第4話 代わりじゃない
閉店が近づいた《月の厨房》では、店内のざわめきも少しずつ落ち着いていた。
カウンターの奥では和装姿の楓が食器を整え、シャツとエプロン姿のレイナは常連客と笑いながら話している。
店の隅では、一人の男が黙々と食事を続けていた。
入り口のベルが鳴る。
「いらっしゃ──お、刹那やん」
レイナは常連客に片手を上げると、刹那と美咲のもとへ歩み寄ってきた。
「どうも」
「おじゃまします」
軽く頭を下げる二人に、レイナはしまりのない笑顔を浮かべて片手を振った。
「美咲ちゃんもおるやん。付き添いかいな」
「はい。刹那さんに誘われて」
「美咲ちゃんもおるってことは、ごっつい話やないんやな」
「ん? どういう意味ですか?」
刹那が首を傾げると、レイナは一瞬、楓に視線を向けてから笑った。
「自分、かしこまって連絡なんかしてくるから、何かあったんちゃうかって楓が心配しとったで」
カウンターの奥では、楓が手際よく作業を続けている。
変な気を使わせてしまった。
刹那は目を伏せ、小さく頭を下げた。
「なんかすみません」
「別に、謝らんでもええわ。もうちょっとで楓も終わるで、好きな席座っとき」
レイナに促され、二人は空いている席に腰を下ろした。
その流れに乗っかるように、なぜかレイナも同じ席に座った。
美咲が困ったように眉をひそめる。
「レイナさんは手伝わなくていいんですか?」
レイナは笑顔のまま、茶化すように手を上下にひらひらと振った。
「何言うとんねん。うちはお客さんの相手がメインや」
へらへらと笑うレイナ。
その時、美咲と刹那の背中に刺すような視線を感じた。
ゆっくり視線をカウンターに向けると、真顔の楓がこちらを見つめていた。
普段の穏やかな笑顔を、どこかに落としてきたような冷たい視線。
その視線から逃げるように、二人は目をそらした。
「楓さん……めっちゃこっち見てますけど……」
刹那が囁くと、レイナの笑顔がひきつった。
「気のせいやろ」
「たぶん。すごい怒ってますよ、あれ」
美咲がわずかに声を震わせる。
「早く仲間に入りたいんやろ」
三人が顔を寄せて囁き合っていると、柔らかな声が落ちてきた。
「……そう思うなら、手伝っていただけませんか?」
三人は、同時に肩を大きく跳ね上げた。
ぎこちない動作で顔を上げると、楓が微笑みながら立っている。
上品な笑顔に見えるのに、なぜか背筋が寒くなる。
「はい!」
レイナは勢いよく立ち上がり、カウンターの奥へどたばた消えていった。
「……はぁ」
楓は小さく息をつくと、困ったように頬に片手を添えた。
「どうして、ああもめんどくさがり屋なのでしょうか」
刹那と美咲が返答に困り、固まっていると、楓が小さく笑った。
「お待たせして申し訳ございません。もう少しで終わりますので、ゆっくりしていってください」
「いえ! おかまいなく!」
そう答えた美咲は、なぜか立ち上がっていた。
しばらくして、隅で食事をしていた男が立ち上がった。
「お会計お願いします」
カウンターの奥から楓が現れた。
「太郎さん、いつもありがとうございます」
「こちらこそ、いつもおいしい食事をありがとうございます」
「そう言っていただけるなんて、嬉しいです。またいらしてください」
「はい。ぜひ」
太郎と呼ばれた男は扉の前で一度振り返り、美咲と刹那に軽く会釈をしてから店を出ていった。
「お知り合いですか?」
「いや。しらん」
刹那は興味なさげに男の背中を見送った。
「お待たせいたしました」
楓が和装の上から着けていたエプロンを外し、人数分のお茶を持ってきた。
「いえ、こっちこそ急に押しかけてすみません。時間、大丈夫ですか?」
楓は二人の前の椅子に静かに腰を下ろした。
「はい。ご心配なく、どうぞ」
柔らかく微笑み、楓が二人にお茶を差し出した。
「ありがとうございます」
「ご丁寧に、ありがとうございます」
二人がお茶を受け取ると、楓が口を開いた。
「さっそくですが、ご用件はなんでしょう?」
「えっとですね。楓さん、ここでラーメンとかって作れます?」
その言葉を予想もしていなかったのか、楓は眉を上げた。
