第四十話 クマ狩り、開始しました。その二
リュウセイの後を追ってユウキが山の中に入ってから数十分。中腹付近まで登ってきたユウキは一度足を止める。
「この辺からでいいかな……」
キョロキョロと周囲を見渡したユウキはポーチの中に手を入れると中からボトルを取り出すと、その中身をあたりにばらまき、寒さなどお構いなしに残ったそれを浴びた。すぐに周囲と彼の身体にアルコール臭が漂い始める。
彼がばらまいたのは先ほど雑貨屋で買った酒、それもかなり度数の高いものである。ユウキ達の持つ武器の匂いを嗅ぎつけてピンポイントで襲い掛かってくるのであれば、ユウキ達の匂いを嗅ぎつけてくるだろう。ではそのにおいを消す、または別の匂いに紛れさせる必要があった。ユウキがとった方法は度数の強い酒を周囲にばらまき、アルコール臭で自分の匂いを消すという方法だった。揮発性の高いアルコールは風に舞ってユウキの匂いをまぎれさせてくれるだろう。風に舞いすぎてすぐに消えてしまうかもしれないが、ユウキの取れる方法ではこれが一番確かなものだった。
酒をばらまいた後、ユウキは周囲を警戒しながら道なき道を歩き続ける。物音に敏感に反応しながら歩き続ける彼は、早いところリュウセイと合流したいと思い始めていた。夜の雪山、さらに人食い熊が出没する。いつ襲われるかもわからない状況で一人で森の中を歩き続けるというのは精神をゾリゾリと削り取り、消耗させていく。
夜の雪山にビクビクと震えながら山の中を十分ほど歩き続ける。ふと視線を下げ足元をみたところで、ユウキは無意識のうちに口元を緩めた。人間の足跡。それも非常に新しいものである。それは前方に続いており、状況から推察するに間違いなくリュウセイが歩いたと思われるものだった。踏み固められた足跡に新たに積もっている雪は少ない。最近つけられたということは明白である。
ランプの明かりなどの何かしらの手がかりがないかと周囲をうかがっていると、急激に風向きが変わる。今までユウキに吹き降ろすような風下だったのに対し、今は山肌を昇るように風上へと変化する。ユウキの背を叩くような風が雪を巻き上げ、視界を奪っていく。
手で顔を覆い吹きさらす雪を遮っていると、いきなり轟音が鳴り響いた。山の空気を丸ごと揺るがすような爆音は、ユウキの鼓膜を突き破らんとし身体を縮み上がらせた。
明らかに人工物から発せられたその音が、一体誰の手で出されたかをすぐに理解したユウキは、急いでその音の方向へ走り始めた。
「ちっ!外した急所じゃねえ!」
放たれた鉄塊は目にもとまらぬ速度で目の前のクマに襲い掛かったが、クマの野生の勘ともいうべき直感とその屈強な体による俊敏性は、襲い掛かってきた一撃を回避することを最優先にする。咄嗟に体を捻り回避すると、鉄塊は急所を外し、腹部を抉りながら飛翔し、山肌に轟音を立ててめり込む。
しかし、傷は負わせたものの、一撃で命を刈り取るには至らない。今なお、クマの意識は健在であり、腹部が吹き飛んだ痛みで雪の上で悶え暴れている。抉り取られた傷口から溢れ出た血液は真っ白な雪を赤く染めていく。
暴れるクマを尻目にリュウセイはその場を離れるための準備をする。虎の子であった一撃で命を刈り取ることのできなかった以上、もはやレールガンは不要である。彼が普段携帯している鉄塊は一つだけ。重さ等の問題で予備は持ち歩いていないのだ。
なので一発撃った後はただの邪魔な重量物と化す。一撃で仕留めることが前提である上に、それ以上に今まで急所を外したことがなかったため、このような事態はいまだ未経験であった。
彼は砲身を分解して逃げ出そうと試みるがそれ以上にクマの行動のほうが早かった。傷の苦しみで悶え苦しんでいたクマは、リュウセイが分解を始めた時には体を起こし、攻撃の主を見据えていた。我を忘れるほどに激昂しているクマは、傷のことなどお構いなしに全力で地面を蹴りリュウセイのほうへ走り始める。
それを見たリュウセイは分解を諦めて、仕方なく応戦することにする。電磁投射砲をクマに向かって乱暴に投げつけると隣に置いてあった、クロスボウとスコップを手に取って側面に回り込むようにして転がり、突進してくるクマの進路から外れる。
スコップを地面に差し、その上にクロスボウを構えることで安定性を増させるとボルトをクマの眼に向かって発射する。しかし、高い動体視力でボルトを視認すると、急停止し俊敏な動きでボルトを回避する。真正面から対峙したリュウセイは改めてクマの大きさを確認する。大きさは三メートル以上で両腕を広げるともはや壁かと間違うほどの大きさである。ここまで大きいと今まで不便に感じなかった自分の得物が力不足に感じて仕方がない。目の前で両腕を上げ威嚇している強敵にどうやって対抗するかを考えながらリュウセイは行動を起こした。
