130.アイリの退学(アイリ視点)
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拘置所の格子ごしに、アイリは裁判前の父と対面した。マグナスの呪術から回復した父は、これから裁判に処される。取り調べには、全面的に協力しているときいた。数日のあいだに、父はひと回り小さくなって、やつれたように感じる。
「アイリ……」
どれだけ大事に思ってくれていたか分かる。だから、別れを告げるのは身を切られるように辛かった。椅子から立ちあがり、父にむかい最上級の礼を……まるで嫁ぐ際に花嫁が父にむかってするような美しい礼をとる。
「私はヒルシュタッフの家を捨て、学園も退学します。これを最後にもうお会いすることはありません。お父様、いままでありがとうございました……」
顔をあげずに言いきった。ひとつ深呼吸をしてから、思いきって顔をあげる。最後はなにがあろうと、笑顔で。
「私はひとりでだいじょうぶです。これからもきちんと生きていきます。それだけはご安心ください……お別れです、お父様」
父も言葉がでなかった。なにかをいおうとして口がひらき、腕がかすかにあがった。だがすぐに腕はおろされ、ぎゅっとその拳がにぎられる。出口にむかうアイリの背に、かすかな声だけが届いた。
「元気で……」
その言葉に後ろ髪をひかれながらも、アイリはけっして振り返らなかった。
シャングリラ魔術学園での退学手続きは、事務室に書類を提出するだけ……という、思ったよりあっさりしたものだった。
自宅通学だったアイリは、退寮の手続きもいらないため、その場で学生証やバッジ、ローブなどを返却した。
学園長のナード・ダルビスは、顔をみせもしない。卒業ではなく、退学だからか。五年生担任の部屋に挨拶にたちよると、迎えたレキシー・ジグナバ教諭は残念そうだった。
「あと半年なのよ?休学して、ほとぼりが冷めたころに復学すれば……」
「いいえ、どちらにしろ汚い金で学園に通わせてもらった……と言われます。私は家をでて、独立するつもりです」
「だけど、学園の卒業資格がえられないわ。お父様の援助がなくとも、あなたほど優秀な生徒なら奨学金をとることだってできるのに」
アイリはため息をこぼすジグナバ教諭に笑みをみせた。
「それは他のかたに。私はこの学園でじゅうぶん学ばせていただきました」
ジグナバ教諭の部屋をでたアイリは、サッパリした表情で、待っていたネリアに話しかけた。
「……ネリス師団長、ありがとうございます。つきそってくださって。あと、初等科のロビンス先生のところに寄りたいのですが」
「うん、いいよ」
「じゃあご案内します。ロビンス先生の部屋は本館よりだいぶはなれているんですよ」
学園内での地位そのままに、ロビンス先生の部屋は本館の裏手の、うっそうとした木立の中にあった。なんだかうらぶれた感じが、王城内の研究棟みたいだ。雨の日など、授業のために本館にむかうのもたいへんそうだけれど、転移魔法があればそう不便でもないのかもしれない。
「やぁ、アイリ・ヒルシュタッフ!おもったより元気そうで、安心したよ。ようこそネリス師団長」
でむかえてくれたロビンス先生は、部屋のすみの古びた椅子をすすめてくれた。そしてカップの上に茶葉を入れた茶こしをおき、そのうえに小さく魔法陣を展開すると水を注ぎはじめる。魔法陣を通った水は湯気のたつお湯になり、茶葉を蒸らし、ふわりとあたりにいい香りがただよう。
自分もカップをひとつ手にとると、ロビンス先生も書き物机のまえの椅子でゆったりとくつろいだ。
「なつかしいね……魔術学園に入学したばかりのきみと、刺繍の図案について話したのを覚えているよ」
「あのときは……夢中になって話しこんでしまって、すみません」
あわてて謝るアイリに、ロビンス先生は丸メガネのむこうから穏やかに笑う。
「いやいや、図案に描かれる植物にもくわしくて、かしこいお嬢さんだ……と思ったよ。きみと話すのは非常に楽しかった」
アイリの退学についても、ロビンス先生はひきとめるでもなく、ただうなずいただけだった。
「巣立つタイミングは人それぞれだ。私からも何かはなむけをと思うが……ふむ、衣料系の魔道具師をめざすのか……」
ロビンス先生は、思案するように口ひげをなでていたが、ふと思いついたようだ。
「そうだ!『染料素材大全』!……古代文様に使われた染料と、その錬金材料になる素材の本なんかどうだろう……『サーデ』!」
ロビンス先生がグレンもよく使っていた物探しの呪文をとなえると、部屋の隅から一冊の本が飛んできて、彼の手にすぽっとおさまった。
「地域別に固有の材料からつくられる色の変化がおもしろくて、いぜん調べたものだが、最近はフィールドワークに出ることが減ってしまってねぇ」