「ラーメン……ですか?」
「はい。一般的なラーメンです」
「差し支えなければ、理由を聞いても?」
刹那は、帰り道でラーメン屋を見かけたことと、翌日の仕事を考えて諦めたことを話した。
現実では食べられなかった分、こちらで欲を少しだけ誤魔化せればと思ったことも。
「こっちで食べれば、少しは誤魔化せるかなって」
刹那が言い終わると、美咲が驚いたように呟いた。
「なるほど……刹那さん、頭いいですね」
「だろ?」
刹那が自慢げに笑った。
けれども、楓は頬に片手を添えて視線を落としていた。
楓だけは、二人とは明らかに雰囲気が違う。
何かを考えているようで、困っているようにも見えた。
レシピがないのか。
はたまた、作るための食材がないのか。
理由は分からないが、楓は黙っていた。
「もしかして、作れないですか?」
楓は静かに首を横に振った。
「いえ、そういうわけではありません」
そこで言葉を区切り、視線を上げて刹那を見つめた。
「もう一度、確認をしてもよろしいでしょうか」
楓の落ち着いた声に、刹那の背筋が自然と伸びた。
「刹那さんは、現実で食べたいという気持ちを、ゲーム内の食事で紛らわせようとお考え──そういうことでしょうか?」
間違いない。
刹那はそのつもりで楓のもとまで来た。
ラーメンを食べたいという欲を、誤魔化すために。
「……はい」
「でしたら、あまり感心できる考え方ではありません」
刹那が言葉の意味を飲み込めないでいると、楓が続けた。
「確かにこのゲームでは、味も、香りも、食感も、本物と遜色ないほど再現されています。ですが、身体へ栄養が届いているわけではありません」
楓は目の前の湯飲みのふちを指でなぞった。
「こちらで食欲を紛らわせることに慣れて、現実の食事を疎かにした方もいると聞きます。今回のことで、刹那さんがそうなるとは思いません。ですが、『こちらで食べればいい』と考えることが習慣になるのは、賛成できません」
「確かに……満足した気になっても、身体は何も受け取ってないんですよね」
「はい。ですから、料理を楽しんでも、代用にはしてはいけないんです」
刹那は、楓の言葉を頭の中で転がした。
楓の料理は、現実で食べなくてもよくするためのものではない。
言いたいことは理解できた。
納得もできる。
でも、ひとつだけ引っかかることがあった。
「じゃあ、なんで楓さんは質にこだわるんですか? 全部不味かったら、こっちで食べようなんて思いませんよね」
楓は一瞬だけ眉を上げ、柔らかく微笑んだ。
「美味しいものを作ることと、現実の食事の代わりにすることは、別のお話です。こちらで味わう時間を楽しんでいただくために、私は料理をしています」
その言葉に、刹那は息をのんだ。
「まずければ、欲しくはならないでしょう。ですが、それでは食事を楽しむ場所にはなりません」
楓が二人を見つめる。
その瞳には、決して折れない芯が宿っているように見えた。
「だからこそ、美味しく作る責任と、使い方を間違えない責任は、どちらもあると思っています」
刹那は小さく息を吐いた。
料理の質なんて、バフの延長線上としか考えていなかった。
うまければ、なおいい。
その程度の認識だった。
けれども、目の前の女性は、食べた者が何を思うのか、その先にある責任まで考えて料理を作っていた。
刹那には、これ以上反論する理由がなかった。
でも。
「楓さんの言いたいことはわかりました」
「わかっていただけて、よかったです」
刹那は小さく息を吸うと、楓をまっすぐ見つめた。
「じゃあ、言い方を変えます。私は、楓さんの作ったラーメンが食べたい。現実じゃ頼めないから、こっちで作ってほしい」
楓は驚いたように目を見開き、困ったように笑った。
「刹那さんって……少し、ずるい方ですよね」
「ずるい?」
刹那が首を傾げた。
「……いえ。何でもありません」
楓は静かに首を横に振ると、立ち上がった。
「今回だけですよ」
そう言い残し、楓は足早に厨房へ向かった。
楓の背中を見送り、刹那は小さく口元を緩めた。
その隣では、顔を真っ赤にした美咲が、テーブルに突っ伏していた。




