第六十六話 思い出、辛い話でした。
「聞いてもらって悪かったな」
余韻を打ち消すように溜息を吐いた後、目元をぬぐった男は身体をユウキの方へ向けた。どこかすっきりとした表情で体を向ける彼は、ただ自分の心の中にため込んだものを吐き出したかったのだろう。それを吐き出す対象として丁寧に触れてもいいかと聞いてきた彼を選んだ。今までわざわざ触れようと思った人間など存在してこなかったからだ。それだけでも少しは信用するに値する人物だった。
が、向き直った彼は驚愕する。真剣に話を聞いていると思っていた目の前の男は自分に背を向け寝転がっていたのだから。いったいどんな思考回路を持てばそんなことができるのだろうか。さすがの彼でも困惑する。
「……ん?ああ、終わったのか。よっこいせ」
起き上がったユウキは固まった筋肉を伸ばすために伸びをし、体中のコリをほぐしていく。起き上がった彼は男の方を向くと、床に置いてあったランドセルに手を伸ばす。しかし、男にとってはそんなことはどうでもいい。彼が感じていたのは明確な怒りの感情。確かに今回の話はただ吐き出すことさえできればそれでよかった。しかし、それでも自分の話を聞いて自身の辛さを分かってほしいという気持ちもあった。それを分かってほしいと思ったし、わかってもらえる人物だと判断したからこそ、彼は自分の身の上話をしたのだ。しかし、目の前の男はどうだ。真面目に聞こうともせずに話に背を向け、最初からそんな話などなかったかのように振る舞っている。さすがにこれは怒るだろう。
「おう、話聞かせてもらった礼に酒でも飲もうぜ。ちょっと多めに持ってきてあるから遠慮なく」
その飄々とした態度が気に食わない。男は拳を握り締め立ち上がるとその怒りを振り絞り、声に混ぜ込んで大きく叫び声をあげる。
「お前、俺の話を聞いていなかったのか!俺が今、酒を飲めるような状態だと思っているのか!」
ユウキはいきなり怒り始めた男の顔を見上げながら少し困惑したような表情を浮かべている。それがますます癇に障り、男は叫び声を上げ続ける。
「俺は母さんが死んだときすごく悲しかったんだ。思い出すのも嫌な位にな……。その話をしたのに背を向けて……。お前……、俺がどんな気持ちでさっきの話をしたと思っているんだ!」
自分でも何を言っているのかわからなくなるほど混乱した思考から発せられる言葉をユウキは受け止める。そして、思考するかのように黙り込んだかと思うと、数秒後溜息を吐きやっと口を開く。
「勝手に思い込んで山の中に引きこもってるのような奴の気持ちなんてわかりませんね」
煽るような口調で彼の問いかけに答えたユウキを見て男は返す言葉を失う。が、それは少し正確ではない。正しくはどう返せばいいのかがわからなかった、であった。確かにユウキが背を向けていたのは悪い。しかし、彼の一言はそんなことがどうでもよくなるほどに重く圧し掛かってくるものだった。
見つけることを拒み、ただ孤独と寄り添って生きている彼の気持ちなぞ、短い期間ではあるものの旅しているユウキにとってはわからないしわかりたくもないことだった。彼の言葉は受け入れられず、また受け入れようとしてこなかった男にとってまさに青天の霹靂だった。
二回目の溜息を吐いたユウキは彼を諭すように言葉を紡ぐ。
「お前がこれからどうするかなんてな。俺の知ったことじゃねえけど。これだけ入っておくぞ。意外と世界は優しいぞ?」
これに関しては彼の経験上間違いない。彼の周りには優しい人物たちがたくさんいたから。ユウキの運がよかったといえばそれまでかもしれないが、それ以上に彼の周りの人間も優しい人間に囲まれていた。そんな事象を見てきて世界は厳しいものだとは言いたくない。確かにつらいことはあるかもしれないが、そんなものは優しさで塗りつぶせる。そうして生きている男たちを彼は知っているし、彼自身そのようにして生きてきたのだ。
ユウキの一言で崩れ落ちた男は屋根を見上げる。その頬を涙が伝う。母の言葉を大して理解しようともせずに諦めていたことに後悔しかない。ごめんよ、母さん。空で自分のことを見守っている母親に対し、深く謝罪した。
