131.オドゥとカディアン
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学生たちが帰った研究棟では、ソラが後片づけをしていた。朝ごはん作りが日課になったカーター副団長も、メレッタといっしょにさっさと帰っていった。
ウブルグとヴェリガンはライガに壊された壁を修復魔法で直していて、ヌーメリアと甥のアレクは居住区で夕食の準備をしていた。
オドゥ・イグネルはカディアンと中庭で、ガーデンテーブルについてのんびりとお茶を飲んでいた。
「手出し無用っていうから黙って見てたけどさぁ……ユーリってば無茶しすぎじゃない?わざわざ呪いをその身に受けるなんてさ」
話し相手はカディアンではなく、ガーデンテーブルのはしにいる一羽の黒いカラス……使い魔のルルゥだ。
「どうしてこんな……」
オドゥに引き留められて中庭に残っていたカディアンは、青ざめて唇を震わせながら、テーブルの上に置かれた白いハンカチを見つめていた。
さっきふれたときには感じられなかった禍々しい気配が、赤い刺繍糸から発せられている。
「サルジアの皇帝にとっちゃ、地上はすべて自分たちのもの。竜王と契約したエクグラシアの民は裏切り者で、この大地をドラゴンの支配から解放するためには、いつか滅ぼさねばならない」
「それはおかしい。ここはもともとドラゴンたちの縄張りで、サルジアからは見捨てられた辺境の果てだった。俺の祖先バルザムが竜王と契約を交わし、人が住めるように開墾したんだ」
「この国を攻める理由になるなら、なんだっていいんだよ。困ったことにエクグラシアは豊かで、やつらにしたら宝の山だ。今回のこともサルジアの皇帝にとっちゃ、イタズラをしかけたようなもんさ」
「どうにかならないのか⁉︎」
拳を握りしめたカディアンが、歯を食いしばるようにしてたずねると、ティーカップをゆっくりソーサーへ戻し、オドゥはそっけなく答えた。
「そう言われてもねぇ。呪いはもう発動しちゃったし、僕はユーリに『邪魔するな』って言われたし……研究棟ならソラの管轄じゃない?」
けれど中庭のすみに控えていたソラは、それに淡々と返した。
「……ネリア様に関すること以外は、私の関知するところではございません」
「兄上はエクグラシアの第一王子なんだぞ!」
カディアンが抗議しても、オドゥは肩をすくめただけだった。冷たく言い捨てると彼は眼鏡のブリッジに指をかけ、レンズの奥で深緑の瞳を細めた。
「王子のお守りは僕らの仕事じゃない。だいたい、呪い以外にもいろいろなトラブルを職業体験に持ちこんだのはきみたちだ。本気で錬金術師になる気もないなんて、ふざけているのか?」
「そんなっ、頼む。呪いは俺が引き受ける!俺はどうなってもいいから兄上を!」
発動した呪いはもうじきユーリの心臓に届くだろう。エクグラシアの誇る魔術師も竜騎士も、今からでは間に合わない。絶望に顔をゆがめたカディアンが必死に頼むと、オドゥはうるさそうに片手を振った。
「やれやれ、甘ったれな弟を持つとユーリも苦労するよねぇ。そんなだから、今回の騒ぎが起きたのに。なぜあいつがこんな無茶をしたと思う?全部きみのためだ」
「は?どういうことだ?」
「いいかい?きみがこのまま成人したとする。きみの気持ちがどうであれ、まわりはきみを王位に就けようとするだろう。とくにヒルシュタッフ宰相はその筆頭だ」
アイリの父親の名がでたことに、思い当たるところのあるカディアンは唇をかみしめた。
「きみが自分のまわりを御せなければ、そいつらがきみを旗印に掲げて暴走したとき、ユーリは『弟』を殺さなくちゃならない」
オドゥの顔を見返すカディアンの、目が大きく見開かれた。
「だからユーリはきみが卒業するまえの、まだ未成年のうちに勝負をかけた。きみをかばうため、不完全な自分の姿をさらしてまで」
「俺を……かばうため?」
ぼうぜんとするカディアンをよそに、オドゥはテーブルの中央に置かれたハンカチを指さす。
「それにさ、きみ……さっきからユーリの心配ばかりだけれど、その刺繍をした女の子……アイリのことは心配しないの?」
「え……だけど危険なのは兄上だろ?」
「それが君の答えなわけね。ふぅん」
オドゥはため息をついて、かけていた眼鏡のブリッジに指をあてズレを調整した。深緑の瞳が射抜くようにカディアンを見つめる。
「ユーリは先手を打ってヒルシュタッフ宰相を討つつもりだ……わかってる?影響はその子にも及ぶってこと」
兄のユーリに彼女のことを聞かれたとき、カディアンはポツポツと語った。
『俺……最近の彼女は苦手なんだ。勉強ばかりで話も合わなくて、小さいときはよく刺繡をしていて……それを眺めているのが楽しかったのに』
自身も少年にしか見えないユーリは、ため息をついて椅子の背もたれに深く身を預けた。
『まったく……だからおまえは子どもだというんだ。人の本質はそう変わるわけじゃない。アイリは今だって刺繍が好きだろう。けれど彼女はおまえより一足先に大人になったんだ。自分の役割を見定めて必死に努力している』
『そうだけど、俺は楽しそうに刺繍糸の色を選んでいたアイリがよくて、小難しい国際経済の本を読む彼女は苦手なんだ』
『アイリみたいな十六歳の女の子が、好きで国際経済の本を読むか?すべておまえを支えるためだ……そのありがたみもわからないとは』
ユーリがあきれたようにそっぽを向き、カディアンはうつむいた。
『アイリのことは嫌いじゃない。けれど俺は兄上より先に相手を決めるつもりはない。最近俺のまわりがみな変なんだ。まるで俺が王太子になると思っているみたいで。アイリまで……』
『僕に遠慮しているのかもしれないが、おまえが王位を狙わなければ、まわりがイライラして先に動くだろう』
カディアンがハッとして顔を上げると、ユーリはとても厳しい表情をしていた。
『カディアン、僕は弟のおまえを大切に思っている。だからおまえを守りたい。けれど宰相の娘であるアイリ・ヒルシュタッフは、僕の守るべき対象ではない」
ユーリの赤い瞳が強い光をたたえて、カディアンをみすえた。
『彼女を守るとしたら、おまえ自身がやらなくては。僕が彼女を守ることはない』
あのとき兄が口にした言葉の意味を、カディアンはようやく理解できた。
「そんな……俺にとっては、兄上もアイリも大切な……まさかこんな」
バシュッ。
カディアンの横できれいに刺繍された赤い糸が弾けとび、漂っていた不穏な気配が薄れていく。
「おや、きみより先に彼女のほうが、結論をだしたようだ」
眼鏡を指で押さえたオドゥは、テーブルに置かれたハンカチをのぞきこんでつぶやく。
「僕はなにもしないけれど、そうだ……ネリアに僕の使い魔を見せてあげる約束をしてたんだ。今から飛ばすから、伝言ぐらいはしてみたらどうだい?……ね、ルルゥ?」
オドゥがかけていた眼鏡を外すと、使い魔のカラス……ルルゥの目が黒から深緑に色を変えた。











