138.アイリの退学
アイリは拘置所の格子越しに、マグナスの呪術から回復した父と対面した。これから裁判にかけられる父は、取り調べには協力していると聞かされた。
会わないでいた数日で、ひと回り小さくなった父は、だいぶやつれたように見えた。
「アイリ……」
今までどれだけ大切に育ててきてくれたことか……だから自分から別れを告げるのは、身を切られるようにつらい。
けれど決別しなければ、彼女も前に進めない。深呼吸したアイリは椅子から立つと、嫁ぐ日の花嫁がするように父に向かって美しい礼をした。
「お父様、私はヒルシュタッフの名を捨て、学園も退学します。もうお会いすることはないでしょう。今までありがとうございました」
言い切ってから顔をあげる。最後はなにがあろうと、笑顔を見せたかった。
「私はひとりでだいじょうぶです。これからもきちんと生きていきます。それだけはご安心ください」
ヒルシュタッフ元宰相はなにか言おうとして口をひらき、けれど腕をアイリのほうへ伸ばそうとした。だがすぐに体の脇に腕はだらりと下ろされる。彼女が背を向けると、かすかなつぶやきが聞こえた。
「元気で……」
ぎゅっと唇をかみしめて、アイリはそのまま部屋を出ていった。振り返ってしまったら……父の膝で甘える、小さな女の子に戻ってしまう気がした。
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退学手続きはシャングリラ魔術学園の事務室に、書類を提出するだけであっさり終わった。
自宅通学だったアイリは退寮の手続きもなく、その場で学生証やバッジ、ローブなどを返却した。
「あと半年なのよ?いったん休学して、ほとぼりが冷めるのを待ったらどう?」
「そんなことをしても、汚い金で学園に通わせてもらった……と言われますもの。私は家をでて独立します」
五年生担任のレキシー・ジグナバは残念そうだけれど、卒業ではなく退学だから、学園長も顔を見せない。
「だけど、学園の卒業資格がもらえないわ。お父様の援助がなくとも、あなたなら申請すれば、奨学金だってとれるでしょうに」
けれどアイリはレキシーに笑顔を見せる。
「それは他のかたに。お元気で、ジグナバ先生」
校舎からでてきたアイリはサッパリした顔で、待っていたネリアのところに駆け寄る。
「ネリス師団長、初等科のロビンス先生のお部屋に寄ってもいいですか?」
「うん、いいよ」
「じゃあご案内します。ロビンス先生の部屋は本館から、だいぶ離れたところにあるんですよ」
本館の裏手にある木立はうっそうとしていて、ロビンス先生の部屋の回りは、うらぶれた感じが漂っていた。
「雨の日とか大変そう」
「転移魔法で移動できますから……」
「あっ、そうか!」
照れたように笑うネリアは、およそ錬金術師団長らしくはない。
「やぁ、アイリ・ヒルシュタッフ!思ったより元気そうで、安心したよ。ようこそ、ネリス師団長。むさ苦しい部屋だが、ふたりともどうぞ」
ロビンス先生はふたりに、部屋のすみに置かれた古い椅子を勧め、三つのカップに茶葉を入れた茶こしを載せた。
小さく展開した魔法陣に水を注ぐとお湯になり、蒸らされた茶葉からはふわりといい香りが漂う。
カップのひとつを手にした彼は書き物机のまえに座り、ゆったりとくつろいだ。
「なつかしいね。魔術学園に入学したばかりのきみと、刺繍の図案について話したのが、ついこのあいだのようだ」
「あのときは夢中になって話しこんでしまって……」
あわてて謝るアイリに、ロビンス先生は丸メガネの向こうから穏やかに笑う。
「いやいや、図案に描かれる植物にも詳しくて、賢いお嬢さんだと思ったよ。きみと話すのは非常に楽しかった」
アイリの退学について聞かされても、ロビンス先生は引きとめるでもなく、ただうなずいただけだった。
「巣立つタイミングは人それぞれだ。私からも何かはなむけをと思うが……ふむ、衣料系の魔道具師をめざすのか」
「わたしたちはこれから魔道具ギルドに行って、アイリの見習い魔道具師としての登録を済ませます」
ロビンス先生はしばらく口ひげをなでて考えていたけれど、ふと思いついたように、グレンもよく使っていた物探しの呪文を唱えた。
「そうだ、〝染料素材大全〟……古代文様に使われた染料と、その錬金材料に使われる素材の本はどうだろうか。〝サーデ〟」
すると本棚から一冊の本が飛んできて、彼の手にすぽっと収まる。
「地域別に固有の材料から作られる色の変化が、おもしろくて調べたものだ。最近はフィールドワークにでることが減ってしまってねぇ」
