魔物たちの労働契約書
「……判定:この雇用契約書では、魔王軍の持続可能性が担保されません」
王都の喧騒から切り離された『ラスト・リゾート』の会議室。
私の前には、魔王軍の「人事・労務」を担当する死霊侯爵ガストが、自慢の肋骨を鳴らしながら座っていた。
机の上に積まれているのは、先日リノベーションを終えた物流センターで働く予定の、魔物三千体分の暫定労働契約書だ。
窓の外では、カレン率いる帝国の監視員たちが、私たちの「失態」を今か今かと待ち構え、双眼鏡を片手にメモを取っている。
だが、彼らが狙っているのは、もはや武力衝突ではない。
労働基準法、
公衆衛生法、
そして、「魔物雇用に関する特例法」の網を使い、事務的なミスからわが社を解体に追い込もうとしているのだ。
「リィン事務官。
……私としては、わが軍の同胞たちが『時給』という概念を理解しただけでも、奇跡に近い進歩だと思っているのだがね」
ガストは続ける。
「……これのどこに、不満があるというのかね?」
ガストが青白い炎の瞳を揺らして問いかける。
私は、彼が提出した「一律・週四十時間労働」と書かれた条項に、無慈悲な赤い修正ペンを入れた。
「ガスト様。
……貴方は、自分の部下たちの『特性』を、単なる数字としてしか見ていません」
「どういうことかね」
「……例えば、そこにリストアップされている『ナイトメア(夢魔)』のグループ。彼らは夜行性です」
「それは、そうだが……」
「人間の基準に合わせた、昼間勤務を強いれば、三日で集中力が切れ、ピッキングミスによる誤配送率が800%に跳ね上がります」
私は続ける。
「……これは労働搾取であると同時に、経営判断としての自殺行為です」
「……む。……しかし、シフトを分けるとなると、管理コストが……」
「管理コストを渋って、ブランドイメージを失墜させるおつもりですか?」
ルルに指示を出す。
「…ルルさん、魔物種族別の『バイオリズムおよび作業効率相関図』を展開してください」
「……了解……。……解析完了……。……オーク族は……食後二時間の……筋力出力が最大……」
続ける。
「……スライム族は……湿度70%以上で接着剤としての……粘着精度が向上します……。」
そして。
「……逆に……スケルトン族は……乾燥した場所では……関節の……磨耗が進み……メンテナンス費用が……増大します……」
空中に浮かび上がったのは、魔族の生態を完全にデータ化した、極めて精密なグラフだった。
魔王軍の「人事」を自称していたガストですら、自分の配下の魔物たちがこれほどまでに「環境」に左右される資源であることに気づいていなかったようで、顎の骨を外して絶句している。
「……ガスト様。
私が求めているのは、単なる労働力の確保ではありません」
「それはそうだが」
「……『魔物であることを最大限に活かした、人間には不可能な超・高効率労働』の実現です」
「な、なるほど……」
「……そのためには、種族ごとに最適化された、多層的な労働契約が必要なのです」
私は、自身で書き上げた『異種族対応・マルチフレックス労働契約規約』の初稿をガストに手渡した。
「第1条:寿命が短い種族(ゴブリン等)については、一日の労働時間を短縮する代わりに、熟練度の上昇に応じた『退職金の前払い積立』を行う」
続けて。
「第2条:毒を持つ種族については、防護服の支給に加え、その毒を『産業廃棄物』として会社が買い取り、副収入とする」
そして。
「第3条:不死族については、労働時間の概念を撤廃する代わりに、定期的な『神聖魔力によるメンテナンス休暇』を義務付ける」
「……。……。リィン事務官」
しばし沈黙。
「君は、彼らを『魔物』として恐れることも、蔑むこともせず……ただの『機能的なユニット』として、ここまで深く理解しているというのか」
ガストが驚きの声を上げる。
「……判定:誤解です。
私はただ、帳簿上の『無駄』が嫌いなだけです」
「とても、それだけとは思えぬ」
「彼らが不当な環境で働かされ、早期に損耗し、新しい魔物を補充するための『採用コスト』をかけたくない」
微笑。
「それだけのことですよ」
私は、肩の上でうたた寝を始めた、ピートの頭を優しく撫でた。
ピートは
「ニャーン(長話はいいから、早く美味しいパテの契約を結んで)」
と、催促するように鳴く。
「……さて。……契約書のドラフトはできました」
次の問題がある。
「……ですが、最大の問題は、彼ら魔物たちが『自分の名前』を持っていないことです」
私は続ける。
「……雇用契約には、法的な効力を持つ署名が必要です」
指示を出す。
「……ルルさん、王都の戸籍管理システムと、魔王軍の『魔力波長記録』を同期」
そして。
「……三千体全員に、法的に有効な『社員番号』と、それに基づく『仮名』を付与します」
ルルが答える。
「……同期開始……。……10%……40%……。……完了……」
続ける。
「……本日より……オークAは……『大倉さん』」
そして。
「……スケルトンBは……『骨川さん』として……社会保障の……対象となります……」
こうして、世界で初めて「魔物が名字を持つ」という、歴史的な雇用手続きが開始された。
だが、この「魔物の社会進出」を、帝国の監査部隊が指をくわえて見ているはずがない。
カレン・フォン・シュタインは、今度は『労働組合法』という名の、最も厄介な「民主主義の武器」を手に、わが社の会議室へと向かっていた。
「……フフ。……リィン事務官。
……労働環境を整えたつもりでしょうけれど。……組織が大きくなれば、必ず『不満』が出る。……次は内側から、貴方の理想郷を崩してあげるわ」
カレンの冷たい呟きが吹雪に消える。
魔物たちの「社会人デビュー」は、波乱の予感と共に幕を開けた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
異世界ファンタジーなのにどうして日本語名なんだよ!との突っ込みを入れた方、当作品はコメディです。いろいろと設定がゆるいのは、作者の力量不足です(笑)
それにしても、感想は来るのに、リアクションが一つも無いのはなぜだろう。
今、入院中なので感想の返信が遅れますが、すいません。
この物語の最後はどうなるんだろうと思われた方はブクマと評価をお願いします。




