲が刹那に顔を向けると、刹那は肩をすくめた。


「問題は、その後。重心を崩された状態から、片手で体勢を戻して、そのまま再加速するなんて──普通は想定しないわ」


 アリスは、組んだ腕の上で指を弾ませた。


「振り返るのが半拍遅れた。それが私の失敗ね」


 アリスは刹那を横目で見ると、瞼を伏せた。


「ただし、貴女が人間として妥当な挙動をしていれば、あそこで終わっていたけれど」


 刹那は、美咲の耳元へ身を寄せ、声が漏れないよう口元に手を添えた。


「褒められてる?」


「んー……半々って感じですね」


「次からは、貴女が崩れた程度では動きを止めないことにするわ」


「私をなんだと思ってんだよ」


 アリスは視線を上げ、少し間を置いて首を傾けた。


「倒れかけても攻撃を継続する、不合理な生物。まるでスズメバチだわ」


「ふざけんな。誰が虫だよ」


 刹那が不満げに眉をひそめると、隣で美咲が頷いた。


「ちょっと似合ってるかも……」


「おい」


「何にせよ、私が負けた事実は覆らないわ」


 アリスはそう言い切ると、壁から背を離した。


「まあ、なんだ。一戦とはいえ、おかげで感覚戻せたわ。ありがとな」


 アリスが小さく息を吐く。


「さてと。感覚忘れる前に、ソロでどこか行くかな」


「私も付いていっていいですか? もっと見てみたいです」


「おっ、いいね。ハマったか?」


「少しだけ。怪我するところは見たくないですけど……」


 美咲と刹那が通路につながる扉に向かった。


「どこへ行くのかしら?」


 二人の背中を、冷たい声が刺した。


 刹那が振り返る。


 その場から一歩も動いていないアリスが、刹那を見据えていた。


「どこって、帰るんだろ?」


「冗談はあの動きだけにして。……アディショナルタイムよ」


「は?」


「もう一戦と言っているの。準備しなさい」


 アリスはそう言い残し、訓練室へ消えていった。


「一戦ってお前が言ったんだろ! おい!」


 その背中に刹那が叫ぶが、アリスは戻ってこなかった。


 美咲が口に手を添えて、小さく笑った。


「アリスさんって、意外と負けず嫌いですよね」


 刹那は首の後ろを掻くと、深く息を吐いた。


「めんどくさい奴だろ」


「いえ。かわいいと思います」


 口元を歪めた刹那が、半目で美咲を見つめた。


「ほら、刹那さん。アリスさんが待ってますよ」


 美咲が刹那の背中を押して、訓練室まで連れていった。


 それから数時間。


 二人は地形と条件を変えながら、何度も模擬戦を繰り返した。


 前半は刹那が勝っていたが、後半になるにつれてアリスが勝ち始める。


 負けるたび、刹那は「集中力が切れた」とぼやいた。


 けれど、アリスはお構いなしに次の準備を始める。


 気づけば、二人の立場は最初とは逆転していた。


 しばらくして、なぜか反省会まで始まった。


 刹那の動きを一つずつ拾い上げ、アリスが厳しく指摘していく。


 それに、刹那は適当に返事をした。


 ついには、座り込んだ刹那をアリスが訓練室へ引きずっていった。


 美咲は、アリスの視界に入らないように部屋の端に身を寄せ、その様子を眺め続けていた。


 私じゃなくてよかった。

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