5
真琴が布の前に立つ。その手の中には小瓶と、なにかしらの鉱物の欠片がいくつかあった。透はその小瓶に見覚えがあった。ここに来てからずっと目にしているものである。
その小瓶は、透の傷がひどく痛むときに渡される、液体の痛み止め薬が入っているものであった。これはとてもよく効く上に、効き始めるのも早く、不思議な色をしているため、透はよく覚えていた。その小瓶の中には、今は何も入っていない。すっからかんだ。小瓶を見る透の目線に、真琴が気づく。
「うん?どうやら記憶の欠片がこれに反応しているご様子。えぇ、そうね。きっと今貴方が思い描く理想そのものが、この世に現界することでしょう」
「今から痛み止めを作って見せてくれるそうです」
「この世に満ちる、土よ!水よ!風よ! ありとあらゆる生命の灯火よ! この身を構築するはアメシスト!人の世に降り立つ、大魔女である! 我が名の下、その楚を集い、祝福とせん! 刮目せよ!顕現せよ!賞賛せよ! Miracles of the Gods-神々の奇跡- 真の姿をここに示せ! …全てに、奇跡あれ」
真琴の言葉に合わせて、手の中にあったそれは輪郭を無くして、歪んで、どんどん形を変えていく。やがてそれは、液体になった。コポコポと周りで泡が立つ。重力を無視した液体が、渦巻きながら小瓶に吸い込まれていく。それはまるで小さな海のようで、幻想的である。透は思わず魅入ってしまった。
真琴は、全てが収まった小瓶にコルクの蓋を差し込んで、完全に密封した。それをはい、と渡されて、透は小瓶を振ってみたり、角度を変えたりして観察してみる。澄んだ青色をしていて、光に透かすとキラキラと輝くそれは、どこからどう見ても完全な痛み止めだ。
「魔女様の能力はこんな感じです。すごいでしょう?魔女様にしかできないことなんですよ、これ」
実際に能力を見せてくれたのは真琴なのだが、何故か鈴音の方が誇らしげな様子である。にこにこと笑う顔の周りに、花が舞っているようだ。
「わたくしにしか起こせぬ、奇跡の瞬間、世にも珍しいダイヤモンドであるその瞳に、余すことなく映すことができまして?…よろしい。わたくしがいかに非凡で異彩を放ち、凡人から渇望され称えられる存在か、その身に焼き付けることができたようですもの。わたくしには全てわかっておりますわ。さて、鈴音」
余裕そうな笑みを浮かべながら透に背中を向け、後ろの方に戻る真琴をよそ眼に、鈴音がこそっと耳打ちをしてくる。
「あの、能力なんですけど、発動条件にはこんな魔法陣とか、呪文とか、そういうものはないんですよ。魔女様が演出のためにやっていることなので」
なるほど、演出。自分のことを大魔女だと言い、変わった話し方をする真琴の行動に、今更驚くことはあまりないが、これらの準備が演出であるという事は、真琴は何もなくても今のように物を出すことができるのか、と考えた。透の耳元から離れた鈴音は話を続ける。
「今魔女様が錬成なさったこの痛み止めは、宝石人間用に作られたものなんです。痛みを和らげるのはもちろん、傷の治りを早めてくれる効果もあります。怪我が長引くのは、宝石人間にとって致命的ですからね。真霞さんがこの程度で外を歩く許可が下りたのも、この薬と魔女様のおかげなんですよ。ま、この薬を開発したのは魔女様ではないんですけどね。そんなことはどうでもいいです。こんなに早くお薬を調合できるのは、魔女様だけですからね、うふふ」
なかなかのマシンガントークである。以前からの態度から見るに、鈴音は相当真琴のことを好いているのだろうということが分かる。鈴音の柔らかい雰囲気に隠されているが、若干行き過ぎた思いのように感じるのは気のせいか。
「そうそう、それ、今飲んじゃってください。魔女様の準備が終わり次第、抜糸に取り掛かりますので」
さらっと流れるように言われた鈴音の言葉に、透は目を見開く。できればもっと早く言って欲しかった。
