黄金の聖域、清算完了
「これは『必要悪』ではありません。
ただの『事務上の不始末』、すなわち――横領罪です」
『……が、あ……あああああ!!』
空気が、裂けた。
ハンスの顔が歪み、画面越しにでも
分かるほど、理性が崩れていく。
「し、知らなかったんだ!リィン、
ハンスが!ハンスが勝手にやったことだ!」
シグルドが叫ぶ。
声が裏返っている。
誇りも威厳も、全部剥がれ落ちた声だ。
「……ルルさん。エデン本部の全資産に対し、
王宮財務局の名の下に『強制差し押さえ令状』をデジタル送達しなさい」
「今この瞬間、エデンは経営破綻しました」
「……了解……。……エデンの……金庫の……魔法錠……一括解除……。
……全資産……凍結……完了……です……」
その瞬間。
――音が消えた。
シグルドたちの鎧から、魔力が抜ける。
ギィ……と鈍い音を立てて、彼らは膝をついた。
剣を握る力が、抜け落ちる。
戦う理由が、消えたからだ。
エデンの全資産。
それは、彼らの誇りであり、給与であり、存在理由。
それが――
たった一枚の書類で、凍結された。
「社長。仕上げをお願いします」
机の下。
ずっと震えていた(フリをしていた)男が、ひょいと顔を出す。
「やれやれ、リィンちゃん。相変わらず厳しいなあ。
でもまあ、わが社の『特別利益』として、
エデンの営業権を丸ごと買い取っちゃおうか。……金貨一枚でね」
「えっ、金貨一枚!?」
カイトの声が裏返る。
「ええ。債務超過に陥った組織の価値など、そんなものです」
「ハンス様、シグルド様。明日からは、あなたたちもわが社の
『派遣社員』として、魔王城のトイレ掃除から始めていただきます」
「あっ、もちろん、時給は最低賃金以下、社会保険なしですが」
「終わりだ……。何もかも……終わりだ」
シグルドが、崩れ落ちる。
騎士団も、その場に沈んでいく。
『リィィィン!! 殺してやる、お前だけは……!!』
ハンスの絶叫。
そして――通信は、途切れた。
静寂。
エデンの崩壊。
王都を支配していた巨大ギルドが、
一人の事務官と、一匹の猫、そして放蕩社長の「決算処理」によって、
歴史の塵へと変わった瞬間だった。
「……リィンさん、勝った……の?」
カイトの声は、震えていた。
「いいえ、カイト君。まだ、『貸借対照表』の合計が合っていません。
シグルド様、騎士団の皆様、動けるならそこにある書類を拾いなさい」
「あなたたちの『退職金』を計算してあげますから」
「うがあああ!!そんなこと認められるか!!
リィン、このままで済むと思うなよ!!」
シグルドが叫ぶ。彼はそのまま逃げ去っていった。
「リィンさん、どうします?」
カイトが心配そうに訊く。
「放っておきなさい」
「最早、彼らに出来るのは国外逃亡が関の山です」
静まり返った空間に――
再び、音が戻る。
ペンの音。
魔導計算機の音。
紙をめくる音。
エデンを滅ぼしても、私の「決算」は終わらない。
私にとって、巨悪の打倒すらも、
「決算」の「雑務」の一つに過ぎなかった。
◇◇◇
十二月三十一日、
午後十一時五十九分。
王都中に、新年の到来を告げる
鐘の音が鳴り響く――その直前。
私は、最後の一枚の書類に公印を捺した。
「……決算、完了です」
――コツン。
静かな音。
それだけで、すべてが終わる。
その瞬間。
事務所に、深い沈黙が落ちた。
ルルのサーバーは、静かにスリープへ移行する。
ゼクスは椅子に座ったまま、
剣を抱えて、完全に眠っていた。
シャロンとカイトは机に突っ伏し、
「もう一円も数えたくない……」
と寝言を漏らしている。
「ニャーン」
ピートが膝に飛び乗る。
満足げに喉を鳴らす。
その隣で――
ポン、と軽い音がした。
アルベルトが、シャンパンの栓を抜いたのだ。
「お疲れ様、リィンくん。
いやあ、一時はどうなることかと思ったけど。
エデンの資産を丸ごと飲み込んだおかげで、
わが社の貸借対照表、見たこともないような右肩上がりだよ」
「……社長。
資産が増えたということは、
それだけ管理コストと納税額が増えるということです。
浮かれている暇はありませんよ」
私は眼鏡を外し、目頭を押さえた。
エデンは解体された。
優良な案件も、人材も、すべて。
――書類の上で。
かつて私を切り捨てた組織は、
文字通り、帳簿から消えた。
窓の外。
夜空には、魔導花火が咲いている。
だが――
私の机の上には、すでに積み上がっている。
次の案件のファイルが。
「リィンさん、これ……見て……」
ルルが、眠そうな目で封書を差し出す。
赤い封筒。
消印なし。
封蝋には、見慣れない紋章。
「……王宮直属の『禁忌監査院』からですか。内容は?」
「……『不当な市場独占の疑い』……および……
『魔王軍との不透明なBtoB取引に関する事情聴取』……」
ルルは続ける。
「……あと……ハンス様とシグルド様が……逃げ込んだ……
帝國からも……宣戦布告に近い……抗議文が……」
小さく、息を吐く。
エデンを越えた先にあるのは――
国家。
そして、もっと面倒な「手続き」。
「……ふふ。退屈しなくて済みそうですね」
シャンパンを一口だけ含む。
そして、ペンを取る。
「リィンちゃん、まだ働くのぉ?もう休もうよー」
酔ったシャロンが絡んでくる。
だが。
私は、迷わない。
机に向かう。
「カイト君、起きなさい。新年一発目の仕事です」
「帝國への『抗議に対する逆抗議書』の起草と、王宮への
『接待費(寄付金)』の予算割り当てを行います」
「ええええ! もう新年だよ!?お正月休みは!?」
「事務官に正月はありません。
……あるのは、新しい会計期間の始まりだけです」
ピートが書類を散らかす。
アルベルトが笑う。
勇者たちが叫ぶ。
最強の事務官リィンの、
世界を正しく「精算」するためのデスマーチは、
これからが本番だった。
読んでいただき、ありがとうございます。
ついにエデン=黄金の聖域との最終決着です。
勇者パーティーを帳簿の上から消し去ったリィンですが、
彼女に休暇が訪れることはありません。
次の相手は国家。
さらに魔王軍も、まだまだ黙ってはくれません。
事務官リィンのデスマーチは、むしろここからが本番。
次回もお付き合いいただければ嬉しいです。