ネリアが身を乗りだしてきた。
「染料⁉ロビンス先生!わたしもその本、みせてもらってもいいですか?」
「ええ、もちろん」
ネリアはロビンス先生が差しだした『染料素材大全』をうけとり、アイリと一緒にページをめくった。そのなかに食べ物の保存袋などに使われた古代文様を見つける。
「ああ、やっぱり……『保存』の効果の色もある。防虫や防腐の作用をもち、古代文様の働きをたすけているのね!術式をこの色で染めた糸をもちいて刺繍して……ワッペンみたいにすればじょうぶだし、とりかえもきく……。いける!収納ポケットがこれでできる!」
「ネリス師団長?」
「ロビンス先生!わたしいまポケットの収納を増やす小さな術式を作りたくて……古代文様を使ったデザインをいくつか考えたのですが、見てもらってもいいですか?」
ネリアは持っていた鞄をさぐると、術式の図案をとりだした。
「拝見しましょう……ほお、これは……」
ロビンス先生はうなずきながら、ネリアがえがいた術式の図案を、じっくりとながめた。
「これはなかなか面白い……シンプルだが機能的だ。古代文様はどれも伸びやかなものだが、現代の術式と組みあわせ、その伸びやかさを損なわないよう、うまく配置されている。この知識はどこから?」
「魔術師団長から借りた『古代文様集』を参考にしました」
「おお!自由に貴重な文献がみられる立場がうらやましいですな……収納ポケットにはこの『保存』の色と……あとこちらの『護り』の色がよさそうです」
そういってロビンス先生は、『染料素材大全』にいくつか付箋をはさむと、アイリに渡した。
「この本はアイリにゆずりますが、どうかおふたりで活用してくださることを願っています……われわれが息づく大地……この星の祝福を受けたあなたなら、きっと素晴らしい結果をだすでしょう」
「星の……祝福?」
おまじないのような言葉に首をかしげると、ロビンス先生の丸眼鏡の奥の小さな目が、穏やかに細められた。
「アイリ・ヒルシュタッフ、きみの今日のこの選択が、きみの未来をよりよいものにしてくれることを願っているよ」
「はい!ありがとうございました、ロビンス先生!」
アイリはこれから魔道具ギルドに行き、『見習い魔道具師』としての登録をすませるつもりだ。
錬金術師とちがい、魔道具師はより生活にねざした仕事だからもともと需要はあるし、アイリほどの魔力の持ち主なら、おおくの魔道具師が泣く魔力不足にも苦労することはないだろう……と言ったのは、ネリアだった。
「わたし、最初はシャングリラで魔道具師になるつもりだったの。デーダスにいたときから、魔術学園を卒業していなくても魔道具師の資格をとる方法とか……いろいろ調べてた」
「えっ、錬金術師ではなく?」
「錬金術にはお金がかかるし……まずは魔道具師になって、生活していけるようになったら、趣味の範囲で錬金術もやれたらなぁ……って。結局は、グレンがなにもかもお膳立てしてくれて、師団長になっちゃったけどね」
「そうだったんですか……」
「だから、アイリが学園を辞めたとしても、なんとかやっていけるのは分かっていたんだけど。それって、アイリ次第のところもあるでしょ?だから『海猫亭』で売り子をやってもらったの」
船着き場で荷下ろしなどで働くひとびとは、魔力ではなく自分の体や頭をつかって働いていて、アイリの知る世界の人たちより、言葉遣いも乱暴だし荒っぽく、ケンカもよくする。
「六番街は船着き場があって、倉庫街があって……『海猫亭』のお客さんも、どうみても洗練されているとはいえないでしょ?でもわたしからみれば、みんなひとつの世界の人間なんだ。三日間やってみて、アイリはどう感じた?」
「そうですね……私、各地の交易品の名前はいえても、それがどんな重さでどんなふうに運ばれてくるのかなんて……どんな人たちの手を通して運ばれるのかも知らなかった……」
全国各地から王都に運ばれる荷物……アイリからお好み焼きを買ってくれた人たちの手がその箱を持ちあげ、シャングリラに住むだれかのもとに届けられる。
世界は広く、奥深い。エリートの住むきれいな世界だけが、幸せに満ちているわけじゃない。喜びも悲しみもどこにでもある。
ロビンス先生からもらった『染料素材大全』を、アイリはだいじに抱きしめる。
なにもなくなった。自分がもっていたものは、なにも。
なにもかも失ったら生きていけない……と思っていた。
けれど、ちゃんと生きている。
残ったのは自分自身だけ……そして、あるのは『未来』だけ。
だからいまは、なにも考えずに前に進もう。
父との別れのシーンを加筆し、視点をアイリに統一して書き直しました。