嵐の出来事
エキドナとの稽古はいびつなものになっていった。
少しでも彼女を傷付ければ泣き叫ぶ。
「お前も同じだ、あの男と同じだ、私を傷付ける」
そういって駆けつけてきたプレセぺに縋り付く。
これではどちらが悪者かわからない。
自分がこうしているのはプレセぺを守りたいからなのに、これでは逆に嫌われてしまう。
嫌われる・・・プレセぺに。それは何事にも耐えがたいものだ。
物心ついた時から一緒にいた母親代わり。
でも今のヒラキンにとって彼女はそれ以上の存在になっていた。
いつのまにかヒラキンは少年から青年に、プレセぺのことを恋するように、あるいは愛するようになっていた。
プレセぺにだけには嫌われたくなかった。
そんなヒラキンの心がわかるようにエキドナはプレセぺに自分の悪口を吐き続けた。あることないこと、エキドナをひどい目に合わせたという父親のことと混同して。
ヒラキンはエキドナのことを殺したいとまでに思うようになっていた。
自信もあった。今の自分はエキドナより強い。
もちろん実行はしなかった。いくら憎くても肉親だ。それにプレセぺが悲しむ。
けれどそれはあるとき爆発した。
きっかけは些細なことだった。何かプレセぺがエキドナの気に障ることをした。だからいためつけた。
ヒラキンがそれを止めに入ると、プレセぺのことを泥棒猫だと、やはり自分からとる気なのだと罵った。
もう我慢の限界だった。
エキドナといる限り、プレセぺに近づくことは許されない。
エキドナといる限り、プレセぺを手に入れることは叶わない。
ヒラキンはエキドナを殴った。もうエキドナが泣いても止めなかった。一方的にいためつけた。
気が付くとプレセぺがすがりついて泣いていた。エキドナはぐったりしていた。
我に返った。自分は取り返しのつかないことをしたと思った。
「生むんじゃなかった」
エキドナは血を吐くように言った。
「いらない、お前なんかもういらない。ここからでていけ!」
エキドナなんてどうでもいい。プレセぺだけいればそれでいい。そう思っていた。そう思っていたはずだったが、その言葉は深くヒラキンの胸に突き刺さった。
ヒラキンはその場から逃げ出した。
嵐が来ていた。今まで森に来て以来経験したこと名無いような嵐が、森全体を覆っていた。
「もういい」
エキドナはいった。
「あれも所詮あの男の子供だった。もういらない」
まるでつきものが落ちたかのようだった。かつて皆のあこがれだったあのころのエキドナが帰ってきたかのようだった。
「プレセぺ、お前はいつも私のそばにいてくれた」
優しく、とても優しくプレセぺに話しかける。
「お前は私を裏切らない。お前は私を傷つけない。お前は私の前からいなくならない。もうお前だけでいい。ずっと私のそばにいておくれ」
エキドナはプレセぺを抱きすくめた。プレセぺはうれしかった。でも
それはヒラキンも一緒でなくてはならない。
2人は家族なのだ。このまま別れることがあってはならない。
ヒラキンはエキドナを殴って我に返った時、とても傷ついた顔をしていた。放っておくことなんてできない。
「大丈夫です。お姉様。ヒラキンはきっと後悔しています。お姉様を殴ったことを。だからお話ししましょう。いろんなことを話し合いましょう。今までのこと。これからのこと。きっと大丈夫です。分かり合えます。だって2人は家族なのですから」
プレセぺはそういうと洞窟から離れた。
エキドナはそれを聞いた時、とても傷ついたような顔をしていた。
なぜそんな傷付いた顔をしたのかプレセぺにはわからなかった。
でもきっと大丈夫。ヒラキンを連れもどしたらすぐに帰ってくる。
また怒られるかもしれない、殴られるかもしれない。けど、自分がそうなるくらいどうってことない。2人が離れ離れになるくらいなら、いっそ自分が全部悪いことになっても構わなかった。
外は嵐が吹き荒れていた。まともに歩くこともかなわないほどの嵐だ。
でもこの風なら今の自分の翼でも飛べるかもしれない。
ずきりと痛む翼をはためかせ、プレセぺはヒラキンを探すため飛び立った。
……
「やっぱり、そうなのか」
洞窟の中ではエキドナが1人残された。
「お前もあの子が狙いだったのか? 」
どんなに殴っても、突き放しても、自分を見捨てなかった唯一の存在。でもそれもみんな、あの子を自分から奪う策略だったのか?
天使の力をえるため、強い天使を喰らって作られた自分。
同じ天使の子でもプレセぺは愛し合って作られた子。お母様はプレセぺを王宮に住まわせた。他の娘にはそんなことはしたことがなく、誰もが彼女を羨み憎んだ。
自分が手を差し伸べなかったらきっと野垂れ死にしていただろう。
自分がプレセぺを拾ったのもお母様に頼まれたからに過ぎない。なのに無邪気になついた。
馬鹿な子だった。自分には何の力もないのに、力があると思い込んでいる。その力は誰もが持っている、その程度のものなのに。
それでも無邪気になつく彼女の一途さは本物だった。
なつかれれば可愛くなってくるものだ。いつしか自分もプレセぺのことを愛おしく思うようになっていた。
こんな体になって、皆に嫌われ、皆を憎んだ。
プレセぺにもつらく当たった。嫌われて当然だ。なのに彼女はずっとそばにいる。試すようにつらく当たった。最後まで彼女は自分のそばから離れなかった。
これでもし、ヒラキンを捨ててまで自分の素に残るなら、信じてもいいかもしれない、そう思った。
でもそれも全部うそだった。汚れた母の国の呪いからは逃れられない。
プレセぺは自分よりも男を選んだ。結局自分を選んでくれるものなんて誰もいやしなかった。
男に捨てられ、子供に捨てられ、プレセぺにまで捨てられてしまった。
「あ、ああ、ああああああああ」
彼女の慟哭は嵐の音にかき消された。
・・・
ヒラキンを連れもどしたプレセぺが見たのは血まみれで首をつって死んでいるエキドナの死体だった。洞窟中に血で恨み言が書かれていた。その大半はプレセぺに対する恨み言だった。
「お姉様…お姉様…」
プレセぺはエキドナの体を注から降ろすとなんとか蘇生させようと試みた。
でも無駄だった。明らかに手遅れだった。
ヒラキンはその様子をただ茫然と眺めていることしかできなかった。
「どうして、どうして」うわごとのようにつぶやくプレセぺを黙って眺めていることしかできなかった。
プレセぺの白い翼がエキドナの血を吸って赤く、黒く、染まっていく。
ヒラキンは怖かった。死んだエキドナも怖かったけれど、それよりも怖かったのは。
「どうして」
プレセぺが泣きながらヒラキンを見た。
「どうして、あんなたなんか生まれてきたの? 」
プレセぺに拒絶されることだ。
ヒラキンはプレセぺの前から逃げ出した。
そう、逃げ出してしまった。あれがプレセぺの言葉であると信じて。
そんなことがあるわけがなかったのに。いくら錯乱していたとしても、そんなことをプレセぺが言うはずなかったのに。
あのとき、逃げ出さなければ、プレセぺはプレセぺのまま守れたのに……