「そんなに怖気づかなくても大丈夫ですよ~。痛み止めがありますし、というか糸抜くだけですし。皮膚を切ったり色々がちゃがちゃやったりする訳ではないので」
あと、普段は抜糸程度じゃ麻酔は使わないんですけど、一応ね。あった方が楽なことは確かなので~とにこにこの顔を崩さないまま話されて、仕方ないと腹をくくる。痛み止めがあるし、鈴音さんも大丈夫だって言ってるし。小瓶のふたを開けて、中身を一気に呷る。さわやかな清涼感と、飲みやすい口当たり。透はこの薬に何度も救われたのだ。その効果は身をもって体感している。小瓶をサイドテーブルに置いたところで、輝夜が申し訳なさそうな顔をしながら近づいてきた。
「ごめんなさいね、真霞さん。色々知らないことばかりで大変でしょうけど、抜糸が終わったら自宅に帰してあげられるから、もう少し辛抱して頂戴ね」
自宅に帰る。輝夜のその言葉を信じて、透は大きく頷いた。
「ん~、そろそろいいかな。はじめちゃいましょう」
腕時計を確認した鈴音が、真琴に向かって声をかけた。そしてそのまま、透の脚を固定する。その力は強くて容赦がない。何をされるのかが分かっていても、固定されているというだけで少しどきどきして、怖くなる。本当に痛くないのかな。大丈夫かな。そんなことを考えて、顔が固くなった透を見て、ピンセットと鋏を持った真琴が優しく声をかけた。
「安心なさい。何も不安に思う必要はありませんわ。このわたくしが生成したポーションの効力はありとあらゆる感覚を麻痺させるもの。瞬きの間に全てが静寂に包まれるでしょう」
「は、はい!」
こういうのは勢いが大事ですからね~と、鈴音が他人事のように言ってくる。実際、他人事ではある。
こうして、何の覚悟も決められないままに、透の傷口の抜糸が始まった。糸を切るために用意された鋏が脚に近づいてくるのを確認して、透はひぇ、と小さく悲鳴を漏らし、目をきゅっと瞑った。この鋏が透の脚を傷つけることは無いのだと頭では理解していたが、それでも怖かったのだ。パチン、と音がして、糸が切れる。痛み止めを飲んでいるからか、痛みを感じることは無い。糸が肌からするりと抜けていく感覚と、肌が引っ張られるような違和感。そして、時々垂れてきているのだろう自身の血液が流れていく感覚。何とも言えない初めての感覚に、透はむずがゆさを感じた。
「はい、終わりましたよ、真霞さん」
鈴音の声を聞いて、そっと目を開ける。先ほどまで黒い糸が縫い付けられていた部分には何もなく、皮膚が赤く盛り上がっているような見た目をしている。痛々しい見た目をしていることには変わりないが、糸がないだけでも十分マシだ。真琴がテープを持ってきて、手際よく透の脚に貼った。
「喜びなさい。これで貴方は真に自由の身となりえましたのよ。もう何にも縛られる必要はなくってよ。…暫し時の流れに身を委ねる必要がありますが、まぁ、そんなものは些事、ですわ。それと、こちらを。わたくしが生成したあなたの柔肌を守護するためのテープですわ。原石の君のため、少しばかり調合を変えましたから、忌々しくも主張してくる、この真紅を曖昧にすることができるでしょう。…それでは、いずれまた、運命が交わるその時まで」
「以上で本日の処置はおしまいになります。しばらくはテープを張りっぱなしにしておいてくださいね、あと今日使ったものと同じテープを渡しておきますので、はがれてきたら交換しておいてください。もう歩いても走っても大丈夫ですが、あまり負荷をかけすぎるような動きは厳禁ですよ。また2週間後に伺いますからね、とのことです~」
2人からの説明に、透はこくこくと頷く。歩いても走っても大丈夫という言葉になんだか自由を感じて、少し嬉しくなった。2週間後にまた診てもらわねばならないが、完全回復まではそう遠くないのだと実感したのだ。




