赤字と締切は魔王より恐ろしい
本日、2話連続更新です。
「リィン、今度は何を書くんだ?
さすがに今日はもう閉店だろ?」
ゼクスが机に突っ伏しながら言った。
剣は床に転がっている。
本人はもう完全に燃え尽き顔だ。
だが。
私はペンを止めない。
「いいえ」
淡々と答える。
「これから、エデンへ正式な損害賠償請求を送ります」
「まだやるの!?」
カイトが悲鳴を上げた。
「いやもう今日だけで十分すぎるくらい
修羅場だったよね!?」
「足りません」
即答。
私は机の上に新しい羊皮紙を広げた。
「今回のサイバー攻撃による
『サーバーの精神的クリーニング費用』」
「通信遮断による機会損失」
「職員への精神的苦痛」
「設備負荷」
「臨時保守対応費」
「あと、ルルさんの胃痛」
「……胃……痛……まで……請求……するんですか……?」
「当然です」
カリ、カリ、とペンが走る。
静かな音だ。
なのに、全員の背筋が寒くなる。
今回の件で。
エデンは大きく計算を間違えた。
本来、彼らは『ラスト・リゾート』を
孤立させるつもりだった。
スパムで潰す。
業務を止める。
信用を削る。
そうやって、
弱小ギルドをじわじわ殺すつもりだったのだろう。
だが。
結果は真逆だった。
私は、その嫌がらせすら「案件」として処理した。
しかも。
魔王軍という巨大勢力を、
一時的とはいえ「クライアント」に変えてしまった。
「……意味わかんねえな、これ」
ゼクスが乾いた笑いを漏らす。
「魔王軍が『働き方改革』とか言い出す時代かよ」
「時代の流れですね」
私は書類から目を離さず答えた。
「侵略業務にも効率化は必要です」
「侵略を業務って言うな」
「……それにしても」
ゼクスが椅子を揺らす。
「魔王軍がテレワークかぁ。
次からは現地に来ないで、
遠隔で呪い飛ばしてくるだけになるんじゃねえの?」
「その方が低コストです」
「肯定するなよ!?」
「移動経費、兵站、現場維持費。
リモート侵略の方が圧倒的に合理的です」
私は淡々と続ける。
「さらに、『承認プロセスのない侵略』を恥だと
考える文化が定着すれば、無差別被害は減ります」
「……つまり?」
「世界平和は、勇者の剣ではなく
『ハンコ』によって守られるようになります」
沈黙。
「リィンちゃん」
シャロンが真顔で言った。
「たまに、本気で怖いのよね」
窓の外。
王都の空には、穏やかな月が浮かんでいた。
だが。
事務所の隅に置かれたカレンダーだけは違う。
そこに書かれている文字。
――十二月。
その瞬間。
ルルの肩がビクリと震えた。
「……決算期……」
ボソリ。
「……デスマーチ……接近中……」
「やめて」
カイトが青ざめる。
「勇者物語で『決算』を
そんなラスボスみたいに言うのやめて」
「勇者にとっては違うでしょうね」
私は眼鏡を押し上げた。
「ですが、事務員にとって
最も恐ろしい存在は、魔王ではありません」
一拍。
「赤字と締切です」
空気が重くなる。
「覚悟しておきなさい」
私は静かに告げた。
「これから先は、ポーションを飲む暇すら
惜しんで数字と戦うことになります」
「怖い怖い怖い!」
カイトが頭を抱える。
私は無視して、魔王軍から届いた感謝状をファイルへ綴じた。
『迅速なる対応に深く感謝する』
その下には、小さく。
『呪詛三割増量』
「嫌すぎる感謝状だな……」
ゼクスが引いている。
私はカレンダーへ視線を向けた。
十二月。
年度末。
事務職最大の戦場。
「……いいですか、皆様」
私は立ち上がった。
「これより、ラスト・リゾートは『特別警戒態勢』へ移行します」
◇◇◇
月曜日の朝。
事務所の空気は、すでに戦場だった。
メインテーブルの上。
そこに積まれているのは、鈍器みたいに分厚い台帳。
未処理伝票。
請求書。
決算資料。
そして。
魔力回復ポーション。
人数分。
「うわぁ……」
カイトが露骨に嫌そうな顔をする。
「またポーション生活?」
「当然です」
私は即答した。
「この十二月三十一日という締切は、
魔王軍より確実で、死神より容赦なく私たちを殺しに来ます」
「言い方が怖いんだよ!」
「一円のズレも許されません」
私は台帳を叩いた。
ドゴッ。
重い音。
物理的にも重い。
「数字を合わせる」
「締切を守る」
「領収書をなくさない」
「それが生存条件です」
「ブラックだぁ……」
その時だった。
事務所の奥から、のんびりした声が響く。
「あー、忙しそうだねえ」
現れたのは。
ボロボロの羽織。
片手に酒瓶。
もう片方に煮干し。
放蕩社長アルベルトだった。
「……社長」
私は無表情で言う。
「いつ戻られたのですか」
「いやあ、リィンちゃん」
アルベルトが笑う。
「ドラゴンの産休制度を調査してたんだけどね。
母ドラゴンに焼かれかけてさ」
「でしょうね」
「それより見てくれ! 新種の猫缶(魔力入り)だ!」
アルベルトが煮干しを放る。
その瞬間。
カウンターの上で丸まっていたピートが跳んだ。
ニャッ!!
空中キャッチ。
華麗だった。
そして。
そのまま、私が整理したばかりの
未処理伝票の山へ着地する。
「ニャーン♪」
さらに。
後ろ足でシャッシャッと砂をかける真似。
バサバサバサッ!!
伝票が崩壊した。
「あっ」
カイトが死んだ目になる。
私は静かに笑った。
怖いやつだ。
「……社長」
「……ピート」
二人が固まる。
「連帯責任です」
「えっ」
「今すぐ、その書類を拾って、
あいうえお順に並べ替えなさい」
「ニャ!?」
「できなければ、来期の社長報酬と
猫缶代は全額カットです」
「ひえっ」
「ニャアアア!?」
「――座りなさい」
ドスン!!
アルベルトが椅子へ吸い込まれた。
強制着席。
「怖ぇぇ……」
カイトが震える。
全職種カンスト。
事務官の命令は、時々もう物理法則に近い。
「ルルさん」
「……はい……」
「サーバー監視を強化してください。
エデンがこの繁忙期を狙って、
架空経費申請を大量に送りつけてくる可能性があります」
「……了解……」
「ゼクスさん、あなたは窓口対応を。
『年内に報酬を受け取りたい』冒険者が押し寄せます」
「おう」
「……カイト君、あなたは――」
その瞬間だった。
ピートが窓の外へ向かって、
「フシャーッ!」と威嚇した。
読んでいただき、ありがとうございます。
第一話前半部を大幅改稿しました。
リィンがなぜここまで容赦なく「監査」を行うのか、その原点が少し伝われば嬉しいです。
そしてエデンの反撃も、まだまだこれから。
年末決算と書類の山に埋もれながら、リィンたちは次の戦場へ向かいます。
次回もお付き合いいただければ幸いです。




