プロローグ 噂の女性
「やっぱり、刹那様は世界一かっこいいなー」
聞き慣れた名前が耳に入り、美咲の箸が止まった。
「確かに。この人、立ってるだけで絵になるね」
「そうそう! 笑ってるのに、ちょっと近寄りがたい感じがミステリアスでかっこいいんだよね!」
美咲は手元のコンビニ弁当から顔を上げた。
刹那様。
同じ名前の人物を、一人だけ知っている。
美咲は声の方向に視線を向けた。隣の席で、女性二人が一台のスマートフォンを覗き込んでいる。
一人は黒髪を低い位置で束ね、紙カップを片手に、背筋を伸ばして画面を眺めていた。もう一人は小柄で、机に身を乗り出すようにスマートフォンへ顔を寄せている。
美咲の視線に気づいたのか、黒髪の女性が顔を上げた。
「柊さんも興味ある?」
「え? あ、えっと……今、刹那って聞こえて」
「もしかして、柊さんも刹那様のファンだったりするの!?」
鼻息を荒げた小柄な女性が、目を輝かせて美咲に迫った。
美咲はその圧に気圧され、思わず身を引いて苦笑いを浮かべた。
「いや、そういうわけじゃなくて……知り合いに、同じ名前の人がいるもので」
「え? うそ!? 柊さんって、刹那様の知り合いなの!?」
話が思わぬ方向へ転がりそうになり、美咲は慌てて首を横に振った。
「いやいや! 別人、別人です! ……たぶん」
小柄な女性は露骨に肩を落とすと、椅子に沈み込んだ。
「なんだ、別人かー……お近づきになれると思ったのに……」
「でも、刹那なんて名前めったにいなくない?」
「確かに!」
小柄な女性は跳ねるように背もたれから身を起こし、スマートフォンの画面を美咲へ向けた。
「この人が神城刹那様!」
美咲は、差し出されたスマートフォンへ視線を落とした。
画面の中で、背の高い黒髪の美女が静かに微笑んでいる。目元も、輪郭も、どこか似ている気がする。
けれど、美咲の知る刹那は、こんな隙のない微笑み方をする人ではなかった。
「どう?」
小柄な女性が、期待に満ちた目を向けてくる。
どうと言われても、美咲は現実の刹那を知らなかった。どんな顔で、何歳で、何をしている人なのか。
刹那と現実の話をしたことは、一度もなかった。
Code:VIRでは、現実に近い姿で遊ぶ者もいれば、誰かに雰囲気を寄せる者もいるらしい。
本人なのかもしれない。たまたま似ているだけかもしれない。
何より、画面の中の神城刹那は、美咲の知る刹那とはあまりにも違って見えた。
美咲が言葉に悩んでいると、もう一人の女性が口を開いた。
「まあ、言いづらいよね」
含みのある言葉。
「そういうわけじゃなくて。実際に会ったことがないんです」
「知り合いなのに?」
「……ネットの知り合いで」
美咲が困ったように笑うと、黒髪の女性が納得したように頷いた。
「なるほど、そっち系の知り合いか。じゃあ、ハンドルネームの可能性もあるし、わかんないね」
「ですね。期待させて、すみません」
「私はどっちでもいいけど」
そう言って、黒髪の女性は小柄な同僚へ視線を向けた。
小柄な女性は唇を尖らせ、机に突っ伏していた。
「刹那様……」
小柄な女性はスマートフォンを見つめたまま、小さく呻いた。その姿には哀愁が漂っていた。
美咲は、スマートフォンに映っていた神城刹那をもう一度思い返した。
「……まさか、ね」
その呟きは、昼休みのざわめきに紛れて消えた。