再び突進してくるクマに向かって再装填の終わったクロスボウで攻撃する。しかし、身体に一本矢が刺さったところで奴の突進が止まるはずがない。気にせず突っ込んできたクマの突進を横っ飛びで躱すとあえてクマに向かって距離を詰めていく。それに合わせて体を起こしたクマは力任せに右フックを繰り出すが、紙一重で躱されてしまう。クマの懐に潜り込んだリュウセイはスコップを両手で持ち、ステップを駆使して脇腹と太ももに当たる部分に二回ずつ、計四回突きを加えた。
先端が鋭利に加工されているスコップは攻撃箇所を易々と貫き手傷を与える。血が噴き出したのを確認すると、リュウセイは即座に懐から脱出する。自身の腹部を抉るだけでは飽き足らず、さらなる手傷を追わせてきた目の前の弱小生物に激昂したクマはもう怒りを抑えきれない。地面に積もった雪を吹き飛ばしながらリュウセイに迫っていく。
しかし、彼も負けていない。雪の上とは思えないほど敏捷な動きで突進を躱すと再度スコップで突き刺そうとする。が、厳しい自然に生きる野生動物に同じ攻撃がそうやすやすと通じるはずもなく。近づこうとしたリュウセイに向かって突進の勢いを無理やり反転させ、両腕を振り回す。不意の一撃に躱すことが出来ず、攻撃をスコップで受け止めるが、受けた手を痺れさせるほどの一撃でスコップは大きく弾き飛ばされてしまう。近接武器が弾き飛ばされてしまったリュウセイはそれを拾いに行くようなことはせず、腹部からナイフを取り出してクロスボウと一緒に構える。
跳びかかってくるクマの攻撃をかわすと同時にクロスボウのボルトを牽制として射撃、同時に間合いを詰めナイフで切り裂こうとするが、分厚い毛皮に阻まれ肉を切り裂くには至らない。バックステップで一度距離を取ったリュウセイは舌打ちをし、内心悪態をつく。
(やっぱり、これじゃ足りないか!やっぱりもっとデカい武器が必要だな……)
脳裏に喧嘩別れした憎たらしい男の顔が映る。しかし、居もしない男に思考を割いている余裕はない。すぐに頭の中から消し、目の前に集中する。
ナイフで普通に攻撃していては効果が薄い。大砲がもう一度使うことができれば、確実に仕留められるだろうが、スコップを拾い上げる暇すら与えてくれない目の前の相手がそんな暇を与えてくれるかは疑問であった。
となれば、狙うべきは目などの急所か、足などの機動力を削げるところ。しかし、それもなかなか難しい。足は一歩間違えば蹴り飛ばされて手痛い一撃を食らうことがあるし、目に至っては体躯が三メートルほどある以上、真正面から相当深くまで飛び込む必要がある。
(厳しいな……。かといって撤退するわけにも……)
リュウセイはこれからどうするかを思考する。がクマはそんなことお構いなしである。
その巨躯を起こして立ち上がり威嚇をすると、そのままの体勢で覆いかぶさるように跳びかかる。その跳びかかりをリュウセイは雪原を転がり回避する。すぐさま起き上がって反撃に出ようとするが、雪で思った以上に踏ん張りがきかず、強く前に踏み出すことができない。
クマはすぐにリュウセイを見据え、肉体に任せて噛みつきを繰り出す。それを紙一重でかわしたリュウセイは、向こうから近づいてきたことをいいことにナイフで顔付近を切り裂いていく。が、目を切り裂くことはなく、その周りの薄皮を切り裂くにとどまる。手ごたえを感じない。その不安を抱きながらバックステップで距離を取ろうとするが、それに対してクマは距離を詰める。その攻撃をリュウセイが回避し、攻撃する。
それを数回続けていると、素早く動く小柄なリュウセイの動きに慣れたクマの攻撃が鋭さを増していく。その攻撃を躱しながらの戦闘で、徐々にリュウセイの集中が切れていく。何度攻撃しても手ごたえが感じられないというストレスと、慣れない雪上での戦闘は集中力をガリガリと削っていく。それにつられるように、肉体も疲れを感じ始め息が上がっていく。
(勘弁してくれ……。頼むからこの状況を変えてくる奴が来てくれねえかな……)
終わりが見えない道を進んでいるような感覚を覚えていたリュウセイは、もう他人に状況打破を任せてしまいたくなるほど参ってしまっていた。それに合わせて、喧嘩別れをし、一度は忘れたはずの男の顔が再度ちらちらと浮かび始める。確かに彼一人が介入するだけでこの戦闘ががらりと変わる。一度脳裏によぎってしまうと、先ほど思い浮かんだ男が脳裏から離れなくなる。必死で振り払おうとするが、頑固にこびりついて離れない。無駄に集中力を削りとり、動きを鈍くさせてしまう。
