カレンの敗北
「――もういいわ。これ以上、貴方の詭弁に付き合うつもりはない!」
カレン・フォン・シュタインが、ついに「理性」という名の眼鏡を投げ捨てた。
彼女の手元の魔導端末が、計算不能な損失を示す赤い警告灯を明滅させている。
帝國のエリートとして育てられた彼女にとって、市場の信頼という不確定要素に予算を削られる屈辱は、死に等しいものだった。
「法務が通用しないなら、帝國の『物理的な資産』でわからせてあげる。……帝國黒鉄騎士団、前へ!」
地響きと共に、王都のメインストリートを黒い重装鎧の集団が埋め尽くした。
一人一人がBランク以上の実力を持つ、帝國の誇る武力行使部隊。
彼らは抜剣し、事務机一つで市場を支配しようとした私を、物理的に排除すべく包囲を縮める。
「な、おい! リィン、さすがにこれはマズいぜ! 相手は軍隊だ!」
ゼクスが大剣を構え、カイトが「幸運」で逃げ道を必死に探すが、四方八方が鋼鉄の壁で塞がれている。
「……リィンさん……。……攻撃魔導……展開……?……それとも……空間転移で……バックアップ・オフィスへ……?」
ルルの指先がキーボードの上で踊る。
「……いえ。ルルさん、攻撃は不要です。……カレン監査官、最後にもう一度だけ確認させてください」
私は続ける。
「貴方は今、その騎士団を『業務執行の補助』として投入したのですね?」
「ええ、そうよ! 貴方という『障害物』を排除するための、正当な実力行使よ!」
「……判定:最悪のコスト管理ミスです」
私は、肩の上のピートを撫でながら、手元のタブレットに最後の一行を書き加えた。
「カレン様。……シュヴァルツ帝國の黒鉄騎士団の維持費は、一人あたり日給金貨五十枚」
「それが、どうしたの?」
「……これに、王都内での軍事行動に伴う『道路使用料』、および『周辺住民への精神的慰謝料』が加算されます」
「それで……?」
「……さらに、彼らが一歩でもわが社の敷地。……この馬車の半径三メートル以内に立ち入った瞬間、私は彼らを『わが社の警備外注先』として登録します」
「……はあ!? 何を馬鹿なことを!」
「帝國法第12条。……『国家機関が民間の商業活動に介入し、その安全を保障した場合、その対価は民間企業が提示する適正価格での支払いに準ずる』」
続ける。
「……つまり、貴方が彼らに私を攻撃させれば『暴行』ですが、彼らがここに突っ立っているだけであれば、それはわが社の『無料警備ボランティア』として処理されます」
「何が言いたいの?」
「……そして、私はたった今、王都中の全依頼主に対し、以下の通知を送りました」
私は、空中に表示された『警備保障プラン・特別価格』のウィンドウを指差した。
「――『本日、ラスト・リゾートは帝國の最強騎士団を「無料の外注先」として確保しました」
「えっ?」
「彼らが、わが社を取り囲んでいる間、王都の治安は完璧です。よって、本日の依頼成約率は100%を保証します。手数料は据え置きです』」
「……な、ななな……っ!」
カレンが絶句する中、王都の商人たちが
「帝國の騎士団が守ってるギルドなら安心だ!」
「うちの荷運びも頼む!」
と、次々にわが社の端末へ依頼を流し込み始めた。
騎士たちは、私を攻撃すれば「国際的な不祥事」になり、ただ立っていれば「リィンの手駒」として利用されるという、完璧なチェックメイト状態に陥った。
「さあ、カレン様。……騎士団の皆さんの日給、今日一日分で金貨数万枚になりますが、それも帝國の『教育費』として落としますか?」
一拍。
「 ……それとも、今すぐ彼らに『有給休暇』を与えて撤退させますか?」
ピートが、カレンに向かって
「ニャーン(お疲れ様、赤字のおばさん)」
と、トドメの欠伸を放った。
その日の夕暮れ。
カレン・フォン・シュタインは、真っ白な顔で騎士団と共に撤退していった。
エデン・ホールディングスの離職率80%。そして市場独占の失敗。
帝國がもたらした最大の攻撃は、リィンの事務処理能力によって「無料の広報活動と警備保障」へと完全に精算されたのである。
「……ふう。……カイト君。今日の新規成約数は、過去最高です。……明日から三日間は、徹夜で契約書を作成しますよ」
「……。リィンさん、あなた、本当の魔王より恐ろしいですよ……」
眼鏡を直し、私は勝利の美酒……ではなく、最高級の「栄養ドリンク」を飲み干した。
エデン・ホールディングスとの戦争は、まだ序盤。
だが、業界のルールはすでに、一人の事務官の手によって書き換えられようとしていた。
読んでいただき、ありがとうございます。
作中では、分かりにくいかもしれませんが王国は帝國の属国です。
そうでないと、他国に軍隊は派遣出来ません。
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