ネリアが黄緑の瞳を輝かせ、身を乗りだしてきた。
「染料⁉ロビンス先生!わたしもその本、見せてもらってもいいですか?」
「ええ、もちろん」
ロビンス先生が差しだした〝染料素材大全〟を、ネリアはアイリと一緒にページをめくり、そして食べ物の保存袋に使われた古代文様を見つけて叫んだ。
「ああ、やっぱり……保存の効果を持つ色もある。防虫・防腐作用で、古代文様の働きを助けているのね。この色で糸を染めて術式を刺繍して、ワッペンみたいにすれば、取り外しもできる。いける!収納ポケットがこれでできる!」
「ネリス師団長?」
ネリアは持っていた鞄を探り、ポケットの図案を取りだした。
「ロビンス先生!わたし、ポケットの収納を増やす小さな術式を作りたくて。古代文様を使ったデザインをいくつか考えたんです。見てもらえますか?」
「拝見しましょう。ほお、これはおもしろい。古代文様はどれも伸びやかなものだが、現代の術式とうまく組みあわせて、シンプルで機能的な配置になっていますな。この知識はどこから」
ロビンス先生はネリアが描いた術式の図案を、うなずきながらじっくりと眺めた。
「魔術師団長から借りた〝古代文様集〟を参考にしました」
「おお、貴重な文献が自由に見られる立場はうらやましい。この術式に使うとしたら、保存と護り……このへんの色がいいでしょう」
そう言ってロビンス先生は、ぶ厚い〝染料素材大全〟に付箋をいくつか挟み、アイリへと渡した。
「この本はアイリに譲ります。どうかおふたりで活用して下さい。われわれが息づくこの大地で……星の祝福を受けたあなたなら、きっと素晴らしい結果をだすでしょう」
「星の……祝福?」
おまじないのような言葉に、ネリアは不思議そうに首をかしげた。ロビンス先生は丸眼鏡の奥にある小さな目を、穏やかに細めてアイリを励ます。
「アイリ・ヒルシュタッフ、今日のきみの選択が、きみの未来をより輝かせてくれることを願っている」
「はい!ありがとうございました、ロビンス先生!」
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六番街の海猫亭でグリドルの宣伝をしながら、ネリアはアイリと将来の進路について話し合った。
「船着き場のある六番街は、倉庫や市場があって活気があるよね。海猫亭のお客さんも荒っぽい人が多いけど……でも、わたしから見れば、みんなひとつの世界の人間なんだ」
「ひとつの世界の人間……そうですね。私は各地から運ばれる交易品は知っていても、それがどんな重さで誰の手を通して、運ばれるのかなんて考えもしませんでした」
船着き場で荷下ろしをする者たちは、言葉使いも乱暴で荒っぽく、体を使って働いていてケンカもよくする。
世界は広く、奥深い。エリートの住むきれいな世界だけが、幸せに満ちているわけじゃない。喜びや悲しみはどこにでもある。
アイリからお好み焼きを買った男たちの手が、全国各地から運ばれる荷物を持ち上げ、王都シャングリラの誰かに届けている。
「退学の意思が固いのは聞いていたし、学園を辞めたとしてもアイリが自立してやっていくにはどうしたら……って。それで海猫亭の宣伝を手伝ってもらったの。わたしも最初、シャングリラで魔道具師になるつもりだったから」
「えっ、錬金術師ではなく?」
「錬金術にはお金がかかるし、まずは魔道具師になって生活できるようになったら、趣味の範囲でやろうかなって。だから魔術学園を卒業していなくても、魔道具師の資格をとる方法とか、デーダスにいたときから調べてたの」
「そうだったんですか……」
「結局はグレンの遺言で師団長になっちゃったけど。魔道具師はより生活に根差した仕事だから、需要はもともとあるしね。魔術師団を目指していたアイリなら、魔力不足で苦労しないでしょう?」
「ええ」
それを聞いたアイリはうなずいて、ロビンス先生からもらった〝染料素材大全〟をだいじに抱きしめる。
なにもなくなった。彼女が持っていたものはすべて失った。
なにもかも失ったら、生きていけないと思っていた。
けれど、ちゃんと生きている。
残ったのは自分自身だけ。そして手の中にあるのは『未来』だけ。
だから今は、なにも考えずに前に進もう。
「アイリへの処罰が甘い」というご意見も頂きましたが、私は親の罪と子の罪はわけるべきと考えています。たとえお話の中であっても、16歳の女の子を死刑とか修道院送りにするのは嫌なんです。











