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シュヴァルツ帝國の買収

「リィン……! お前、恩を忘れたのか!?」


シグルドは叫ぶ。


「 誰のおかげで、あの頃、最前線で名声を得られたと思っている!」


「私のおかげです。

私があなたの鎧の継ぎ目を修理し、武器の摩耗を計算し、

一秒の狂いもなく支援魔法をかけたからです」


「何だと!?」


「……あなたがたがしていたのは、ただ剣を振り回し、

派手な魔法で街を壊すことだけでした」


私は二コリと微笑み。


「……その『後始末』のコストが、どれほどの重みだったか、

今ここで清算して差し上げましょう」


逆上したシグルドが、ついに剣を抜き放った。


「黙れ! 事務員の分際で、英雄を侮辱するな!

ここで力ずくで、わがギルドの傘下に下らせてやる!」


だが、その刃が私の喉元に届く前に、

事務所の天井から漆黒の魔力糸が降り注ぎ、

シグルドの動きを完全に封じ込めた。


「……リィンさんへの……物理的干渉……。

……業務妨害罪……および……暴行未遂……として……処理します……」


ルルがデスクの下から、

禍々しくも精密な魔導デバイスを取り出していた。


「な、なんだこの糸は……動けぬ!」


「シャロンさん、今の映像、

神殿騎士団の『不祥事通報窓口』にダイレクト送信しましたか?」


「バッチリよ。

タイトルは『元英雄、生活苦から暴徒化! 元同僚の女性事務官を襲撃!』で決定ね。

いいね!の数が秒速で千を超えてるわ」


シャロンが端末を振ると、シグルドは屈辱に顔を歪めた。

しかし、そこでハンスが、低く、気味の悪い笑い声を上げた。


「……ふふ、ふふふ……。いいだろう、リィン。

君がそうやって『法律』や『数字』で戦うつもりなら、我々にも考えがある」


ハンスは懐から、一枚の黒い紋章が刻まれた

書面を取り出し、私のデスクに叩きつけた。


「それは……?」


アルベルト社長が覗き込み、悲鳴のような声を上げた。


「ひ、ひえええ!? これ、

シュヴァルツ帝國の『国家戦略投資商社』の公印じゃないか!?」


「その通りだ」


ハンスの目が、勝利を確信したような光を宿す。


「我々『黄金の聖域』は、隣国のシュヴァルツ帝國と提携した」


自信満々に宣言する。


「エデンの債権はすべて帝國の商社が買い取り、

新たに『帝國公認ギルド・エデン』として再編成されることが決定したんだ」


シュヴァルツ帝國。


この大陸における最大の軍事国家であり、

何より「効率」と「契約」を絶対とする冷徹な経済大国だ。


そして、この王国も帝國の経済属国にすぎない。


「帝國の法務部は、君たちの王都の甘い基準とは違う」


ハンスは続ける


「この通知書を読め、リィン」


一枚の羊皮紙を示す。


「わがギルドの元従業員であった君が、

退職時に『機密保持契約』に違反し、エデンの独自ノウハウ(事務管理手法)を

不当に流用して利益を上げている疑いがある」


ハンスは勝ち誇り。


「そこで、君個人、および『ラスト・リゾート』に対して、

一億五千万枚の損害賠償、および全業務の差し止めを請求する」


カイトがひっくり返った。


「い、一億五千万!? リィンさん、

さっきの黒字が全部吹っ飛ぶどころか、一生タダ働きだよ!」


「さらに」


と、ハンスは畳み掛ける。


「帝國は、わがエデンを窓口として、この王都の『ギルド運営権』の

一括買い取り(敵対的買収)を宣言した」


続けて。


「明日には、帝國から派遣された『最強の会計士』たちが、

このボロ事務所を接収しに来る」


ハンスは宣告する。


「リィン、君に残された道は二つ。

帝國の奴隷として働くか、監獄で一生を終えるかだ!」


シグルドが、拘束されたまま下劣な笑みを浮かべる。


「どうだ、リィン。これが『力(資本)』の差だ。

事務官ごときが、国家を後ろ盾にした私たちに勝てると思ったか!」


事務所に、かつてないほどの緊張が走る。

ゼクスが拳を握り、アルベルト社長が泡を吹いて倒れそうになる中。

私は、その「帝國の通知書」を、

指先でつまんでじっくりと眺めた。


「……ぷっ」


思わず、吹き出してしまった。


「……何がおかしい!」


ハンスが声を荒らげる。


「……いいえ、失礼」


私は優雅に頭を下げる。


「あまりにも帝國の会計基準が『古臭かった』もので」


「何!」


「ハンス様、あなたはまだ、

