第1話:大都会の路地裏には、閃光が走る
「……フェルナンド。レオ・フェルナンド」
「っ、はい!」
午後の退屈な日差しが差し込む2年B組の教室。黒板に複雑な物理公式を走らせていた教師の声に、俺――レオ・フェルナンドはハッと顔を上げた。
「ぼーっとするな。期末テストで学年1位だったからと言って、授業を聞かなくていい理由にはならんぞ」
「すみません、ちょっと次の実験手順を考えていまして……」
周囲からくすくすと小さな笑い声が漏れる。俺は申し訳なさそうに小さく頭を下げ、ノートの隅に描いていた「ベクタード・ノズルの流体力学図」を静かに教科書の下へ滑り込ませた。
俺、レオ・フェルナンドの校内での評価は『科学の天才』だ。
運動がズバ抜けてできるわけでも、クラスの中心で女子に囲まれるタイプでもない。体育は可もなく不可もない平均点、文系科目も赤点を回避する程度。だが――【科学】と【美術】のテストだけは、この学校に入学以来、一度として学年首位を譲ったことがない。
「おいレオ、またメカの落書きか?」
休み時間、隣の席の男子がニヤニヤしながら話しかけてくる。
「いや、ただの立体のデッサンだよ。放課後、美術室の大型キャンバスに向かわなきゃいけないし」
「相変わらず真面目だなあ。お前、放課後はだいたい美術室か物理準備室に引きこもってるもんな」
「まあね」と苦笑いを返しつつ、俺は制服のポケットの中でカチリと重たい手触りを確認した。
ポケットの中に入っているのは、学校のゴミ箱や家庭から回収した、使い古されて捨てられるはずだった【単3乾電池】だ。
この大都会には、アニメのような魔法も、超能力も存在しない。もちろん、ヒーローを公的に管理してくれる便利なランク制度なんてものもない。
ただ、煌びやかな高層ビルの足元に、警察の手すら届かない深い闇と暴力が広がっているだけだ。
誰も助けてくれないなら、知恵と技術を持つ人間がやるしかない。
(……準備は、完璧だ)
放課後、俺は「美術の大型課題用の画材」と偽って巨大なスポーツバッグを担ぎ、夕闇に染まる学校を後にした。
深夜11時50分。ネオンが眩しい大都会の裏通り。
薄暗い路地裏で、怯える女性を囲む3人のならず者たちが下品な笑い声を上げていた。
「おいおい、こんな時間に一人で歩いてちゃ危険だぜ? 俺たちと遊ぼうよ」
「や、やめて……助けて……!」
「誰も来ねえよ。この街の警察がこんな汚い路地裏まで巡回してくるかよ――」
男が女性の細い腕を掴もうとした、その瞬間。
――ヒュオオオオオン……!
頭上から、静かだが鋭い風切り音が空気を切り裂いた。
男たちが怪訝そうにビルの屋上を見上げる。夜空の月を背に立っていたのは、全身に自作の装備を纏った男のシルエット。
『ダ・ヴィンチ、対象の視線角度を測定。威圧効果、最大』
耳元のイヤホンから自作AI『ダ・ヴィンチ』の静かな音声が流れ、視界を覆うARバイザーに敵の位置情報と距離が青く明滅する。
「……夜道で女性に絡むなんて、構図として美しくないな」
変声機を通した低い声が路地裏に響く。
俺は一歩、屋上のフチから足を踏み外した。
重力に従い落下する――直前。
「ゴーッ!!」
背中の自作【ジェットパック】の可動ノズルが点火。鮮やかな青と紫のグラデーションを描く噴射炎が夜空を彩り、俺の体はアスファルトスレスレで横滑りするように急制動をかけた。
「なっ……飛んだ!? なんだそのメカは!?」
動転した男の一人が、懐からバタフライナイフを取り出して狂乱気味に襲いかかってくる。
俺は冷静に右手を前に突き出した。
手のひらを下に向けて手首を水平に固定する。手首の上部に装着された薄型スリット銃身が『シャキン』とミリ単位で開口した。
「距離4メートル。風速ゼロ。射線、クリアです」
「了解」
――バシィィィンッ!!
引き金を引いた瞬間、音速を超えた【超高度の稲妻】が撃ち出された!
