130.サルジアの赤い糸
王都十番街の一角にあるヒルシュタッフ宰相の壮麗な屋敷に、アイリはひと足早く帰宅していた。父の真意を確かめたくて、彼女は急いで書斎に向かう。
けれど書斎には先客がいた。主のような顔をして場を支配し、呪いの儀式を始めようとしていた。
「お父様⁉」
書斎に入るなり、アイリは男たちに押さえつけられ、身動きがとれなくなる。魔法陣の中央にいた黒髪の男、マグナス・ギブスは優雅に一礼した。
「お嬢様のまっすぐで純粋な想いが、二人の王子にわが呪いを届けてくださった。ご協力に感謝いたしますよ」
「そんな……どうして……」
「アイリ!」
父の宰相は震えながらも、彼女を助けようとはしない。彼がマグナスに協力しているのは明らかだった。
「騒がれると私の手元が狂って、呪いが弟のほうに行ってしまう。そこでおとなしく術の完成を見守るといい。サルジアの筆頭呪術師の〝呪い〟を見せてくれよう」
そういうと黒髪の男は自分を中心に、赤くまがまがしい魔法陣を展開した。
「お父様っ、これはエクグラシアへの反逆行為です。今すぐやめさせて下さい!」
アイリが必死に叫んでも、父親は弱々しく首を横に振るだけで、動こうとはしない。
「マグナス、頼む。娘には……」
「事が成就したら、お嬢様の記憶を抜きます。純粋なのはいいが、融通が効かないのも困りものだ」
そう言いながら、マグナスは自分の懐から、鮮血で染め上げたような色の塊を取り出す。それが糸だとアイリが気づいたのは、貿易商を名乗る彼に渡されたものと同じ色だったからだ。
「その糸……まさか!」
『二人の王子にわが呪いを届けてくださった』
男から受け取った糸を使い、王子たちの名を刺繍して届けたのはアイリだ。彼女は震える声で、父に問いかける。
「お父様は私の……私の想いさえ利用したのですか⁉」
「違う、アイリ。私はおまえのために……」
「なぜっ⁉ヒルシュタッフ家がサルジアとの貿易で、莫大な利益をあげているのは知っていました。だけどお父様は……エクグラシアの宰相ではありませんか!」
父を問いつめるアイリを、マグナスはククク……と白い歯をむきだしにしてあざ笑う。
「ただの地方長官だったその男が、宰相にまでなったのもサルジアの後押しだったとしたら?それだけじゃない……最愛の妻を亡くし、たったひとり遺された愛娘まで病に倒れたとき、その男はサルジアの呪術師を頼ったのだとしたら?」
「なんですって……お父様は……サルジアの傀儡だったと?」
宰相になった父が王都に構えた壮麗な屋敷で、高位貴族とも交流する華やかな暮らしは……家具も食器も、置かれた魔道具まですべて……なんのおかげで成り立っていたのかを、アイリはこのとき初めて知った。
確かに彼女の母はサルジア貴族の血を引いていたけれど、父親がここまで取りこまれているとは思いもしなかったのだ。
(ここはエクグラシアなのに……)
「我々はあなたがたの望みに協力しているだけです。それに目的はサルジアとエクグラシアの友好だ。あなたはサルジアの血を引く、エクグラシアで初の王妃となる。実にすばらしい」
(ダメ……この男の言葉を聞いてはいけない!)
アイリは赤い髪と瞳をした、少年のような姿の王子を思い浮かべる。勇気をだして話しかけたのに、彼の命が永遠に失われる瞬間に立ち会いたくはない。
(なにか……私にできることはないの?今の私にできること……なんでもいい、なにか……!)
耳慣れないサルジアの言葉で、マグナスが呪詛を紡ぎはじめる。男の手が握っていた赤い糸は生きもののようにうねり、魔法陣の上に落ちてとぐろを巻くと、踊るようにうごめきだす。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
自分の研究室にいたユーリが異変に気づいたのは、なにかの気配が机の上で動きだしたからだ。
「これは……」
机に置かれていたのは、アイリに渡されたハンカチ入りの封筒で、そこから血のように赤いシミが漏れだしていた。
邪悪すぎる気配にユーリが飛びのくと、赤いシミは一気に壁まで広がり糸のように絡みあって、外からの干渉を防ぐ結界を部屋の内部に作りあげた。
「弟を人質に取ったか……」
逃げ場がないにもかかわらず、彼は結界をにらみつけて舌打ちをした。
彼が呪詛返しをすると、アイリはもともとカディアンに対する気持ちが強いから、同じ糸で名を刺繍された弟へと、呪いはまっすぐに向かうだろう。
そうさせないためには、この呪いをユーリがひとりで受けなければならない。彼は首にはまる鈍色のチョーカーにふれた。
「これが外れてさえいれば……しかたないな、ルエン!」
ユーリは手持ちの魔道具で使えそうなものを取りだす。つかんだ棒から光が伸び、剣に似た武器になった。光の刃は魔法攻撃に対処するためのものだ。
ユーリは自分に向かってくる赤い糸の塊を、ルエンで切り落としながら避ける。
「まっすぐに心臓を狙うなんて、悪趣味な呪いだな!」
息の根を止めるからこその、呪いなのだろう……ぼんやりと考えながら、ユーリは魔法陣を展開した。
魔法陣にふれた赤い糸は、紫の炎をあげて燃えあがる。けれど切っても燃やしても、封筒を真っ赤に染めた赤いシミは、どんどん広がり彼を追いつめていく。
「くそっ!」
ハンカチの贈り主であるアイリは、自分の贈りものがこんなふうに使われるとは、きっと知らなかったのだろう。彼と話したあと、慌てて早退していった。
(彼女にも危険が迫っているかもしれない)
呪いの仲立ちをしたのであれば、彼女の身も無事では済まない。口封じや身代わり、傀儡としての利用……これまでのような人生は送れないだろう。
エクグラシアの王族を狙う呪いは、ユーリの心臓めがけてまっすぐに赤い糸を伸ばした。彼が跳ね返せば、行き場を失った呪術は弟へと向かう。
どちらが倒れようと、黒幕は気にしないだろう。ユーリは自分の親友だった、サルジア皇太子の顔を思いだした。
魔術学園に入学した彼は、サルジア皇太子のリーエンと親しくなり、そして一緒に毒を受けた。〝毒の魔女〟ヌーメリアに助けられたが、生き残ったのは彼だけだった。
(リーエン……君のかたきを取りたかったのに)
生きもののようにうねる邪悪な赤い糸に、ユーリの体は飲みこまれた。