完全に集中しきれない自分にイラつき舌打ちをすると、その直後、相対しているクマが左フックを繰り出した。リュウセイはそれを今まで通りに躱そうとする。が、集中力の低下している今、体は思った通りには動かない。それにリュウセイは気づかない。現状で致命的な一瞬となってしまった。
身体を沈み込ませながらバックステップで躱そうと足に力を込めた瞬間、雪に足がとられ、スリップする。本人にとっても予想外の事態にリュウセイは脳が混乱し、その後の対処がうまくできなくなってしまう。目に映る光景がスローになり、自身の腹部にに迫る前足が刻々と狙った部位を抉り取ろうとしている。
何分にも感じていた瞬間が数秒と経たないうちに訪れた。左フックを右わき腹でまともに受けたリュウセイはその衝撃で吹き飛ぶ。雪上を転がりながら地面に倒れこんだリュウセイは肺から空気が飛び出し、呼吸が覚束なくなる。痛みで腹部を抑えながらえずいていると、喀血し自分の身体に想像以上のダメージがあることを理解する。
(アバラがっ……、折れたなこりゃ)
それ以上の追撃を食らわないようために、腹部を抑え痛みをこらえながら立ち上がる。相当威力の乗った一撃を食らっても立ち上がることができたのは、彼のつけていた腹巻が微力ながら衝撃を吸収したからだろう。それでも重たい一撃はリュウセイの体力をごっそりと奪い、現状、立つので精いっぱいである。ナイフは我が指にかかっているだけで握ることが出来ておらず、クロスボウは雪の上に取り落としている。
一撃を加えたクマは、勝利を確信したように立ち上がり、前足を持ち上げ威嚇する。立ち上がるので精いっぱいのリュウセイにはクマが一回り大きく見える。
次こそ仕留める、そういわんばかりに走り出したクマの一撃を躱して反撃するまでの力はリュウセイには残っていない。少しでも休むことができていれば違ったかもしれないが、間髪入れずに襲い掛かってきたため、そんな暇はなく未だに足は震えている。
しかし、ここで動かないわけにはいかない。リュウセイは体に鞭打って雪の上に倒れこむようにして回避する。間一髪その攻撃は躱すことができたものの、倒れこんだ体勢で次の攻撃は躱すことができないと直観的に理解する。
ゆっくりとリュウセイを見据えたクマは牙が光る口を見せつける。腹部のダメージが響いている影響で今度こそ動くことができない。
(ダメか……)
自分の死を覚悟したリュウセイは自身の死から目をそらすために目をつぶった。自分の実力のなさが憎い。あの男に啖呵を切って勇んで出てきてこの始末である。彼の頼みも果たせずにこのまま死んでいくのか。そう思うと恨めしくて仕方なかった。
大きく開かれた口が喉へ迫る。あと少し近づいてその口を閉じるだけでリュウセイの人生は二度目の終わりを迎えることになる。
(終わりか……)
この仕事を生業としている以上、覚悟はしていた。心残りがあるがもう仕方ない。心の中で謝罪しながら覚悟を決める。あとは身を裂く苦痛を迎えるだけであった。
「オラァ!不意打ちサイドアタッーク!」
リュウセイに夢中になっていたクマは側面からの近づいてくるもう一人の人物の攻撃に気付かず、そのままもろに大剣の全体重とダッシュの威力が乗った一撃を食らってしまう。
「もういっちょぅ!」
突き刺さった大剣をさらにドロップキックで押し込んだ。その一撃が相当効いたのか、呻き声をあげながらよろめき、リュウセイから離れていく。
「お前……、来る気ないんじゃなかったのか」
リュウセイは痛みで引き攣った表情のまま、彼を守るように前に立ったユウキに皮肉を告げる。しかし内心相当安堵しており、口元が緩みそうになっているのを必死になってこらえていた。
「俺は依頼を受けてきたんだよ。だからここに来た。そんなことより、俺はあれを引っ張る。お前はその背中についてる大砲で仕留めてくれ」
雪を地で染めながらよろけていたクマを注意深く観察しながらユウキは作戦を伝える。
「わかった。が、今の俺には打ち出す弾丸がないからお前のナイフを何本かくれ」
「了解。何分持たせればいい?」
「……三分で十分。合図だしたらできる限りあいつの動きを止めてくれ」
「わかった」
小さくリュウセイの指示に答えたユウキはポーチから取り出した十本のナイフをリュウセイの前に落とすと、囮役としての任務を果たすため目の前のクマに真正面から突っ込んだ。
前回の話でクマがいきなり首を上げたシーンがございましたでしょう?あれはユウキ君が撒いた酒の匂いに反応した影響です。酒を撒いて気づかせてピンチにさせた挙句、ピンチになった本人を自分で助けるとかいうとんでもないマッチポンプをやらかしていたわけです。もちろんユウキ君は知りません。リュウセイ君も知りません。我々しか事の真相を知りません。まあ、悪意はなかったし、多少はね?




