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孤独なカンスト事務官と一匹の猫

すべての始まりの物語

王都に戻ったリィンを待っていたのは、

過酷な「就職難」だった。


「リィンさん、ですよね?

『黄金の聖域』をクビになった……」


興味本位の目。


「失礼ですが、うちのような中堅ギルドには、

あなたのような『全職種カンスト』の方は荷が重すぎます」


どのギルドへ行っても、同じ言葉を投げかけられた。


理由は明白だった。


彼女の能力は、

既存の組織の秩序を壊しかねないほど強大だったのだ。


戦士として雇えば、リーダーより強い。


魔法使いとして雇えば、賢者より賢い。


そして事務員として雇おうとすれば、

ギルドの裏帳簿や経営の杜撰さを一瞬で見抜き、

改善リストラを提案してくる。


「君、前回の依頼で『ポーションの購入単価が高すぎる。

卸業者を変えるべきだ』って進言したらしいじゃないか」


迷惑そうな目。


「おかげで副ギルド長と業者の癒着がバレそうになって、大騒ぎだよ」


「事実を指摘したまでです」


「その事実が困るんだよ!

頼むから、もううちには来ないでくれ!」


三ヶ月後。


リィンの貯金は底を突きかけていた。


かつての英雄は、王都の場末にある安宿の隅で、

冷えたパンを齧りながら求人票を眺める日々を送っていた。


(……皮肉なものですね。

世界を救う力を持っていても、

一食のパンを正当に稼ぐ場所すら見つからない。

私の人生の『損益分岐点』はどこで間違ったのでしょうか)


眼鏡が曇る。


心も体も、乾ききっていた。


全職種カンスト。


それは、どこにも居場所がない

ということの別名に過ぎなかった。


そんなある日の夕暮れ。


リィンが人通りの少ない裏路地を歩いていると、

ゴミ捨て場の影から、激しい争いと、


――「異質な魔力」の波動が伝わってきた。


「待て! 逃がすな!それは『被検体001』だぞ!」


「魔導研究所の重要資産だ!傷つけてもいい、捕らえろ!」


黒いローブを纏った数人の魔導師たちが、

何かを追い詰めていた。


追い詰められていたのは、泥にまみれ、

片方の耳を怪我した、一匹の小さな黒猫だった。


だが、その猫は普通ではなかった。

その瞳は知性に満ち、

周囲の空間を歪ませるほどの魔力を無意識に放っていた。


「ニャ……ニャアアアア!!」


猫が威嚇するが、

魔導師たちの麻痺魔術が迫る。


リィンは、無意識に足が動いていた。

正義感などという高尚なものではない。


ただ、その猫の瞳に、自分と同じ

「居場所を奪われ、システムに利用され尽くそうとしている孤独」

を見たからだ。


「――判定:不当な動物虐待、

および公道における無許可の魔導行使」


リィンの声が、裏路地に響いた。

魔導師たちが振り返る。


「なんだ、ただの女か。邪魔するな、これは王宮直属の研究所の……」


「その権利書を見せなさい。……なければ、ただの器物損壊の現行犯です」


リィンは一歩踏み出し、瞬時に『格闘士』のスキルと

『重力魔導師』のスキルを同時発動させた。


全職種カンスト。


彼女の本気は、国家級の魔導師数人を

一瞬で地面に這いつくばらせるに十分だった。


「……ひっ、な、なんだこの圧は……!?

まるで、法則そのものに押し潰されるような……!」


魔導師たちが逃げ出した後、路地には静寂が戻った。


リィンは、震えている

黒猫の前に膝をついた。


「怪我をしていますね。……消毒と包帯が必要です。

経費(私の残り少ない貯金)で

落としてあげますから、おいでなさい」


猫――後のピートは、

じっとリィンの瞳を見つめた。


そして、警戒を解くように、

ひょこひょこと歩み寄り、

彼女の指先を小さく舐めた。


リィンの冷え切っていた胸の奥に、

小さな灯がともった瞬間だった。



◇◇◇


それから数週間、リィンはピート

(彼女が名付けた。理由は「安売り(ピート・セール)