ホーミング(追跡)はしない。だが、空気中のイオンを突き破る強烈な雷光は、鋭くカクカクとした幾何学的な軌跡を描きながら、一直線に男の持っていたナイフを正確に穿った!
「ギャアアアッ!?」
高圧電流の衝撃でナイフが蒸発し、男はそのまま壁まで吹き飛ぶ。
「ヒッ……化け物め! コイツで動くな!」
残りの男が、足元に落ちていた角材を拾い上げ、ヤケクソで振り下ろしてくる。
俺はポケットから、使い古しの乾電池を1本取り出した。指先でつまみ、グローブから一瞬だけ高圧の起爆電流を送り込む。
「な、なんだそれ……ただの電池……!?」
「普通の人は『ゴミ』って呼ぶけどね」
俺は乾電池を、迫る男の胸元へ向けて指で弾いた。
「――科学的には、エネルギーの塊なんだよ」
ドカンッ!! バチバチバチッ!!
過放電を起こした乾電池が短絡爆発!
爆風とともに青白い静電放電が男の全身を駆け巡り、筋肉を一瞬で麻痺させる。
「がハッ……バチバチッ……!?」
男は全身を痙攣させ、白目を剥いて崩れ落ちた。
わずか数十秒の戦闘。
路地裏に転がる男たちを見下ろし、俺は怯える女性に向かって短く言った。
「怪我はない? 早く広い通りへ戻りな」
「あ、あなた……一体……?」
腰の後ろのタクティカルベルトに手をやり、空になったバッテリーパックを「カチャッ、シュポン!」と手慣れた手つきで排気。予備のバッテリーをワンタッチで素早く装填しながら、俺はジェットパックを再び点火させた。
「――ただの、通りすがりのヒーローさ」
ゴーッ!!
一瞬の閃光を残し、俺は大都会の夜空へ飛び去った。
深夜1時過ぎ。
ワンルームの自室に窓から滑り込んだ俺は、ヘルメットを脱いでドサリとベッドに倒れ込んだ。
「ふぅ……疲れた……。明日の1時間目、保健体育なのに……」
汗ばんだ前髪をかき上げ、胸や腕のプロテクターを固定しているロックを解除していく。
背中のジェットパックを外し、腰のバッテリーベルトを緩め、ようやく「レオ・フェルナンド」という普通の高校生に戻りかけた、その時だった。
壁掛けの小型テレビから、緊急ニュースの甲高いアラーム音が鳴り響いた。
『報道特別番組をお伝えします。先ほど午前1時10分、中央区の東西銀行本店に武装した強盗グループが侵入! 職員数名を人質に取り、金庫の解体を要求しています。警察は周辺を封鎖していますが――』
画面には、パトカーの赤色灯に照らされた銀行の映像と、自動小銃を持った覆面男たちの姿。
「……まじかよ」
俺は脱ぎかけていた腕の装甲を手に持ったまま、深い溜め息をついた。
明日は体育の授業もあるし、課題の提出日だ。正直、今すぐにでもベッドに潜り込んで泥のように眠りたい。
「……はぁ」
俺は面倒くさそうに頭をかきむしりながらキッチンへ歩き、冷蔵庫から冷えた麦茶のピッチャーを取り出した。
グラスに注ぎ、一気にコップ一杯の水を飲み干す。喉を潤すと、少しだけ頭が冴えてきた。
「ダ・ヴィンチ。銀行周辺の防犯カメラと構造データ、拾えるか?」
『すでにロード完了しています、レオ様。銀行内部には自動小銃を持った犯人が5名、人質は8名。警察の突入は困難な状況です』
「……だよねぇ。行かないと、誰か撃たれるなあれ」
文句を言いながらも、俺の手はすでに動いていた。
脱ぎかけたプロテクターを再び身体に装着し、バックルをカチリと締め直す。
手首の平べったいスリット銃身をセットし、腰のホルダーに「予備の使い捨て乾電池」を数本補充。そして、まだ熱の残るジェットパックを背中に担ぎ直した。
「よし。さっさと片付けて、2時までに帰って寝よう」
バイザーをセットすると、ARシステムが起動して青い光が視界を満たす。
俺は窓枠に足をかけ、夜風が吹き抜ける大都会の空へと、再び舞い戻っていった。




