第3話 理由
暗転していた視界が、ゆっくりと白に染まった。
目の前には、無機質な白い天井。
刹那は簡易ベッドから身体を起こし、何もない部屋を見渡した。
白い壁。扉。簡易ベッド。
それだけ。
「……本拠点もまだなのに、余計なもの作りやがって」
悪態をついてから、刹那はベッドの端を軽く叩いた。
ベッドから立ち上がり、その場で軽く身体を動かす。
問題なし。
いつも通り。
「さてと、楓さん暇してるかな」
レザージャケットのポケットから携帯端末を取り出し、フレンド欄を開いた。
「お、いるね」
刹那は、口元を緩めながら端末を操作した。
【SETSUNA:こんばんは。大した用事じゃないんですけど、頼みたいことがあるんで、手が空いていたら返事ください】
内容を読み返さずに、送信ボタンに触れた。
楓にメッセージが送信されたのを見届け、もう一度フレンド欄を開いた。
「美咲はログインしてるかね」
指で一覧をスライドさせると、白く表示された美咲の名前が現れる。
「あいつも頑張ってるなー」
刹那は目を細め、端末をポケットにしまうと部屋の扉へ向かった。
扉を開けると、コーヒーの香りが漂ってきた。
刹那がロビーを見渡した。
ロビー中央の椅子には、グレージュ色のベレー帽をかぶった少女が座っていた。
茶色のボブに、小柄な体つき。
体格だけを見れば、中学生ほどにしか見えない。けれど、顔立ちはいくらか変えられるし、話せば妙に落ち着いている。
実際の年齢は、いまだによく分からなかった。
普段は柔らかい笑みを浮かべているが、今は真剣にタブレット端末にかじりついていた。
刹那は少女に歩み寄り、声をかけた。
「よお、美咲。また一人で難しい顔してるな」
美咲が端末から顔を上げ、刹那に視線を向けた。
「刹那さん。こんばんは」
「困りごとか?」
「いえ。そういうわけじゃないです」
刹那は美咲の手元の端末を覗き込んだ。
画面には、Code:VIRの公式フォーラムが表示されている。
いくつも並ぶスレッドの中から、PvP大会のスレッドが開かれていた。
刹那は小さく首を傾げた。
美咲が、対人の大会に出ようとしているとは思えない。それでも、開かれているのは大会の告知だった。
「……出るのか?」
刹那が視線を美咲に向けると、美咲は食い気味に首を横に振った。
「いやいやいや! 私なんかが出ても、何も残りませんよ! もし出たとしても、塵です。開始数秒で吹き飛ばされます! 絶対!」
刹那は、会場で塵のように舞っていく美咲を思い浮かべ、口元を歪めた。
「あっ。今、馬鹿にしましたね」
美咲が眉をひそめて、不満げに唇を尖らせた。
「いや、お前が自分で言ったんだろ」
そんな美咲をよそに、刹那はページを下にスライドさせ、大会概要に目を通した。
16人規模の個人大会。
1対1のデスマッチ。
優勝者には景品贈呈。
その他にも、事細かにルールが設定されていた。
公式主催の大きな大会ではないし、ランキング戦でもない。これなら、出場者のレベルもそれほど高いとは思えなかった。
美咲でも、初見なら一勝くらい引けるかもしれない。
「ふーん。個人主催だし、意外といけるかもよ」
「出ませんって!」
美咲は声を上げ、端末を刹那の視界から外した。
「もう……。こんなのもあるんだなーって見てただけですから」
美咲は不貞腐れたように顔を背け、端末に視線を戻した。
そんなに強く否定しなくてもいいのに。
刹那は苦笑いを浮かべ、ソファーへ向かおうとした時、端末が短く鳴った。
端末を見ると、楓からメッセージが返ってきていた。
【楓:こんばんは。今宵は21時以降でしたら、喜んでお時間を確保させていただきます。明日も早くから仕事が控えておりまして、あまり夜更かしのお付き合いはできないのですが……それでもよろしければ、ぜひお店までいらしてください。】
刹那には真似できない、楓らしい奥行きのある言葉遣い。
一瞬、仕事のやり取りかと錯覚するような文面に、刹那は乾いた笑いを漏らした。
ともかく、楓の予定は空いているらしい。
現在時刻は、20時を過ぎたところ。
せっかくだから美咲も連れていこう。
そう思い、美咲に声をかけようと視線を戻すと、美咲はいまだに端末を見つめていた。
画面は先ほどより下までスクロールされ、優勝賞品の欄で止まっている。
【優勝賞品:特製アイテムポーチ】
美咲は賞品の画像をじっと見つめたあと、ちらりと刹那へ視線を向けた。
目が合う。
美咲はすぐに視線を逸らし、端末へ戻した。
しばらくして、またこちらを見る。
欲しいなら、欲しいと言えばいいのに。
刹那は苦笑いを浮かべ、美咲の前にあるテーブルへ軽く腰を預けた。
「なんだよ。さっきから」
「え?」
「何か言いたそうにしてるだろ」
美咲は口を開きかけ、すぐに閉じた。
視線が端末と刹那の間を迷う。
「あの……」
「うん」
「刹那さんって……人に見られるのとか、得意ですか?」
なんだ、その聞き方は。
刹那は大会ページへ視線を落とした。
個人主催とはいえ、観客席は用意されるらしい。希望者には、試合映像の配信も認められている。
そういうことか。
「得意っていうか、慣れてはいるな」
「慣れてる……」
美咲の目が、わずかに見開かれた。
「まあ、好きではないけど。必要なら気にしない」
「そう、なんですね……」
美咲は考え込むように、刹那の顔を見つめた。
何をそんなに悩むことがある。
「他に聞きたいことあるのか?」
「い、いえ! 何でもないです」
美咲は慌てて首を横に振り、端末に視線を戻した。
どう見ても、何でもない顔ではない。
刹那は小さく息を吐き、もう一度、優勝賞品へ視線を落とした。
小型の白いポーチ。
外側には、小さな花の刺繍が施されている。
見た目だけなら、美咲が好きそうではある。
「……ふーん」
「なんですか?」
「別に」
刹那は口元を緩め、テーブルから身体を離した。
「そういえば、これから楓さんのところに行くけど一緒に行くか?」
刹那の唐突な誘いに、美咲の指が止まった。
「何しに行くんですか?」
刹那は振り返り、口の端を吊り上げた。
「ラーメンを作ってもらう」
「……え?」