されていた命を拾ったから」という、実に彼女らしいものだった)と共に、

その日暮らしを続けていた。


ピートは驚くほど賢かった。


リィンが求人票を見てため息をつけば、

最も給料の高い(しかし怪しい)求人を前足で叩き。


リィンが空腹で倒れそうになれば、

どこからか「有効期限切れ直前の高級肉」を

(合法的な手段で)見つけてきた。


だが、


リィンの心はまだ晴れなかった。


自分のような人間が、

まっとうに社会に組み込まれる未来が

見えなかった。


そんな時、王都の寂れた酒場で、リィンは一人の男に出会った。


禿げかけた頭を抱え、カウンターで


「もうダメだ、倒産だ……。

従業員には逃げられ、残ったのは借金と

このボロオフィスだけ……」


と泣き言を漏らしている男。

後の社長、アルベルトである。


「……失礼。お悩みのようですね。

あなたの愚痴のせいで、私のコーヒーが不味くなっています」


リィンが声をかけると、

アルベルトは顔を上げた。


「……お、お嬢さん。

……聞いてくれよ。私は新しいギルド

『ラスト・リゾート』を立ち上げたんだ。

冒険者たちの『最後のリゾート(安息の地)』

になるような、素晴らしいギルドをね」


涙目になり。


「……でも、現実は厳しい。事務はボロボロ、

経理はデタラメ、ついに明日、銀行が差し押さえに来るんだ……」


アルベルトはさらに泣きながら、



「しかも、帝國が『王国復興税』の名目で、

うちみたいな零細ギルドの売上まで根こそぎ持っていくんだ」


「王宮の役人も帝國の顔色を伺うばかりで、

実質的にこの国は

帝國の巨大な集金箱キャッシュレジスターなんだよ……!」



リィンは、アルベルトが机に広げていた

「経営計画書」と「元帳」をチラリと見た。

一秒で、全ての欠陥を理解した。


「……なるほど。この減価償却費の

計算が根本から間違っています」


リィンが指摘する。


「それに、ポーションの仕入れルートが不透明すぎますね。

これでは利益が出るはずもありません」


さらに。


「……あと、この福利厚生費に計上されている

『社長の高級ワイン代』は何ですか? 却下です」


「……えっ?」


アルベルトは目を丸くした。


「……いいですか。

このままでは明日の午前十時には、あなたのギルドは破綻します」


続けて。


「……ですが、この帳簿を今から私が修正し、

銀行に『再建計画書』として提出すれば、

返済猶予を三年は勝ち取れます」


「ほ、本当かい……」


「……ついでに、この余計な経費を削れば、

来月から純利益を15%出せます」


「……き、君。何者なんだい……?」


「ただの、どこにも雇ってもらえない

『無能』な事務官ですよ」


リィンは眼鏡をクイと上げ、隣で


「ニャーン♪ (このおじさん、

頼りないけど悪い人じゃないね)」


と鳴くピートを撫でた。


「社長。……条件があります。

私をそのギルドの『受付嬢兼事務員』

として雇いなさい」


アルベルトに提案する。


「……給料は相場でいいですが、

有給休暇は法定通り」


さらに。


「そして、このピートを『警備部長』として

同伴することを許可しなさい」


アルベルトは、信じられないという顔をした後、

顔をくしゃくしゃにして笑い、リィンの手を握った。


「雇う! 雇うよ! 君が来てくれるなら、

私は平社員でもいい! 助けてくれ、リィンちゃん!」


「……『ちゃん』はやめてください。業務に私情は不要です」


こうして、伝説の始まりは、王都の場末の酒場で。


一杯の(経費で落とせない)コーヒーから

始まったのである。


事務官として覚醒し、

ラスト・リゾートでの初仕事が。


翌朝。


ギルド『ラスト・リゾート』の事務所。


そこには、昨夜までのどんよりとした

空気は微塵もなかった。


リィンは徹夜で帳簿を整理し、

山積みだったゴミ(不要な書類)をすべて

シュレッダーにかけ、事務所内をチリ一つない

状態に磨き上げていた。


「……お、おはよう、リィンちゃん。

……すごい、事務所が光っている……」


出社したアルベルトが呆然とする。


「おはようございます、社長。

……九時三分前です。遅刻ですよ」


そして、要件を話す。


「……さて、先ほど銀行の担当者が来ましたが、

私の作成した『再建計画書(物理的圧力を込めたもの)』を

見せたところ、泣きながら土下座して帰っていきました」


そして、


「融資の継続、および金利の引き下げに

成功しましたので、こちらに受領印を」


「……えええっ!?

あの頑固な頭取をどうやって……!?」


「事務官の秘密です」


リィンの背後では、

ピートが特注の小さなデスク(段ボール製)の上で、

重要書類を重し代わりに押さえていた。


そこへ、


騒ぎを聞きつけた一人の冒険者が飛び込んできた。

後の看板戦士、ゼクスである。


「お、おい!

ここは『何でも引き受ける』ギルドだって聞いたぜ!

俺、エデンをクビになってさ」


土下座する勢いで。


「……装備をローン払いで

差し押さえられそうなんだ! 助けてくれ!」


リィンは、初めての「お客様」を静かに見つめた。

かつての自分と同じ、組織に使い潰された「ゴミ」と見なされた者。


だが、リィンの目には、

彼の筋肉の付き方から。


彼がどれだけ真面目に訓練を重ねてきたかが

数字として見えていた。


「……ゼクス様ですね。あなたの債務、

私が『事務』で解決してあげましょう」


「本当か!」


「……その代わり、

今日からあなたは、わが社の専属契約冒険者として、

私の管理下で働いていただきます」


「えっ」


「……残業代は出ますが、

報告書の提出が遅れたらポーション抜きですよ」


「……は、はい! 姐さん!」


リィンは、真っ白な新しい台帳を開いた。


そこには、自分を捨てた『黄金の聖域』も、

自分を拒絶した王都のギルドたちも入る隙のない、

完璧に美しく、ホワイトな世界が広がっていた。


(……有給休暇三連休。……それだけを目標に、

この泥沼のギルドを世界一に『精算』してみせましょう)


窓から差し込む朝日に、

彼女の眼鏡が鋭く光る。


最強の事務官リィン。


彼女のデスマーチは、

ここから輝かしく幕を開けたのである。

読んでいただき、ありがとうございます。


ピート、アルベルト、ゼクスと出会ったリィン。

ここから、すべての物語が始まります。


世界を「精算」するその日まで。

今しばらく、この物語にお付き合いいただければ幸いです。


次回、

「かつての仲間は『無能な集団』になっていた」

お楽しみに。

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