第5話 誰のために
二人が《月の厨房》を出る頃には、時刻は23時を過ぎていた。
閉じられた扉の向こうでは、まだレイナの笑い声がかすかに聞こえていた。
刹那の前を歩く美咲が、足を止めて振り返った。
「まさか、本当にラーメンを作ってもらうためだけだったんですね」
呆れたようにも聞こえる美咲の言葉に、刹那は小さく笑った。
「うまかったろ?」
「それは、はい。すごく美味しかったです」
楓の作ったラーメンの味が、舌の上によみがえる。
二人は、その余韻に浸りながら仮拠点へ戻った。
仮拠点に戻ると、刹那は真っ先にソファーに飛び込んだ。
「いやー。まんぞくまんぞく」
ご機嫌な刹那を横目に、美咲が眉をひそめた。
「刹那さん、だらしないですよ」
「おかんかよ。いいんだよ、実際にエネルギーを摂取したわけじゃないんだし」
刹那はソファーの背もたれから片手を上げ、ひらひらと振った。
「楓さんも言ってただろ、楽しむことと、代用することは違うって。私は今、楽しんでんだよ」
「なんか違うような……」
美咲はわずかに首をひねったが、すぐに「まあ、いっか」と考えるのをやめ、いつもの椅子に座った。
「それにしても、楓さんかっこよかったですね」
「だな。あそこまで考えて料理してるとは思わなかったな」
「おしとやかで、優しいのに、駄目なことはちゃんと駄目って言えるのが、大人の女性って感じですよね」
大人の女性。
刹那はその言葉が引っ掛かり、ソファーの背もたれから顔をのぞかせた。
椅子に座る美咲は、どこか嬉しそうに微笑んでいる。
刹那はしばらく美咲を見つめて、再び横になった。
「ちょっと怖かったけどな」
「そうですか? マリアさんに比べれば、優しいじゃないですか」
「今の、マリアさんに告げ口しとくから」
「え!?」
美咲の声が裏返り、視線が泳いだ。
「ち、違います! 今のは……そう、言葉のあやってやつで!」
「楓さんは優しいけど、マリアさんは鬼ってことか?」
「そんなこと、一言も言ってません!」
美咲が何か言うたび、刹那が余計な一言を付け加える。
そんなたわいもないやり取りをしていると、美咲が声を上げた。
「あっ……もうこんな時間!?」
刹那が起き上がり、ロビーの時計を見ると、時刻は0時を過ぎていた。
美咲は勢いよく立ち上がり、端末を懐にしまった。
「すみません、今日はこの辺で失礼します!」
「急だな」
「今日は、お誘いありがとうございました! おやすみなさい」
刹那が返事をするより早く、美咲は慌ただしくロビーから出ていった。
0時を過ぎた程度で、あそこまで慌てるのか。
大学生というよりは、門限のある中高生に見えた。けれど、明日も仕事がある社会人の可能性も捨てきれない。
「詮索するのはやぼ、か」
美咲がいなくなり、ロビーには静寂だけが残った。
「……急に暇になったな」
これから、外に出る気にもならない。
かといって、ここで寝てるだけなら、現実とやってることは同じ。
刹那がこれからのことを考えていると、共用のタブレット端末が目に入った。
楓のもとに行く前、美咲が持っていた端末。
そういえば。
刹那はソファーから立ち上がり、机の上のそれを手に取った。
画面には、先ほどの大会概要が表示されたままになっていた。
刹那は数時間前の美咲を思い返す。
あの時の美咲は何度もこちらを見ては、妙に曖昧な質問をしてきた。
「どう考えても、欲しがってたよなぁ」
刹那がそう呟いた時、ロビーの扉が開いた。
視線を向けると、碧眼の銀髪少女が静かに立っていた。
「こんな夜更けに、一人で何をしているのかしら?」
アリスは表情を変えないまま、小さく首を傾げた。
「それはこっちのセリフだよ。何時にログインしてきてるんだよ」
アリスは、何か問題でもあるかと言わんばかりに、無言で刹那を見つめ続けた。
「夜更かしすると、身長伸びねーぞ」
「成長に必要なのは、特定の時刻に眠ることではなく、十分な睡眠時間と質よ。どちらも確保しているわ」
アリスは碧眼をわずかに細めた。
「貴女こそ、随分と古い知識で他人を心配するのね」
相変わらず、可愛げのない奴。
刹那は小さく息を吐くと、椅子に腰を下ろした。
「へいへい。私が悪うございました」
アリスは刹那から視線を外し、ロビーの奥にある補給室に向かった。そしてすぐに、ティーセットを持って戻ってきた。
刹那の前の席に腰を下ろし、紅茶を注ぎ始めた。
端末に視線を落としたまま、刹那が口を開いた。
「……なあ」
「なにかしら」
「……クランの宣伝とか必要なら、私がやろうか?」
突拍子もない刹那の言葉に、ティーポットを傾けるアリスの手がぴたりと止まった。
急な静寂に、刹那が顔を上げた。
目の前のアリスは、ティーポットを持ったまま固まっていた。
表情は読めない。けれども、刹那にはアリスがなぜか驚いているように見えた。
「なんか言えよ」
「……貴女、誰?」
アリスはティーポットを静かにテーブルへ戻した。
「いや、なんでそうなるんだよ」
冗談なのか判断しづらい。
無表情のせいで、本当に記憶が飛んだと言われても信じてしまう。
刹那は、手元の端末に優勝景品の欄を表示し、アリスの前に差し出した。
「今日、美咲がこれ欲しそうに見ててさ。宣伝ついでに取ってきてやろうかなって思って」
アリスが画面に表示された文字を目で追った。
「ジャミングバグの件とか、あいつ最近頑張ってるだろ。ご褒美ってやつ」
「出る前から手に入れる前提なんて、随分な自信ね」
「私がその辺の奴に負けるとでも?」
アリスは端末を刹那の前に滑らせると、紅茶に口をつけた。
「つまり、彼女のために大会に出るというのは恥ずかしいから、宣伝を言い訳に大会に出るということ?」
刹那は額に手を当て、口元を歪めた。
なんでこいつは、必要のないことまで全部要約して、口に出してしまうのか。
やっぱり、性格が悪い。
刹那は、諦めたように目を伏せて息を吐いた。
「そうだよ。ダメなのかよ」
「いいんじゃないかしら。私も付き合うわ」
意外な返答に、刹那は眉を上げた。
てっきり、勝手にしろと言われると思っていた。けれども、アリスは付き合うと言った。
「ちなみに、何してくれるんだ?」
アリスは少し間を置いて、口を開いた。
「貴女が出場しやすいように、話を合わせるわ」
「それだけ?」
「ええ」
確かに、アリスが言えば美咲も勘繰らないかもしれない。
自然に大会に出られる。
「じゃ、お言葉に甘えようかね」
ふと、刹那の頭に疑問が浮かんだ。
なんで、そこまでするのか。
美咲のため。それは間違いない。
けれども、刹那にはそれだけでアリスが話を合わせるとは思えなかった。
「ちなみに、なんで付き合ってくれるんだ?」
アリスはゆっくりと視線を落とし、机の上の端末を見た。
それにつられて、刹那も端末を見た。
画面には青く反転した文字列。
【優勝賞金:30万キャッシュ】
「本拠点のためよ」