「さて、言いたいことは言い切ったし、辛気臭いのは嫌だから酒でも飲もうぜ!」
ランドセルから取り出した酒瓶の蓋を開け、器に注いだユウキは二つあるうちの一つを男の前に差し出した。受け取るかな?そう思いながら様子を窺っていたユウキ。しかし、その予想は一気に覆る。男は器を手に取ると中身を一気に飲み干した。
「おっと~!いい飲みっぷりだねぇ。よっしそれじゃあもう一杯!」
酔っぱらいの親父のようなことを言いながら男の手の器に酒を注ぐユウキ。器に視線を固定していた男が突然頭を上げたかと思うと口を開いた。
「……ドルガナだ」
「へ?なんて?」
「ドルガナだ。母さんのつけてくれた俺の名前だ。一晩の付き合いになると思うが、そう呼んでくれ」
「ンじゃよろしく。ドルガナ」
ドルガナは笑みを浮かべるとあいさつ代わりにユウキの持つ器に自分の器をぶつけた。それを見て笑みを浮かべたユウキは上機嫌で酒を注いでいく。
「つまみがなくて寂しい酒になるが、そこは我慢してくれ」
「だったらこっちで肉でも準備しよう。その代わりにそっちの話も聞かせてくれ」
小さな小屋の中で二人きりの小さな酒盛りが始まった。
「だから!もう酒注がなくていいって言ってんだろがい!!!」
「いや、ずいぶんグイグイ飲むからまだ飲むのかと思ったんだが」
「早く飲み終わってこっちはもう寝たいんだよ!まったく、話聞いてたり聞いてなかったりするしよ……」
酒を何も言われずに注がれたことに怒りの声を上げたユウキは赤ら顔で器に口をつける。その対面ではいたって平静で頭を掻いているドルガナがいた。あれからしばらく飲み続けた二人であったが、ドルガナは顔色一つ変えていない。ユウキは決して弱い方ではない。彼と同じ量を飲んで彼が顔を真っ赤にしているにも関わらず、ドルガナは全く変化が見られない。とんでもない蟒蛇である。
「ああくそ!俺はもう寝るぞ!」
器の中を空にしたユウキは、即座に毛布を取り出してそれにくるまり寝息を立て始める。一人残されたドルガナは残った酒をチビチビと流しながら、酒盛りの片づけをしていく。勝手知る自分の家だ。そう長く掛からずに片付けが終了する。自分の寝床に入ったドルガナは毛布にくるまっているユウキを見てこう思う。「彼が母親の言っていた人物なのではないだろうか」と。
しかし、彼は否定するように首を横に振った。そもそも根本が間違っているのだ。受け入れてもらうのではなく、受け入れてもらえるように努力することが肝心なのだ。何もせずに受け入れてもらおうなどというのは虫がいい話なのだ。これからどうしようか。これからの自分の身の振り方を考えながらドルガナは眠りについた。
「あ~よく寝た。悪いな朝飯までごちそうになっちまって」
「気にするな。一人分も二人分もさして変わらないからな」
身支度を整えランドセルを背負い、小屋を後にしようとするユウキ。その姿をドルガナが見守っている。
「さて、お前はこの後どうするんだ?」
ドルガナの心の中を見通しているかのようにユウキは問いかけて見せる。もちろん彼にそんな能力は存在していない。適当に聞いてみただけである。そんな彼の問いかけにドルガナは答える。
「少し自分の考えを整理する。そのあとでこの山を離れてみようと思う」
「……そうか。まあ、次会ったときは声かけてくれ。力になるし、酒代出すぜ」
「あぁ、ありがとう」
「んじゃまたな」
「ああ」
二人は別れ、ユウキは山を下り始め、ドルガナは山を登り始める。一晩休んだおかげで体調は良好。今ならばドラゴンが襲い掛かってきても対処できるだろう。力強く拳を握りながらユウキは歩き続ける。
十分歩き続けていると彼の耳に奇妙な音が届く。敵襲だと考えたユウキは大剣に手をかけ、音源を探った。その音は空中、それも天に上る矢から放たれていた。しばらくして矢が落ちると間髪入れずに二発目、三発目が上がった。
「ん~。よくわからんけど粋だな!」
彼なりの送り出しの行動にユウキは笑みを浮かべると、足早に山道を下っていくのだった。




