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世界を「精算」する前の物語

すべての始まりの物語

かつて、王都中がその名を称え、

神殿の歌姫がその武勇を詩にした伝説のパーティーがあった。


『黄金の聖域』


勇者シグルド、賢者ハンス。


そして、


その背後ですべてを完璧に制御コントロールしていた一人の女性――リィン。


「リィン! 盾職ガーディアンに切り替えろ!

敵のブレスが来るぞ!」


「了解。同時に聖職プリーストの『広域障壁』を展開。

……ハンス様、魔力のロスが〇・三%発生しています。

術式の組み込みが甘いですね。修正してください」


最果ての魔窟。


伝説の魔竜が放つ業火を、

リィンは無表情に、流れるような動作で防いでいた。


彼女は、この世界に存在する全職種の

レベルが上限カンストに達していた。


前衛で壁になり、後衛で魔法を放ち、

合間を縫って仲間の傷を癒す。


だが、彼女が最もその異能を発揮していたのは、

戦闘そのものではなく「管理」だった。


アイテムの在庫管理。


敵の行動パターンの数式化。


ダンジョン踏破における最短ルートの算定。


そして――莫大な報酬の分配計算。


「シグルド様、

本日の討伐による武器の摩耗率を考慮した結果、

次の街で更新すべき装備はハンス様の杖です」


「そうなのか?」


「あなたの剣はまだ三戦持ちます。

予算配分はこうなります」


戦いが終わるたび、彼女は剣をペンに持ち替え、

血のついた鎧を脱ぐ暇もなく帳簿を広げた。


シグルドは彼女を「最高の道具」と称賛し、

ハンスは「歩く演算機」と呼んだ。


だが、リィンは知らなかった。


彼女が完璧であればあるほど、

仲間の男たちのプライドが、そして欲望が、

醜く歪んでいくことを。


「……ねえ、シグルド。

最近、民衆は俺たちじゃなくて『リィンの采配』のおかげで

勝てていると言い始めてるよ」


「うむ」


「このままだと、俺たちの『英雄価値』が下がる」


ある夜のキャンプ。

ハンスが焚き火の影で囁いた。


「それに、彼女は一円の無駄遣いも許さない。

俺たちがどれだけ金を稼いでも、彼女に『経費』として握られている。

これじゃ、王都の高級クラブにも行けやしない」


シグルドは、黄金に輝く自分の剣を見つめ、低く呟いた。


「……ああ。彼女は優秀すぎた。優秀すぎて、

俺たちの『自由』を奪っている」


◇◇◇


「リィン」

シグルドの声は、いつもより低かった。

彼女は帳簿を閉じる。


今日の討伐報酬、修繕費、ハンスの魔力回復薬の追加分。

シグルドの鎧の裏打ち交換費用――すべて正確に記されている。


三年分。

一日も欠かさず。

一ページの誤差もなく。


「君はもう、このパーティーには必要ない」


差し出された紙。


解雇通知。


リィンは数秒で内容を読了した。


「理由をお聞きしても?」


「……君は優秀すぎる」


ハンスが肩をすくめる。


「俺たちは英雄だ。民衆は英雄に夢を見る。

だが最近はどうだ? “リィンの采配があるから勝てた”だと。

冗談じゃない」


シグルドは視線を逸らしたまま続ける。


「君がいると、僕たちは“管理される側”になる。

英雄に管理は不要だ」


ぱちり、と薪が爆ぜた。


リィンの指先が、ほんのわずかに帳簿を強く握る。


「……理解しました。では、引き継ぎ資料を――」


「いらない」


ハンスが笑いながら、彼女の腕から帳簿を奪った。


「そんなものがあるから、君の影が残るんだ」


次の瞬間。


帳簿は、炎の中へ放り込まれた。


一冊目。


二冊目。


三冊目。


ページがめくれ、インクが黒く歪み、

数式が煙になって消えていく。


その中には、


シグルドが毒に倒れた夜の治療費。


スポンサーに頭を下げて得た追加資金。


ハンスの魔術研究のために密かに積み立てた予算。


三年間の、すべて。


インクが溶ける。


リィンの指が、わずかに動いた。


誰にも気づかれない速さで。


炎に落ちる直前、

四冊目の帳簿が“ずれる”。


ほんの数センチ。


その下に重なっていた、薄い一冊。


それだけが、

焚き火の影から外れた。


ハンスは気づかない。


シグルドも気づかない。


リィンは炎を見つめたまま言う。


「……理解しました」


燃え上がる炎の中で、

三年間の“成果”が消える。


だが、彼女の脳内には、

すべての数値が記憶されている。


(物理的媒体の焼却は問題ありません。

データは完全にバックアップ済)


だがそれでも。


地面に残された一冊に、

彼女は視線を落とさない。


触れない。


拾わない。


炎は容赦なく呑み込んでいく。


(……火力、安定。湿度低。完全燃焼まで約四分)


思考は冷静だった。


だが、胸の奥が、わずかに軋む。


それが何という感情なのか、

彼女は言語化しなかった。


「最後に一つだけ」


リィンは炎を見つめたまま言った。


「私がいなくなれば、半年以内に装備維持費が破綻します。

特に第二遠征以降、赤字傾向が顕著です。……対策は」


「もういい!」


シグルドの声が荒れる。


「君は最後までそうだ。正しい。合理的だ。完璧だ。

……だから息が詰まるんだ」


静寂。


炎の音だけが残る。


リィンは立ち上がった。


「承知しました」


それだけ言って、背を向ける。


足は止めない。


振り返らない。


だが、炎の光が届かなくなった場所で、

彼女は一瞬だけ立ち止まった。


胸に手を当てる。


鼓動が、いつもより速い。


(……これは、何のバグでしょうか)


答えは出ない。


彼女はそのまま歩き出した。


背後で、最後の帳簿が崩れ落ちる音がした。


それは、三年間の努力が灰になる音だった。


そして同時に、

“管理される側”であることを拒否した英雄たちの、

静かな破綻の始まりの音でもあった。


炎の熱が弱まり、

シグルドたちが去ったあと。


静まり返った夜。


リィンは戻ってきた。


灰を踏み越え、

静かにその一冊を拾い上げる。


それは――


「黄金の聖域 内部資金流動記録(未公開)」


三年間、誰にも見せなかった裏帳簿。


スポンサーからの裏献金。


王宮からの圧力。


遠征費の不自然な増額。


英雄ブランド維持のための広告費。


そして。


リィンが個人資産を切り崩し、

何度も赤字を補填していた証拠。


彼女は表紙の煤を払う。


ページを一枚だけめくる。


そこには、こう記されている。


「第二遠征後、資金枯渇。

勇者の名誉を守るため、私費より補填。

本人には通知せず」


数秒、静止。


(……合理性のない支出でしたね)


ぱたん、と閉じる。


それは未練ではない。


それは――


監査資料。


「いずれ必要になる可能性がありますから」


リィンはボストンバッグの底に、

その一冊を滑り込ませた。


炎はすでに消えかけている。


夜空には星。


彼女は振り返らない。


だが、バッグの中の一冊が、

三年の“事実”を静かに保存していた。


それはいつか、

世界を「精算」するための、

最初の証憑書類となる。

次回へ続きます。


勇者パーティ『黄金の聖域』を追放されたリィン。


すべてを支えてきたはずなのに、

返ってきたのは理不尽な解雇通知だけでした。


仕事も、居場所も失った彼女を待つのは、

冷たい世間の視線。


それでも――

事務官の戦いは、まだ始まったばかりです。

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