「戻ってきてくれ」という言葉の時給
「ハンス様、シグルド様。あなたがたが本当に私を必要としている理由は、世界を救うためでも、友情のためでもない」
結論づける。
「……ただ、『自分のケツを拭いてくれる有能な下僕』がいなくなって、生活が立ち行かなくなったから。……違いますか?」
ハンスが、ついに本性を表した。
「……っ、ああそうだよ! 悪いか!」
彼はまくし立てた。
「 君がいなくなってから、魔法薬の調合は失敗するし、ギルドの連中はボクの言うことを聞かないし、帝國の役人は細かいことばかりうるさい!」
そして、続ける。
「 君がいれば、全部丸く収まって、ボクたちはまた『伝説』に戻れるんだよ!」
「……判定:時給換算不能の、純然たる粗大ゴミ」
私は、机の上の懐中時計をパチンと閉じた。
「……。三分経過。……コンサルティング料、金貨三十枚」
淡々と告げる。
「……今の菓子折りと花束を代物弁済として受理し、これ以上の会話を拒否します。……カイト君、お出口はあちらです」
「待て! まだ話は終わって――!」
シグルドが手を伸ばそうとしたその時。
事務所の廊下から、ドタドタという凄まじい足音が響いてきた。
「――ここか! ここが、あの『リィン事務官』のいるラスト・リゾートか!」
「頼む! 俺たちの話を聞いてくれ!」
ドアが勢いよく開かれ、なだれ込んできたのは――シグルドたちの部下であるはずの、エデンの若手冒険者たち数十名だった。
「な、なんだお前たち! 持ち場を離れて、こんなところで何を……!」
ハンスが目を剥くが、若手たちは彼を完全に無視して、私の前に跪いた。
「リィンさん! お願いです、俺たちをこのギルドに拾ってください!」
「エデンはもう地獄です!」
冒険者の一人が叫ぶ。
「帝國の会計士が来てからというもの、ポーション一本当たりの使用許可に書類が三枚必要になり、そのくせ残業代は『帝國への忠誠心で相殺』されるんです!」
私は、彼らの顔色を確認した。……全員、ひどいクマと栄養失調の兆候。
「……。シグルド様、ハンス様。……聞こえますか? これが、あなたがたが放置し、帝國が歪めた『現場の数字』です」
私は、若手冒険者の一人が持っていた「帝國式・業務日報」を手に取った。
「……。ひどいですね。……睡眠時間三時間、支給品は期限切れの干し肉」
私は呆れた。
「……カレン監査官は『効率』を求めた結果、人間を『摩耗する備品』として扱ったようです」
私は決意した。
「……事務官として、これは看過できません」
「リィン! こいつらはエデンの所有物だぞ! 引き抜きはギルド間の協定違反だ!」
シグルドが叫ぶが、私は冷たく言い放った。
「協定? エデンは昨日、帝國の暫定管理下に入った時点で、既存のギルド協定から脱退しています」
続ける。
「現在、彼らは自由契約の身」
「そ、それはそうだが……」
「そして、わが社『ラスト・リゾート』の採用基準はただ一つ。『自分の健康管理と、報告書の提出ができること』」
私は若手たちを見回し、力強く宣言した。
「……皆さん。わが社に入社すれば、有給休暇は法定通り。社会保険完備。そして何より――このピート部長を、一日に三回撫でる権利が付与されます」
「「「お、おおおおおっ!!!」」」
若手たちの歓喜の声が、事務所を揺らす。
一方で、シグルドとハンスは、自分たちの足元から「土台」が崩れ去っていく恐怖に震え上がっていた。
「……さあ、シグルド様、ハンス様。……精算の時です」
「精算だと!」
「……部下を使い潰し、私を捨てた代償」
冷たく告げる。
「……あなたがたに残ったのは、帝國への莫大な借金と、誰もいなくなった黄金の椅子だけです」
時給換算、結論。
「あ、ああ……。嘘だ、こんなことが……」
シグルドとハンスは、若手冒険者たちの怒涛のような「退職届」の山に埋もれ、這いつくばったまま事務所から引きずり出されていった。
彼らが最後に見たのは、かつて自分たちが「無能」と見下した女が、新しい仲間たちに囲まれ、完璧な「雇用契約書」を次々と発行していく姿だった。
静寂が戻った事務所で、私は最後の一人にハンコを押し終えた。
「……ふう。……三十名の新規雇用。……社長、人件費が一時的に跳ね上がりますが、彼らの生産性を考えれば、三ヶ月で回収可能です」
「……あ、ああ。分かってるよ。リィンちゃんに任せれば、地獄の借金すら黄金に変わるんだから……」
アルベルト社長は、もう驚くのも疲れたようで、隅っこでピートに高級パテを捧げている。
「ニャーン(良い仕事したね、リィン。パテ美味しい)」
「……カイト君。……『戻ってきてくれ』という言葉の時給換算ですが、結論が出ました」
「……え、いくらだったんですか?」
カイトが恐る恐る尋ねる。
「……。マイナス、金貨一億枚」
「……彼らに関わるだけで、わが社の利益がそれだけ毀損されます」
「あ、なるほど」
「……つまり、彼らとの会話は、存在するだけで『損失』そのものでした」
私は、シグルドたちが置いていった菓子折りを、ゴミ箱……ではなく「休憩室の福利厚生品」として配置した。
「……さて。……エデンの『中身』は、これで大半がわが社に流れ込んできました」
「そうですね。リィンさん」
「……次に、カレン監査官が送り込んでくるのは、事務的な嫌がらせではなく、本格的な『市場独占による嫌がらせ』でしょう」
私は、窓の外、夕日に染まる王都の街並みを見つめた。
かつての仲間を捨て、新しい力を手に入れた『ラスト・リゾート』。
ホワイトな労働環境という名の「最強の兵器」が、ついにこの腐敗した冒険者業界を飲み込み始めようとしていた。
「……残業は、させませんよ。……私以外は」
眼鏡を直し、私は深夜の「決算準備」へと、幸せそうにペンを走らせるのだった。
シグルドとハンスは再起できるのか?
それはまた、別のお話しです。
リィンも残業しないで!と思われた方はブクマと星一つでもいいので評価を。
また、次の土日にお会いしましょう。




