すべては定時退社と有給休暇のために
※痛快リーガル・ファンタジーです。
「――立入検査だ! 開けろ!」
「魔界監査局だ!」
扉の向こうで怒号が重なる。
その音が――
ぴたり、と止んだ。
「……証拠ごと消せばいい」
バフォメットが、低く笑う。
「愚かな人間風情が……監査だの法だのと」
黒い魔力が、部屋を満たしていく。
「結局は――力こそが法よ!!」
シャロンが悲鳴を上げる。
「ひっ……!」
ゼクスが剣に手をかけた。
「来るぞ――!」
――だが。
私は、カバンから一冊の分厚い帳簿を取り出した。
神殿公式。
魔導会計監査基準。
かつて“魔王の喉元を焼いた”力は――
今は、全部“事務”に使っている。
「判定:却下」
――ぶん。
帳簿が振り抜かれた瞬間。
黒い魔力が、音もなく消えた。
「なっ……!?」
バフォメットの目が見開かれる。
「我が究極魔法を……紙で!?」
「ただの紙じゃありません」
私は淡々と言う。
「正式な手続きを経た、正当な書類です」
一歩、踏み込む。
「手続きを無視した暴力には――」
帳簿を軽く叩く。
「倍の“事務手続き”で返します」
「ふ、ふざけるな!」
「ふざけてません」
さらに一歩。
「ちなみに今の一撃」
「物理ダメージに加えて、“法的根拠による存在否定”が乗ってます」
「……は?」
「あなたの魔力回路、凍結済みです」
「なっ……!?」
私はそのまま胸ぐらを掴んだ。
距離ゼロ。
公印を突きつける。
「最終回答です、バフォメットさん」
「請求、即時撤回」
「そして――」
一拍。
「慰謝料込みで、金貨五十万枚」
「日没までに振り込みなさい」
「ご、五十万!?」
「一千万取り下げるだけじゃなく、払えと!?」
「不服ですか?」
扉をちらりと見る。
「じゃあ、開けましょうか」
「徴税局と監査局、待ってますよ?」
「ま、待て!」
即答だった。
「振り込む! 振り込むから!」
血判。
震える手。
私は書類をひったくる。
「シャロンさん、振込確認」
「は、はい!」
「ゼクスさん、剣は不要です」
「……ちぇ」
「ルルさん、撤収。定時まであと一時間」
「了解……です」
背後でゼクスが呟く。
「リィン……お前、魔王より怖えな……」
聞こえないふりをして、私は外へ出た。
◇◇◇
――帰り道。
カバンの中。
和解合意書。
そして、金貨五十万枚の振込依頼。
ついでに。
神殿騎士団にも“正当防衛”を認めさせた。
「完璧ですね」
ギルド、黒字。
破産回避どころか大勝利。
「リィンちゃーん!!」
シャロンがはしゃぐ。
「五十万枚よ!? 一生遊べる!」
「会社の金です」
「えぇぇぇぇ!?」
「あなたのではありません」
「ボーナスは!?」
「未定です」
「ひどい!!」
そのまま事務所の扉を開ける。
中は――
いつも通りの地獄だった。
「ひ、ひと……ふた……」
社長が床で震えている。
「ゼロが多すぎるぅ……!」
ルルは這い寄ってきた。
「三%……研究費に……」
「却下です」
ゼクスは相変わらず。
鏡の前でポーズ。
「なあリィン」
「結局さ、俺がビビらせたから――」
「違います」
即答。
「あなたのせいで、有給が三時間削れました」
「ぐっ……!」
私は申請書を取り出す。
しわくちゃ。
「社長」
「はいぃっ!」
「今すぐ判を」
「今から帰ります」
「残り一五〇分、ピートと過ごします」
「も、もちろんだ!」
社長が公印を持ち上げた――
その瞬間。
ガシャーン!!
窓が砕けた。
黒いカラスが飛び込んでくる。
足に結ばれた、赤いリボン。
嫌な予感しかしない。
カラスが手紙を落とした。
『エデンより、至急通達』
空気が凍る。
私は無言で開封した。
中身を読む。
――そして、ため息。
「……来ましたね」
「な、何!?」
社長が覗き込む。
『敵対的買収を実施する』
沈黙。
「買収ぅぅぅ!?」
社長が絶叫する。
「せっかく黒字なのに!?」
ゼクスが肩を回す。
「ぶっ潰せばいいだろ?」
「無理です」
「相手はエデンです」
「帝國と王宮の後ろ盾あり」
「力でやれば、即終了です」
静かに手紙を置く。
視線の先。
判を待つ申請書。
――ひらり。
風で落ちた。
足元。
ピートがそれを見つける。
「ニャー」
びりっ。
「…………」
びりびりびり。
私の三連休が、粉々になった。
静かに息を吐く。
「シャロンさん」
「は、はい!」
「ルルさん」
「はい……」
「今日の退勤、取り消しです」
「「えぇぇぇぇぇ!?」」
「資料室へ」
「エデンの財務諸表、五十年分」
「役員スキャンダル」
「使途不明金」
「全部持ってきてください」
「はいぃぃぃ!」
「ルルさん」
「カフェイン三〇〇%のコーヒーを」
「徹夜です」
私は、申請書の残骸をゴミ箱に捨てた。
眼鏡を押し上げる。
「三日後、午前九時」
「エデンの監査官が来る」
一拍。
「なら――」
「こちらは“逆監査”で迎え撃ちます」
社長が震える。
「リィンちゃん……顔が……」
知らない。
関係ない。
「最高のおもてなしをしてあげましょう」
夜の王都に灯りがともる。
戦いは終わらない。
「――残業の時間です」
※次回へ続きます。
※面白かったら、ブックマークや感想を。励みになります。




