第1話 神城刹那
都内某所。
高層ビルの一角に設けられた撮影スタジオでは、乾いたシャッター音が途切れなく響いていた。
白い照明の中央で、黒髪の女性が静かにカメラを見つめている。
身体の線に沿った黒いジャケット。長い脚をわずかに前へ出し、片脚に重心を預けている。
顎を少しだけ上げ、視線だけをレンズの横へ流した。
それだけで、シャッター音の間隔が速くなった。
「神城さん、そのままで。今度は少しだけ正面に視線をください」
女性──神城刹那は、短く頷いた。
顔の角度はほとんど変えず、瞳だけをカメラへ向ける。
数枚の撮影を終えると、カメラマンが片手を上げた。
「一度、確認します」
シャッター音が止まる。
刹那はポーズを解き、張っていた肩からわずかに力を抜いた。
スタッフたちがモニターの前に集まり、撮影した写真を順番に確認していく。衣装スタッフがジャケットの皺を伸ばし、続いてヘアメイク担当が頬にかかった髪を指先で整えた。
「神城さん、次で最後です」
「はい。お願いします」
短い休止を挟み、刹那は再び照明の中央へ戻った。
先ほどまで緩んでいた表情が消える。背筋を伸ばし、レンズを見つめた瞬間、そこにはもう隙のない神城刹那が立っていた。
「では、ラスト数枚いきます」
シャッター音が続く。
顎を引く。肩をわずかに開く。視線を落とし、次の瞬間には鋭くレンズを捉える。
どの動きにも迷いはなかった。
「……はい、オーケーです! 本日の撮影は以上です。お疲れさまでした!」
その声が響くと、張り詰めていたスタジオの空気が一気にほどけた。
「お疲れさまでした」
刹那は周囲のスタッフへ頭を下げ、撮影スペースを後にした。
控室に戻り、借りていた衣装を脱いだ。皺がつかないよう、衣装をハンガーに掛け、用意していた私服に袖を通す。
鏡の前で、固められていた髪を指先で軽くほぐした。
最後に帽子を手に取ったところで、控室の扉が軽く叩かれた。
「入るわよ」
「どうぞ」
返事をすると、刹那のマネージャーが顔を覗かせた。手元の端末へ視線を落としながら、控室へ入ってくる。
「お疲れさま。今日の撮影、予定より少し早く終わったわね」
「皆さんが進めやすくしてくれたおかげですよ。ありがとうございました」
「私は何もしてないわよ。今日も評判よかったし、先方も満足してた」
「それならよかったです」
刹那は鏡越しに小さく笑い、帽子をテーブルへ置いた。
「そういえば、このあと共演者の子とスタッフで食事に行くみたいよ。刹那もどうかって」
「ああ……」
刹那は少しだけ考えてから、申し訳なさそうに眉を下げた。
「すみません。今日は用事があるので、また誘ってくださいって伝えておいてください」
「用事って、あれ?」
「ゲームですよ」
「また?」
マネージャーが呆れたように笑う。
見慣れたその表情に、刹那も少しだけ口元を緩めた。
「最近、ちょっと面白い知り合いができたんです」
「へえ。刹那がゲームの話をするなんて珍しいわね」
「そうですか?」
刹那が聞き返すと、マネージャーは不貞腐れたように頬を膨らませた。
「そうよ。おばさんにはゲームが分からないからって、いっつも適当に流すじゃない」
少なくとも、本人が言うほど年齢を重ねてはいないはずだ。
ゲームの話をしないのは、説明が面倒だから。それに、あのゲームの仕様を正直に話せば、やめろと言われかねない。
ただそれだけ。
「いや、そんなつもりないですよ」
刹那は迷った挙げ句、曖昧に返した。
マネージャーはしばらくの間、刹那をじっと見つめ、諦めたように目を伏せた。
「まあいいわ。それで、どんな子?」
刹那は腕を組み、少し考えた。
「真面目ですね。真面目すぎるくらい」
「それだけ?」
「放っておくと、一人で難しいこと考え始めます。あと、妙に人がいい」
「年下の子?」
「……たぶん」
「たぶん?」
マネージャーが首を傾げる。
「見た目は子どもなんですけど」
「じゃあ、子どもなんじゃないの?」
「いや、そうなんですけど……」
刹那は眉間に皺を寄せた。
自分が普段目にしている姿は、あくまでアバター。それが、本人の姿のままかどうかまでは分からない。
自分で口にしたものの、どう説明すればいいのか分からなかった。
「話してると、あんまり子どもって感じがしないんですよ。妙に落ち着いてるし、受け答えも大人びてるし」
「小柄な子って可能性もあるってこと?」
「それもあるかもしれないです。見た目だけで年齢までは分からないんで」
アリスのように、見た目どおり十代の者もいる。
けれど、美咲も同じだとは限らない。
刹那自身、あの姿から年齢を決めつける気にはなれなかった。
「結局、私にもよく分からないんですよ」
「ふうん」
マネージャーは、どこか面白そうに刹那を見た。
「でも、その子のことはよく見てるのね」
「……分かりやすいやつなんです」
「そういうことにしておくわ」
含みのある笑みに、刹那はわずかに目を細めた。
「何ですか、その顔」
「別に。楽しそうで何よりだと思っただけ」
「退屈はしないですよ」
刹那は帽子を被り、鏡の中の自分を確かめた。そして立ち上がり、片手を上げる。
「じゃ、私は帰ります。お疲れさまでした」
「気をつけてね。お疲れさま」
刹那が控室から出ていくと、入れ違いで衣装スタッフが現れた。
「ありゃ。神城さん、もう帰っちゃったんですか?」
「ええ。何か用事?」
スタッフはもう一度辺りを見渡し、肩を落とした。
「いやー。あの神城さんと、せっかく同じ現場になったんで、お話してみたかったなって」
「あのって……そんなにありがたがるような子じゃないわよ」
そう言いながら、マネージャーは机の上に置かれていたファッション雑誌を手に取った。
表紙を飾っているのは、隙のない微笑みを浮かべた神城刹那。その脇には、大きな文字が添えられている。
【神城刹那の素顔──知られざる休日に迫る】
「神城さんって、普段はどんな人なんですか?」
「知りたい?」
「そりゃ、もちろん」
マネージャーは雑誌を開き、インタビュー欄を指で示した。
【休日の過ごし方は? ゲーム】
【最近ハマっているものは? ゲーム】
【最も長く続いている趣味は? ゲーム】
スタッフが、しばらくそのページを見つめた。
「……全部、ゲームじゃないですか」
マネージャーは、当然のことのように肩をすくめた。
「ゲーマーよ」