自分の首を絞めていることに気づいていないのですね」


私は、手元の通知書をゴミ箱にポイと放り捨てた。

ピートがその上に飛び乗り、通知書を前足でバリバリと引き裂く。


「な、何を……! それは正式な帝國の公文書だぞ!」


「ハンス様」


言い聞かせるように。


「シュヴァルツ帝國の『機密保持契約』における効力発生要件を、

あなたはご存知ですか?」


「効力発生要件だと……?」


「 帝國法第三十二条。……『従業員への給与支払いが一ヶ月以上滞っている場合、

または不当な解雇が行われた場合、すべての競業避止義務および

機密保持義務は遡及的に無効化される』」


ハンスの顔から、血の気が引いていく。


「……私が追放された際、解雇通知にはあなたの筆跡で

『無能ゆえに解雇する』と明記されていました」


続けて。


「……『無能』が持っている知識を、帝國が『独自のノウハウ』として

法廷で主張することは不可能です」


「うっ……」


「自ら私を無能と定義したことが、

今、あなたたちの唯一の武器を破壊しました」


「あ、あ……」


「さらに、帝國の商社が

エデンの債権を買い取ったというのなら、好都合です」


「何だと!?」


「……ルルさん、帝國中央銀行のサーバーに、エデン時代の

『未払い残業代請求訴訟(私と元所属冒険者三百名分)』の訴状を

アップロードしましたか?」


「……完了済み……。……帝國の会計士たちは……今頃……

エデンの『簿外債務』のあまりの巨額さに……悲鳴を……

上げているはず……です……」


「な、未払い残業代……だと?」


「はい。

あなた方が私服を肥やすために

カットしていた全従業員の残業代」


「はうぁ!」


「……遅延利息を含め、総額で二億枚を超えます。……帝國の商社は、

エデンを買収した瞬間に、その負債をすべて引き継ぐ義務が生じました」


私は畳み掛ける。


「今、帝國の法務部は、ハンス様、あなたを『詐欺的買収の主犯』として、

全速力でこちらに向かっているはずですよ」


事務所の外から、複数の魔導馬車のブレーキ音が響き渡る。

それは、王宮騎士団ではなく、シュヴァルツ帝國の紋章をつけた

「査察部隊」のものだった。


「ひ、ひいいいっ! シグルド、逃げるぞ!」


「待て! 私を置いていくな、ハンス!」


拘束が解けたシグルドとハンスが、

転がるように事務所を飛び出していく。


しかし、その先には帝國の黒い鎧を纏った役人たちが、

恐ろしい形相で待ち構えていた。


「ハンス・フォン・エデン! 貴様、帝國にゴミ(不良債権)を

売りつけようとしたな! 厳重な査問にかける、同行しろ!」


二人の悲鳴が遠ざかっていく。

嵐の去った事務所に、再び静寂が戻った。


「……ふう。……ようやく、一月の四日分の日報が書けます」


私は椅子に座り、新しいペンをインクに浸した。

カイトが、震える声で尋ねる。


「……リィンさん。……もしかして、

ハンスが帝國を連れてくることも、計算してたんですか?」


「まさか。

……私はただ、エデンが潰れた後の『資産整理』を

効率的に行っていただけです」


私は続ける。


「……彼らが自ら、負債の肩代わりをしてくれる

カモを連れてきてくれたのは、単なる幸運ラッキーですね」


微笑みながら。


「……カイト君、あなたの幸運が、

少し移ったのかもしれません」


「そ、そんな笑顔で言われても……」


心配そうに。


「……でも、リィンさん、帝國がエデンを本格的に買収したってことは、

これからはその『最強の会計士』たちが相手になるんじゃ……」


「望むところです」


私は眼鏡を直し、鋭く光る瞳でモニターを見つめた。


「ホワイトな労働環境こそが、最高の生産性を生む。

それを、帝國の非効率なエリートたちに、身をもって教えてあげましょう」


「ニャーン♪」


ピートが満足げに喉を鳴らし、私の膝で丸くなる。


ギルド『ラスト・リゾート』。


かつての英雄をゴミのように精算した彼らの前に、

次は国家規模の「敵対的買収」という壁が立ちはだかる。


だが、リィンの手にペンがある限り、

どのような巨悪も「赤字」として処理される運命に

変わりはなかった。

読んでいただき、ありがとうございます。


ついにリィンの戦いは国家規模に。

次の相手は、シュヴァルツ帝國。


次回、リィンのライバル登場です。

お楽しみに!

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